第561話 嘘つき、ネフェルティティ。
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ネフェルティティとネレウスとフェイスが相手をしてくれるわけだ。こちらはスフィーダとヨシュアとレオである。
そういう約束をしたはずなのである。
なのに、指定された座標、その上空に三名の姿はなく……。
「なんじゃ。おらんではないか」
スフィーダはそんなふうに言い、内心ではほっとしていた。
戦わずに済むのであれば、それに勝る幸運はないからだ。
しかし、空にぷかぷか浮きながら、左を向けばヨシュアが、右を向けばレオが目を見開いていて――。
「レオ准将!」
「こちらはお任せください。ですから、お早く――!!」
「陛下!」と、ヨシュアに呼びかけられた、大きな声で「アルネに、首都に戻ります。よろしいですか!」
「そ、それはかまわんが、おまえはなにを焦って――」
そこまで言ったところで、左の頬をぶたれた。思いもしなかったことだ。だからスフィーダ、「な、なにをするのじゃっ!」と怒鳴ったのだけれど、そんな怒気なんて即座に削ぎ取ってしまうようなヨシュアの怖い顔があって――。
「そこまでやりますか、ネフェルティティ様……」
そう言うと、ヨシュアはスフィーダの身体ごと、飴色の筒で包んだ。
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飴色の筒から解放され、プサルムの首都「アルネ」の上空に出たのである。
そして、スフィーダは目を疑ったのである。
「なん、じゃ、これは……?」
首都は火の海と化していた。ほんとうにそうとしか表現のしようがない。城下ではヒトが逃げ惑い――否、いったい、何人が、どれくらいの数がまだ生きている……?
ヨシュアが街の上空を、地上を守るべく、もはや問答無用で魔法を放っている。見境がない。敵は全部、駆逐するつもりだ。そこには安らかさもエグさも関係ないことだろう。ヨシュアは気が気でないはずだ。少なくともこの地獄の底のような火の壺にあって、部下は生きているのか、知り合いは生きているのか、自らの妻は生きているのか、そのことで頭がいっぱいであるはずだ。
スフィーダはもう、しゃくり上げている。わかった。さすがにもうわかった。ネフェルティティはプサルムの主力の動きをすべて把握したうえで、プサルムに大打撃を与えるべく、前代未聞の不意打ちをぶちかましてきたのだ。
どこじゃ?
どこじゃ?
そんなふうにして、ネフェルティティの姿を探す。見当たらない。どうしよう、どうしよう。自分は魔女だ。悪だくみの果ての兵とはいえ、ヒトなのだから、そう簡単に命を奪うわけには……。
そのとき、うしろからぽかっと頭を叩かれた。その人物はすぐ右隣に顔を出した。両手に細い剣を携えた、真っ赤な髪の若者、ケイオス・タールだった。
「ちゃんと働きなよ、女王様! 向こうのニンゲンは快楽的にヒトを殺してるんだよ!!」
「快楽的……?」
ぼやけた発言をすると、ケイオスが、ぐっと顔を近づけてきた。
「ネフェルティティさんとネレウスさんとフェイスさんがいたら、それはもう強気になるよね? なんでもできるって思っちゃうよね?」
「し、しかしじゃ、ケイオス、わしは――」
ケイオスに左の頬を張られた。
今日はよく頬を張られる日だなと思う。
「ウチのカレンさんはどうなってるかわからない。ヴィノー閣下の奥さまだってそうだよ。理解してよ、少しくらいは。全部殺さなきゃ、全部、持っていかれちゃうんだ」
「じゃ、じゃが、ケイオスよ、わしは魔女なのじゃ。ヒトを簡単に殺めるなど、そんなことは……」
「だったら一生、そこでぼーっとしてなよ。静かになったら、俺はあなたの首すら刎ねてあげる」
「ケイオス……」
「俺は戦うよ。なにも失いたくないから」
ケイオスが勢い良く降下していく。どれだけ火柱が上がっていようが、そのなか目がけて、突っ込んでいく。その様子を茫然と見ていた。思考がふわふわしていてまるで自分の頭ではないみたいだ。
紅色の女――フェイス・デルフォイが空中にあって、スフィーダと対峙した。馬鹿みたいに笑っている。この光景は状況は、馬鹿みたいにおかしなことなのだろうか。自らの国の民が、ニンゲンが、いいように殺されてしまっている。それは理解している。だが、その理解についてきてくれるような気持ちが湧いてこない。
ネフェルティティはどうして、我が国を蹂躙するのだろう。
悪魔のように、人殺しを続けるのだろう。
フェイスが魔法で編み出した金色の剣を振りかぶり、迫り来る。身じろぎ一つできない。不思議と戸惑いのあわせ技。結果として、はらはらと涙を流しながら、ぼーっとしてしまっている。
そのとき、目のまえにヨシュアが現れた。彼は両手を大きく広げると、スフィーダのことを強く、強く抱き締めた。音はなかった。ただ、自らの後方への力は感じた。はっとなると同時に、フェイスの斬撃をヨシュアが身を挺して、背中で受けてくれたのだと理解した。
フェイスが「ごめんあそばせ、ヴィノー様ぁぁっ!」と笑った。スフィーダは一気に心配になって「ヨシュア、ヨシュア!」と叫んだのだが、そのヨシュアはなんともないとでも言わんばかりの顔をしていた。
「まずは自衛を。余裕が出てきたようであれば、民の防衛に尽力を」
フェイスにヨシュアが突っ込んでいく。背中には斬撃の痕。交差する格好で血がにじんでいる。
それを見た瞬間、スフィーダのなかで、なにかが変化した。
とにかくその衝動はスフィーダの心を焼き、いままでの過ちを予感させた。
スフィーダはそれほどスピードを上げるわけでもなく、泣きながらでもなく、むしろ無表情で、黄色がイメージカラーの敵に――結果、囲まれた。
スフィーダは悲しかった。
悲しみのなかにある悲しみは、悲しみですらないと考えた。
「おまえたちは退け。いまなら殺さん」
すると、黄色の兵らは「ひゃっひゃっひゃ」と笑って。
ここにきてまた、スフィーダの目にはじわりと涙が浮かんだ。
ネフェルティティ……信じていた。
彼女の統率力はおろか、人格も、信じていた。
でも、なのに、いま目のまえにいる兵はどうだ?
自らの優勢を確信するやいなや、下卑た様子で笑っているぞ?
スフィーダは鼻をぐしゅぐしゅ鳴らしながら、ぶらさげたままの腕の、手の、拳を、ぎゅっと握った。猫みたいに背を正した。
スフィーダは自らを取り囲んでいた黄色の兵らを、刹那の炎で滅した。
自らが守らなければならない者。
自分がやっつけなければならない者。
二千年以上生きてきて、それがやっと、明確に、鮮明になった気がした。




