第74話 過去に救いを求めるな。
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サドラー教の祖、アーロン。
恰幅のよい老人である。
真っ白な顎ひげの立派なこと立派なこと。
まとっているのはひだの目立つ艶やかな純白のローブ。
頭の上の平べったい帽子も白い。
銀色の首飾りをさげている。
ペンダントトップは大きな逆十字だ。
力強い目をしているなというのが、第一印象。
老いを感じさせない、鋭敏な雰囲気をまとっている。
柔和さを感じさせる部分は微塵もない。
だからといって、気圧されるわけもない。
誰に対しても臆することなくいられるのは、経験値の賜物だ。
椅子に座しているアーロンは、口を開かない。
会話に駆け引きを持ち出すつもりなのだろうか。
腹を割って話がしたいので、とっとと切り出すことにした。
「アーロンよ、信仰は自由じゃ。法で保障もされておる。じゃが、自殺者を出すような教えはどうかと思うぞ」
「信者にも自由がございます」
「死にたければ死んでしまえというのか?」
「そこまでは申しませんが」
シニカルな笑みを浮かべる。
アーロンとは、そういう老人らしい。
「ルフランなる麻薬の根っこは、そなたなのか?」
「薬に手を出す出さぬ。それも自由でございます」
「話をすり替えるでない」
「気に食わぬば、今すぐ牢屋にぶち込まれてはいかがですかな?」
「気に食わぬうんぬんの話でもないが、いつ捕まってもよいという覚悟があるということか?」
「あるいは」
スフィーダはいよいよアーロンの目を見つめるのである。
「今回の召喚に応じた理由はなんじゃ?」
「無論、直接、スフィーダ様と語らいたかったからでございます」
「もう一度言うぞ。なにを信じるか、それは好きにせい。じゃが自殺を助長するような真似はよせ。そして、薬などばらまくでない」
「そう言われましても」
「そもそも、なぜ薬など売るのじゃ? 教団の運営資金にするためか?」
「信仰に金銭など……。ヒトが求めるものを与えることが、はたして悪と言えますかな?」
「そんなおかしな効能がある薬をどうやって得たのじゃ?」
「この話題はもう切り上げたいのですが」
「申せ」
「お断りする」
「この期に及んで我が身大事か」
「そうではありません。改めてお伝えしましょう。なにがあろうと悔いはございません。ございませんが、いざそうなった場合には、正しき裁きを求めます」
「まさに保身ではないか。まあ、そんなこと、今はどうだってよい。つまるところ、わしが言いたいことは一つだけじゃ」
「お聞かせ願えますかな?」
「過去に救いを求めるな」
すると、アーロンは「ふふ」と笑い。
「未来よりも過去が欲しい。ヒトがそう考えることはゆるさないと?」
「未来は過去よりもずっとよくなるかもしれんじゃろうが」
「その逆を説いているのです。誰もが未来を欲しているわけではない」
「じゃが、時間は進む。進むのじゃぞ?」
「スフィーダ様は未来に不安を抱いたことなどないのでしょう。だから、そのようなことが言えるのです」
「それは大きな間違いじゃ」
「と、いいますと?」
「くどいようじゃが、時間は前へ前へと流れておるのじゃ」
「これまで多くを失ってきた、と?」
「先の別れを想像すると、夜も眠れんくなる」
「傲慢ですな」
「なんじゃと?」
スフィーダ、少しばかり眉間にしわを寄せた。
「言ってくれるではないか。わしのどこが傲慢なのじゃ?」
「スフィーダ様は持たざる者の気持ちがわかっておりませぬ」
「持たざる者とは誰のことじゃ?」
「すべてのヒトを指していると言っても、過言ではございません」
「観念的じゃな。褒められることではないぞ」
「重ねて申し上げる。よい未来が訪れるとは限らない」
「わしからも二度目じゃ。過去に救いを求めるな」
「やはり、相容れませんな」
「ずばり言ってもらいたい。女王制のなにが気に入らんのじゃ?」
「立場がヒトを決める。魔女もまたしかりでございます」
「やはり、わしは傲慢だと言うのじゃな?」
「違いますか?」
「わしが望んで女王をやっていると思っておるのか?」
「ある程度、そうなのでは?」
「正直に言う。望んでいる部分もある。じゃが、祭り上げられたこともまた事実なのじゃ」
「人心を集めるには人外の存在を。愚かですな。ヒトの先祖は」
「アーロンよ、実のところ、ヒトを蔑んでおるのは、そなたではないのか?」
「……聞き捨てなりませんな」
右手を顎にやり、スフィーダは目つきを鋭くした。
「そなたから匂い立つのは、強い選民思想じゃ。自分は特別だと思っておるじゃろう?」
「ですから、なぜそうだと?」
「そなたはヒトの先祖を愚かだと申したな? じゃが、そなた自身もヒトじゃろうが」
「そういう物言いをなんというか、ご存じかな?」
「揚げ足取りだとでも言いたいのじゃろう?」
「まさに、その通りでは?」
「すべての者がそうだとは言わん。言わんが、宗教家とは、自分ならヒトをあるべき姿に導けると、少なからず思っておるものじゃ。そこにあるものを傲慢と言わんでなんとする」
「選民思想。それはスフィーダ様にも言えることではありませんか?」
「そう考えているからこそ、そなたはわしを否定するのじゃろう? じゃがな、アーロンよ、民が総意としての意思をぶつけてくるようなら、わしは喜んで女王を辞めるぞ?」
「辞めて、どうなさると?」
「少しの食べ物と小さな寝床があればそれでよい」
「言うだけなら簡単ですな」
「悔し紛れの遠吠えにしか聞こえん」
「それで論破されたおつもりか」
「はなから論破しようなどとは思っておらんわ」
「幾度だって申し上げる。未来には希望などないかもしれない」
「三度になる。じゃからといって、過去に救いを求めるな」