第521話 晩餐会と馬。
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なぜだかとんとん拍子に話は進み、今、スフィーダはヴィノー家の邸宅にいる。
「週末に晩餐会を執り行います。出席なさいませんか?」
ヨシュアのその一言がきっかけだった。
まさかまさかの提案だった。
だって、「玉座の上が定位置です」とばかり言われているからだ。
ホールに入るにあたって、ドアマンが目を大きくした。
びっくりしているに違いないのだ。
なにせスフィーダってば、女王陛下なのだから。
ヨシュアに続いて、スフィーダはホールに入った。
「ほえー」
などという間抜けな声が漏れた。
赤を基調とした広い絨毯は高そうで、大きなシャンデリアも値が張りそうだ。
そしてなにより、ヒトの多さにびっくりした。
なんだか悪いことをしているような気になってしまい、スフィーダはヨシュアの陰に隠れた。
彼の背の布をぎゅっと掴む。
こっそり顔を覗かせる。
「陛下、かまいませんから、いつものように、威張ってくださいませ」
「わわ、わしは常日頃から威張っておるつもりはないぞ?」
「言い方を変えます。かわいいスフィーダちゃんをご披露なさってくださいませ」
「む、むぅ……」
スフィーダがいまだもじもじする中、ヨシュアが「食事の準備を!」と大きな声を発した。
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立食形式である、ブッフェというヤツだ。
料理が並べられている丸いテーブルは、スフィーダからすると少し高い。
だから、あれこれ言うと、ヨシュアが取り分けてくれる。
食いしん坊の彼女は、「おぉーっ」と目を輝かせる次第である。
皿を持ったまま、んむんむと満足しながらローストビーフを堪能していると、もう年寄りと言っても過言ではないくらいの痩せた男が、スフィーダの前で片膝をついてみせた。
ジャケットの左の胸に立派な勲章がついている。
文化功労者に与えられるモノだ。
「やめよやめよ。わしはとってもリラックスしておる。そなたにもそうあってもらいたい。でなければ、わしは泣きじゃくって帰ってしまうぞ?」
老人は「ご冗談を」と言い、微笑んだ。
「とにかく立ってくれ。申し訳なくてしょうがない」
「しかし、見下ろすわけには――」
「よいと言っておる。わしは幼女じゃ。ぜひとも見下ろしてやってくれ」
「やはりスフィーダ様はお優しい」
立ち上がると、老人はいよいよ破顔した。
「私は競馬もゴルフもやります」
「おぉっ、そうなのか?」
エルンスト・スタイナー公爵。
彼の意志を受け継ぐ格好で、スフィーダは競馬においても、ゴルフにおいても、自らの名を冠した賞を受け持っている。
ようやく肩の力が抜けたのか、出席者らは食事を楽しんでいるようだ。
まさに、待ってましたの状況である。
「エルンスト公爵からのご依頼をスフィーダ様が受け取られたと耳にしたとき、私はとても妬きました。羨ましかったのです」
「エルンストが長くないがゆえのバトンタッチじゃ。そう喜べたものでもあるまい」
「そうでございますね」
老人は目を閉じ、小さく頷いた。
「ゴルフはよいのです。自らの力だけでなんとでもできますから。しかし、馬はいけない」
「どういうことじゃ?」
「ゴルフで死人が出たという話はまず聞きません。ただ、馬が死んだという話はそれなりに耳にします」
死という言葉を聞かされると、ドキリとして、気が気でなくなるというものだ。
「愚直に走る馬が死んでしまうのか? どうして死んでしまうのじゃ?」
「馬は脚を一本折るだけでも、生きてはいけません」
「そ、そうなのか?」
「馬の精神は強い。ですが、体は結構、ひよわなのです」
「レースで脚を折ってしまうようなことがあれば、それで終わりだということか?」
「その通りでございます」
「そんなの、医者の力でなんとかなるのではないのか?」
「それが無理だからこそ、競走馬は尊いのです」
「じゃあ、わしのレースでもケガをした馬がいれば、予後は不良だとされてしまうわけか?」
「はい。悲しいですか?」
「そうに決まっておるじゃろうが」
スフィーダは泣きそうになるところを、右手で両目を拭うことで耐えた。
「馬は尊い生き物だと思う。しかし、馬は馬で、報われんケースもあるのじゃな……」
「それでも馬は素敵なのです。ヒトと一体となってゴールを目指す。そこになんの疑いを持てばいいことでしょうか」
「エルンスト・スタイナー。奴めはよい男だったのじゃな」
「私は敬意を抱いています」
スフィーダは皿の上のモノをがつがつと食し、それからヨシュアに「ワインを持ってこい!」と指示を出した。
「幼女なのです。陛下、その旨、ご存じですか?」
「飲んだことはある。酔っ払ったこともある。いいから持ってこいっ」
「後悔されますよ?」
「あとのことは任せる。最後はおまえがわしを私室にまで連れていけ」
「途方もないくらい高いものがございますが?」
「安いものでよい。ワインの味などわからんからの」
「承知いたしました」
「今日はよい気分じゃ」
「そうなのですか?」
「そうなのじゃ」
ヨシュアが笑った。
「くどいようですが、幼女の体ですから、深酒はやめてくださいませ。しかし、陛下を私室にご案内することはお約束いたします」
「おまえはイイ奴じゃの、ヨシュア」
「今後もイイ奴でいたいと思う次第でございます」
世の中には魅力的な男が、ことのほか多いようだ。




