第75話 必要悪は必要悪。
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スフィーダは左右の肘掛けをそれぞれ使い、玉座に深く座り直した。
ゆったりとした動きで脚を組む。
アーロンの表情は険しい。
しきりに長い顎ひげに指を通すのは、いらだちを隠せないからかもしれない。
「アーロンよ、確かにそなたからは威厳を感じる。気迫もじゃ。根性というか、執念もあるように思う。あるいは、道標となってよいだけのニンゲンなのかもしれん。じゃが、仮にそうだとしても、わしに言わせれば」
「……言わせれば?」
「そなたは二流じゃ」
「言うに事欠き、まだ傲慢を申されますか」
「言葉は選んでおるぞ。きちんとな。ここまで話をさせてもらったが、端的に述べてしまえば、しょせんは世迷い言を吐いているようにしか聞こえんかった。わしにはなにも響きはせんかったぞ。いっさい、刺さりもせんかった」
「何度も言わせないでもらいたい。ですからスフィーダは――」
「傲慢、傲慢、傲慢、傲慢。すでに思考が停止しておる。その言葉だけを連呼しておれば満足か? 致命的なミスじゃ。底の浅さを自ら露呈する格好になってしまっておるのじゃからの」
明らかに、アーロンは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「スフィーダ様は煽っておられるだけだ。スフィーダ様のほうこそ底が浅い。スフィーダ様のほうこそ薄っぺら。もう議論をするに値しませんな」
「おぅおぅ。逃げるなら止めやせんぞ。せいぜい、懺悔するがよい」
「懺悔することなど、なにもない。あろうはずもない」
「そうか? わしはそなたの罪は重いと見ておるが?」
「スフィーダ様は冒頭、信仰は自由だとおっしゃられたではないか!」
「声を荒らげるな、たわけ者。くどいぞ。わしは一貫して主張しておるじゃろう? 過去に救いを求めるな、と」
「そうでしょう? そうでしょう、スフィーダ様? 私と貴女は主義主張が異なるだけ。他者の意見、ひいては他者を認めることができないスフィーダ様のほうこそ、まさに狭量とは言えまいか!」
「今のそなたは鏡と話しておる。聞くに堪えんぞ」
「そ、そこまでおっしゃられるなら、勝敗はそこにいらっしゃるヴィノー様に訊いてみようではありませんか!」
「ほんにしつこいのぅ。勝ち負けなど誰が持ち出した? これ以上、醜態を晒すな。それはそなたの望むところではないじゃろう?」
「ヴィノー様、お答えください!」
「ダメじゃな。もはや耳まで聞こえぬか」
「スフィーダ様は黙っておられよ! ヴィノー様! 私のほうが正しい。私こそが正義。そうでございましょう?!」
「ああ、すみません。途中から、まるで聞いていませんでした」
「そそっ、そんなっ!?」
がたりと音を立て、椅子から腰を上げたアーロンである。
ヨシュアにいい加減な物言いをされて、よほど面食らったようだ。
「席を立たれましたね。お帰りですか?」
「ま、まだ帰らぬ。帰るものかっ!」
「でしたら、お座りください」
「しし、しかしっ!」
「座りなさい、アーロン教祖」
「ぐっ、ぐ……っ! も、もういい。私は失礼する!」
吐き捨てるようにしてそう言ったアーロン。
スフィーダは、いよいよ浅薄な本性を現したなと感じただけである。
アーロンの両腕を、ニックスとレックスがそれぞれ拘束した。
「ななっ、なにをする!?」
「おやおや。先ほどまでは、散々、威勢のよいことを言っておったではないか。捕まえられるなら捕まえてみろ。わしにはそう聞こえたが?」
「これは不当な扱いだ!」
「阿保を抜かせ。もはや嫌疑不十分というわけにはゆかぬ」
「わ、私はまだ、負けていないっ!」
「じゃから、勝ち負けではないと言うとろうが。それでも、あえてそなたの敗因を述べるとするなら」
「な、なんと申されるのか!」
「先に言った通りじゃ。悲しいかな、やはり二流なのじゃ」
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連行されるようにして、アーロンが玉座の間から消えた。
それを機に、スフィーダは「のぅ、ヨシュアよ」と声を掛けた。
「おまえから見て、アーロンはどう映った? まさか、本当に聞いていなかったわけではあるまい?」
「最初はまあまあかと思いました。ヒトにものを説き慣れている感が窺えました。後半に近づくにつれ、ひどくなりましたね。論破うんぬん。勝ち負けうんぬん。そういった要素を引っ張り出してくると、議論は途端に陳腐化してしまいます」
「ヒトに与えるだけ与えて、優越感に浸りたいというタイプなのじゃろうな」
「とはいえ、陛下が並べ立てられたことも、満点とは言えませんが」
「な、なぬっ!?」
スフィーダはびっくりして、思わずヨシュアを見上げた。
彼はすまし顔を向けてくる。
「ろ、論理が破綻しておったか? どこかおかしかったか?」
「おおむね、論理的でした。おかしなところも細かい点しかございません。ですが、未来を怖がるニンゲンがいることは、理解しておく必要があるかと存じます」
「なんじゃ。そんなことか」
鼻から短い息を漏らしたスフィーダである。
「言われずとも、わかっておるわ。わしは理想論を投じただけじゃからの」
「言葉が過ぎたこと、お詫び申し上げます」
「よい。気にするな」
今度はスフィーダ、長い吐息をついた。
「必要悪は必要悪という言葉がある」
「聞いたことがございません。いつかの偉人が、そう?」
「いや、わしが今、即興で作った」
「笑うところですか?」
「抜かせ」
「なかなかに深いお考えかと存じます」
「じゃろう? どうあれ認めてやらねばならぬのじゃ。あのような存在であっても」
頭を掻きむしったスフィーダである。
「あーっ、そもそもわしは理屈っぽい話は大嫌いなのじゃ。だって、話をしているほうも、聞いているほうも、まるっきり面白くないじゃろう?」
「陛下、それを言ってしまっては、おしまいです」
「あのような輩を寄越すのは、たまにでよい」
「その旨、頭に叩き込んでおきましょう」
「さて、昼食じゃ、昼食! 肉を食べるぞ!」
「残念。メインディッシュは白身魚のムニエルでございます」




