第557話 かすかな答え。
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プサルムの軍は、ついにハイペリオンにおける戦況を押し戻すどころか押し返し、それはいよいよ、レオ・アマルテア准将の功績だ。自ら、地から空から敵を焼いているらしい。反則と言っていいほどの火力を持つ彼女だからこそ、それはゆるされ、また可能なのである。
玉座の間、スフィーダの隣で伝令からその旨を聞いた瞬間、いつもはそんなことはしないのに、ヨシュアが小さく右手を上げてみせたのだった。なにやら考え抜いてからのアクションに見えた。
「どうした、ヨシュア?」スフィーダ、少しびっくりである。「なにか言いたいことでもあるのか?」
「陛下」
「だから、なんじゃ?」
するとヨシュアはスフィーダのほうを向いて、いきなり片膝をついた。
「だっ、だから、どうした、ヨシュア」
「ネフェルティティ様に会ってまいります」
「へっ?」寝耳に水だった。「まだ話し合いでなんとかなると考えておるのか?」
「そうは申し上げません。ですが、私どもは、これでは勝ってしまう」
スフィーダ、眉をひそめる。ただなんとなく、ヨシュアの言い分が悲しみと慈しみにあふれていることだけはわかった。自分もいる、ヨシュアもいる、フォトンもいる。どう考えても、ネフェルティティがどれだけ強くても、彼女だけで凌ぎきれるとは思えない。
「最後通牒というわけか?」
「私としては、もう少しやんわり、むしろ、手を取り合えないかと」
「それはそうじゃ。ぜひともそうしてもらいたいぞ」
「アーカムの主権は保障します。セラー首相ともその筋で話をつけます」
「その折には、わしも協力するぞ。賢明なアーノルドのことじゃ。嫌とは言うまい」
「順番が反対になっていることについては、申し訳ないのですが」
「じゃから、ネフェルティティ、奴めを説き伏せるにあたっては協力を惜しまん」
ヨシュアは「では」と言って、移送法陣を使った。ハイペリオンとアーカムとの国境まで飛んでいったのだろう。
◆◆◆
プールで泳いでいただけませんか。
私は陛下の水着姿を見とうございます。
土曜日の早朝、疲れた様子で訪ねてくるなり、ヨシュアは苦笑のような表情を浮かべたのである。なにがなんだかよくわからない話だが、スフィーダは私室で真っ白なビキニに着替えてじゃーんと登場し、プールに飛び込んだ、とぅっ!
侍女から真っ白なバスタオルを受け取ったヨシュアが、プールサイドに立っている。ほんとうに、いつになく疲れているように見える。目を合わせると、やっぱり苦笑いを浮かべ……。
「まだ泳がんといかんか?」
「いえ、もうじゅうぶんでございます」
スフィーダはプールサイドに腰掛け、ばしゃばしゃと足で水を蹴った。ヨシュアがうしろからタオルで包んでくれた。――と、抱き締める調子があったので、少し面食らった。やんわりとではあるが、彼の前のめりの体重を、彼女は狭い背に、ひいては小さな身で受け止めたのである。
「ヨシュアよ、なにかあったのか?」
「ほんとうにもう、ひき返せないようです」
なんの話であるかぐらい、無知で阿呆なスフィーダにでもわかる。ヨシュアがプールサイドからひっぱり上げてくれた。髪や身体をやわらかに、こそばゆくなるくらい、丁寧に拭ってくれる。
「ネフェルティティ様の両脇には、誰がいたと思われますか?」
「誰なのじゃ?」
「一人はフェイス・デルフォイです」
「へ、奴めは我が国で拘束中ではなかったのか?」
「それはずいぶんと古い情報ですね」
「むぅ。して、もう片方には?」
「黄金の鎧に身を包んだネレウス氏です。かつては海の王として名を馳せた人物です。彼もいまは、曙光に身を寄せているようでございます」
スフィーダは目を見開き、それから「と、いうことは……」と恐る恐る声を発した。「そういうことなのか……?」と怖々訊いた。
「どうしてでしょう……ほんとうにどうしてそこまでしなければならないのか……。ネフェルティティ様は曙光と手を組まれたのです」
「馬鹿なっ!」スフィーダは勢い良く目をつり上げた。「そんな話は聞いとらんぞ!」
ヨシュアは片膝をつき、今度はスフィーダの太ももあたりを拭い始めた、やはり念入りに、丁寧に。
「私もがっかりいたしました。ただ、こうも思いました。世界第二位の力を誇る国家においても、三番目の我が国は脅威なのか、と」
「ど、どうするのじゃ? 我らはどうすればよいのじゃ?」
「フォトンを指揮官として、目下の曙光の進軍、北東からの侵入を防ぎます。結構な人員を投入します。なんとしても抑止しなければならない」
「じゃったら、西の備えは――」
「おてんばが生じようが、リンドブルム中将がなんとかします」
「じゃったら、攻めは――」
「レオ准将がいます」
「じゃったら、わしらは――」
ヨシュアは立ち上がると、スフィーダのことを軽々と持ち上げ、タオルごと彼女のことを抱き締めた。スフィーダはべつに驚くこともなく、ヨシュアのきれいな銀色の後ろ髪に指を通した。
「わかったぞ。わかっておるぞ。ネフェルティティはおまえが討て。そういうことじゃな?」
「デルフォイとネレウスは、レオ准将と私でなんとかします。お願いいたします。どうか、ネフェルティティ様に心地の良い最期を……」
スフィーダの頬は涙で濡れ、表情は悲しみでゆがむ。
「なぜじゃろうのぅ、なぜじゃろうのぅ。わしとネフェルティティは家族じゃ。あるいは姉妹なのじゃ」
「しかし、ネフェルティティ様が曙光と繋がった時点で、もうひき返せないのでございます」
「立案は済んでいるのじゃろう? であれば、あとは実行するだけじゃ。わしがケリをつける」
「申し訳ございません」
「謝罪すべきはわしじゃ。すまぬ、ヨシュア、ほんとうにすまぬ。どうして魔女同士の戦いにまで、ヒトを関わらせなければならんのか」
「私のところで、なんとかするべきだったのです」
「そんなことはないっ」
スフィーダはヨシュアの左の首筋に、強く唇を押し当てた。これは魔女の戦いだ。もはや、そうなのだ。なのに、それにヒトを、誰よりも優しいヒトを巻き込み、その人物を心から悩ませてしまうだなんて……。
ヨシュアがここまで口惜しげな口を利くとは思わなかった。
彼の涙声を聞いたような気がした。




