第552話 腹を括るより他にない。
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アーカムより戻った夜、スフィーダの私室には彼女の他にヨシュアがいる。
スフィーダはベッドの端に座り、ヨシュアは椅子に腰掛けている格好だ。
暗闇の中、机の上のランプの灯りだけが明るい。
スフィーダは困っているし、怒っている。
ネフェルティティが「ヨシュアが欲しい」など言ったからだ。
以前からそのような物言いはしていたのだが、国を天秤にかけてきたのだから、どうかしていると思わざるを得ない。
プサルムを救いたければヨシュアを寄越せ。
その言い分のとんでもなさに、ネフェルティティは気づいているのだろうか。
気づいていないわけがない。
奴は無茶を言っている。
国家元首が聞いて呆れるというものだ。
そのへん、もちろん、理解しておるのじゃろう?
スフィーダはヨシュアにそう訊ねた次第だ。
「わかっております」というのが、ヨシュアの答え。「ただ、かの女王陛下は、どこまで本気で物をおっしゃっているのかわからない」
「まあ、そうなのじゃが……」それはスフィーダも認めるところだった。「ヒトが一人降れば兵を引く……。奴にとってはわかりやすい構図なのかもしれんが、おまえが言った通り、どこまでガチなのかわからんの」
「しかし、たとえば」
「たとえば?」
「いえ。私がネフェルティティ様のおそばにいれば、戦火の拡大は防げるだろうと思いまして」
「それは間違いないのだと言っておる」スフィーダは吐息をついた。「無茶ぶりされまくっている以上、簡単におまえをやるわけにはいかんぞ」
「嬉しいお言葉です。キスをしてさしあげましょうか?」
思わぬ唐突なセリフに、スフィーダは「へっ? へっ?」と戸惑ってしまう。
顔もきっと、実った桃みたいに赤みを帯びている。
「冗談ですよ」とヨシュアは笑った。
「ぶぅ」と口を膨らませたスフィーダである。
「しかし、こうなってしまった以上、もはや是非もなし。ぶつかり合わなければなりません」
「わかっておる。じゃがのぅ、ヨシュアよ、じゃがのぅ……」
「極論、ヒトとネフェルティティ様のどちらが陛下にとって大切なのか、そういう話になります」
「……ネフェルティティは」
「ネフェルティティは?」
「あっちは望まんでも、わしは家族みたいに思っておるのじゃ……」
ヨシュアはランプに横顔を照らされながら、「であれば、いかがいたしましょう?」と問うてきた。
スフィーダは苦笑した。
「いや。なんでもない。たとえ家族であろうと、間違いを犯した者は、律し、正さねばならん」
「事をかまえるのですね? それをよしとされるのでございますね?」
若干の逡巡はあったが、「うむ」と頷いてみせる。
「このまま進捗するのであれば、誰かが首を刎ねてやらなければならん。その役目がわしであることを、心から願ってやまん」
胸に右手をやり、深く息をついたヨシュア。
彼らしからぬ、大仰な仕草だ。
「私は決して、ネフェルティティ様が嫌いではないんですよ。陛下さえいなければ――」
「いなければ?」
「いえ。なんでもありません」
気持ちを入れ替える、あるいは気持ちを込めるつもりで、スフィーダはバッと両手を突き上げた。
「やるぞ。もはややむなし。戦時下じゃ」
「総力戦になります。私は前を向きたい」
「後顧の憂いなく戦いたくば、どうしたらいい?」
「首都は例によってケイオスとルナとその他の部隊が、それ以外はフォトンとリンドブルム中将に出張ってもらいます」
「国境は?」
「引き続き、レオ准将に担ってもらいます。彼女は鼻息が荒い。ようやく出番が来たのか、と」
「戦闘的すぎるのは買えん」スフィーダはまたも苦笑する。「じゃが、それぐらいの気概でいてもらったほうが、よいのかもしれんの。戦をするに必要なのは、なにより思いと気持ちじゃ」
「指示が伝達され次第、開始いたします」
「長い戦争にならんことを祈る」
「強国同士の火花。だからこそ、あっという間に、事は散って沈みます」
目を閉じ、スフィーダは大きく息を吸った。
「わしらの仲もこれまでか、ネフェルティティよ……」
するとヨシュアは、「最大限努力します」と言い、出て行った。
なにを努力するのかまでは、明言してくれなかった。




