第562話 not.致命傷。
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戦火についても火事についても、一定の鎮火をみた、その日の夜。
プールサイドにわざわざ用意してもらった円卓にはスフィーダのほかに、ヨシュアとケイオス、それにクロエとカレンがいる。言わずもがな、クロエはヨシュアの、カレンはケイオスの妻である。どうして彼女らがここにいるのか、ヨシュアが招いたらしい。二人が無事であることをたしかめる機会をもたらしてくれたらしい。スフィーダからすれば、まさにありがたい話である。
スフィーダはおもむろに立ち上がると、プールからあふれた水でドレスが濡れるのもいとわず、土下座した。四人に対しての申し訳のなさから土下座した。近いうちに街中でもそうして回ろうと考えている。すべて自分が悪いのだ。ネフェルティティを見誤っていたし、そのせいで多くの民を死に至らしめてしまった。きょうだいを失った者もいるだろう。両親を失った者だって多数いるはずだ。たまらなくなる。土下座くらい、いくらでもする。
「陛下、お立ちになり、席におつきくださいませ」
べつに厳しい口調だというわけでもないのに、スフィーダの小さな身体はびくっと跳ねた。
スフィーダは立ち上がった。でも、涙は止まらない。ヨシュアが立ち上がり、両手を広げた。スフィーダはたたと駆けて、彼の腹部にぼふっと抱きついた。「うえぇ、うえぇぇ」と泣き声が漏れる、漏れる。鼻水をすすりながら、彼から離れた。がんばって席につく。クロエとカレンは「だいじょうぶですよ」とでも言わんばかりに微笑んでいる。黒いフードを目深にかぶったまま、「ルナがケガしたんだ。俺はゆるせないよ」と厳しいのはケイオス。スフィーダは俯き、またぽろぽろと涙が流れるのをゆるしてしまう。
――そのとき、ぐあぁっはっはっは! などという豪快な笑い声が聞こえてきて。到底、ヒトが捻り出せる重低音ではない。プールサイド――水が届かない位置で、"最後の知恵ある竜"こと、ドル・レッドが笑ったのだ。ドル・レッドは猫のように身を丸くしていて、その腹に背を預ける格好で"青肌の吸血鬼"ことイーヴルがいる。イーヴルはすやすや眠っているようだ。ドル・レッドがぎょろりと緑の瞳を動かして、スフィーダを見た。やはりびくっと肩が跳ねてしまう。
ドル・レッドはというと――。
「そっちの女二人は上玉だな。食ったらさぞかし、うまいんだろうな」
冗談だとわかっているのか、ヨシュアは微笑し、不機嫌そうな顔をしていたケイオスすら、毒気を抜かれたように微笑んだのだった。
スフィーダが「ドル・レッドよ、そなたらも襲われたのか?」と訊くと、答えたのはヨシュアで、「彼らは我が国のために戦ってくれました」ということだった。その言い方が誇らしげに聞こえたのは気のせいだろうか。
ドル・レッドが持ち前の太いがらがら声で、「最近の戦争にあっては、今回は悲惨な部類だったな」と事もなげに言った。「やはりそうか……」とスフィーダは沈んだ声を発し、それから「それはそうと、ドル・レッドはどうしてこの場にいるのじゃ?」と訊ねた。
「甘い物を食わせてくれるというのでな。実際、ごっそりたくさん、いただいたよ。メロンがうまかったな。甘いだけだからこそ、うまかった」
「皮ごと食べたのか?」
「ご丁寧に剥いてくれたよ」
すると、ヨシュアが「報酬は金銭でということであれば、私がいくらでも出したのですが」と苦笑のような表情を浮かべた。そのあいだも、イーヴルはずっと眠りっぱなしだった。
「俺は俺たちの立場から物を言ってやる。スフィーダ」
「なんじゃ? ドル・レッド……」
「しけたツラをして、しけた声を出すな。怒りたくもなる」
「もはや、怒られ慣れておる……」
ドル・レッドは立派な尻尾で強固な石製の地面を、ばしんと叩いた。スフィーダ、またびくっとしてしまったのである。
「おまえは魔女だ。同時にこの国の女王だろうが。しゃんとしろ。しゃんとしているうちは、俺たちは新しい寝床を探そうとは思わん。なあ、そうだろう、イーヴル?」
眠っていたはずなのに、イーヴルが目を開けたことが確認できた。紫色の大きな瞳だ。美少年だ。悠久のときを生きる吸血鬼が、同じく不老のスフィーダに流し目をくれた。
「俺は……敗れた身だ。でも、スフィーダはまだ負けていない。だったら、がんばれ……。ドル・レッドもきっと、そう言いたい……」
「おやおやおや、俺の思考を読んでみたのか、イーヴル」
「そういうわけでもない、よ……」
イーヴルは、また目を閉じた。どうしてだろう。なんだかんだ言われていたのに、イーヴルの声こそが、最も胸に響いた。
スフィーダは俯き――俯くと、また涙が落ちた。
「やられたのであれば、やり返さなければならん。もはや状況が終わるまでのあいだ、わしらはただの戦争屋じゃ」
ヨシュアが「攻め入りますか?」と訊ねてきた。「むろんじゃ」と答えたスフィーダである。「フォーメーションはどうする?」と問いかけた。
「陛下、決まっています。レオ准将を地上戦に出す以上、たとえばフェイス・デルフォイの相手は誰がするのか」
「誰がするのじゃ?」
「エヴァ・クレイヴァー少佐です」
「エヴァが?」
「彼女はフェイス氏にえらく恨みを抱いているようです」
「その理由から来る衝動については、言わずもがななのじゃろうが……」
ヨシュアがスフィーダのことを膝にのせ、うしろからぎゅうぅと抱き締めてきた。そこにあるのは愛なのか忠誠心なのか――前者であってほしい。
「明日、アーカムの首都、プレアの上空に出ます。その報告を受け次第、彼らは出てくるはずです。その場にネフェルティティ様がいないのであれば是非もなし。王宮に攻め入り、かの御仁の首を刎ね、それを持ち帰るだけでございます」
スフィーダは心地のいい抱擁のなか、ゆっくりと首を横に振った。
「のぅ、ヨシュアよ、思うのじゃ」
「わかります。アーカムの軍事力は我々のうえにあっていい。なのにどうして我々が制空権を得られるのか……」
「ネフェルティティが舐めておるというのか?」
「違います。ネフェルティティ様は人材に恵まれていないということです」
「それは以前から、薄々、感づいていたことではあるのじゃが……」
「戦いましょう。そうすることでしか、なにも打開することはできない」
曙光はどこまで関わるつもりなのじゃ?
スフィーダはそう訊ねた。
すると、「曙光にとっては、遊びでございましょう」と返ってきた。
賢い賢いネフェルティティのことだ。
そのへん、知らないわけがない。
悟っていないはずがない。
「まったく、頭が痛い」
ヨシュアの声には軽蔑ではなく、ある種の憐憫が含まれていたように思う。




