第56話 イチヤ・ノ・ユメ。
◆◆◆
今宵もスフィーダは爆睡していた。
超がつくほどの爆睡だ。
しかし、ノックの音で申し訳程度に覚醒した。
コンコンコン……。
コンコンコン……。
ノックは続く。
ひょっとしたら、ヨシュアが急用を携えてきたのかもしれない。
一割か二割くらいしか機能していない脳でそう判断し、起きることにした。
のろのろと上体を起こし、もっとのろのろとした動きでベッドからおりる。
私室は真っ暗なので、右手の人差し指の先に魔法でちょろりと火を灯した。
出入り口に向かう。
もうノックはない。
人気を近くに感じたのだろう。
ヨシュアなら、それくらいは察する。
スフィーダは「なんじゃあ? ヨシュア。何用じゃあ?」と眠気を存分に孕んだ声を発しながら、戸を押し開けた。
立っていたのはヨシュアではなかった。
熊のように大きな体のフォトンだった。
スフィーダの眠気は一気に吹き飛んだ。
指先の明かりも消えてしまった。
「フォトン、どうして……。おまえは任務の最中ではなかったのか?」
そう。
フォトンは南東の国境線で警備の任に当たっていたはずだ。
口が利けないので、フォトンはなにも言わない。
ただただ無表情のまま、突っ立っている。
もともと、愛想よしのニンゲンでもない。
これがデフォルトだと言っていい。
スフィーダはとりあえず、私室から出た。
すると、どうしてだろう、フォトンは自らのマントをはずした。
黒く大きなそれを使って、彼女のことをまるっと包んだ。
それからスフィーダの体をひょいと横抱きにした。
抱き上げられる際、あまりの唐突さにびっくりしてしまい、彼女の口からは「ひゃっ」と声が出た。
「ど、どこに連れていこうというのじゃ?」
フォトンは「ひ・み・つ」と口を動かしたのだった。
◆◆◆
スフィーダのことを抱いて、フォトンは飛ぶ。
誰にも見られぬよう、高高度をハイスピードでゆくため、寒さ対策としてマントで包まれたのだと彼女は知る。
それでも寒い。
だが、我慢できないほどではない。
身を切り裂くような風に目を細める。
正面には三日月。
薄雲がかかっている。
どれくらいが経過しただろう。
それほど長い時間には感じなかった。
フォトンが地に、砂浜に下り立った。
そして、スフィーダを下ろした。
彼女からマントを取り去った。
正面に広がるは海。
見渡す限りの大海。
黒い水面に月が映っている。
ほどよい気温、風はない。
細かな砂が裸足の指のあいだに入り込み、くすぐったい。
「海じゃーっ!」
スフィーダは万歳をしてそう叫んだ。
城の外に出るなんて久しぶり。
海を見るなんていつぶりだろう。
駆け出す。
波で足を濡らす。
水を蹴り上げる。
ぴょんぴょんとジャンプする。
振り返る。
フォトンがほんの少しだけ笑っている。
彼のもとまで駆けた。
屈んでもらって、太い首に両腕を絡めた。
強く強く抱きついた。
ありがとうと言った。
笑って言ったつもりだったのだが、目尻から涙がこぼれた。
夢のような、一夜になった。




