第510話 ネフェルティティとの夕涼み。
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久々の飛空艇。
アーカムまでの旅路である。
ロッキングチェアーの上で足をぷらぷらさせている、スフィーダ。
向かいのごく普通の椅子に陣取り、小説を読んでいる、ヨシュア。
そして、室内にはもう一人、マキエ・カタセ少尉の姿がある。
「マキエ、よいぞ。ベッドにでも腰掛けてくれ」
「スフィーダ様、それはできないのですよ。なにせ厳命なのですから」
厳命。
そうであるらしい。
マキエ・カタセはフォトンの部隊の有望株なのだが、部隊は今、手が空いているらしく、だからスフィーダの護衛に回されたのだという経緯がある。
彼女に得難い経験をさせようというわけだ。
マキエが大あくびをした。
でも慌てて弁解しないあたりが、彼女が大物たる所以だ。
「ああ、失礼いたしましたですよ、スフィーダ様。でも、本気で眠いのです」
「マキエよ、そなたは護衛には向いていないようじゃな」
「うぉぉぉぉ……。やはりそうなのでしょうか」
「い、いや。頭を抱える必要はないのじゃが」
「それにしてもなのですよ!」
「う、うむっ。いきなり声を高くしてどうした?」
スフィーダ、マキエがいきなりバッと顔を上げたのでびっくりした。
「命に代えてもスフィーダ様はお守りするのです。約束なのです」
「マキエがやり手なのは知っておるつもりじゃ。しかし、いざというときには、わし自身でなんとかするぞ」
「お手を煩わせたくないのです」
「フォトンから、そう?」
「まあ、そんなところなのです」
「なれば、身の安全については、マキエに頼ることにしよう」
「お任せくださいなのですよ」
◆◆◆
浅い川のほとりに豪奢な金色の一席が設けられている。
金色、金色、金色だ。
ネフェルティティは本当に趣味が悪い。
静かな川のそばでの出迎えあれば、もう少し大人しくてもいいだろうに。
それでも、川を見る格好だから、それほど雰囲気は悪くないのである。
「よくぞ参った、スフィーダよ」
ネフェルティティは相変わらず偉そうだ。
彼女の隣にはえらく顔立ちの整った若い男子が座っている。
側近なのだろうが、名を訊く気にすらならない。
とっかえひっかえだからだから、覚えたところで意味がない。
「そして、よくぞ参った、ヴィノー閣下」
ネフェルティティの場合、ヨシュアを呼ぶときのほうが力が入っている。
彼のことを側近として迎え入れたいのは、もはや言わずもがな。
「してスフィーダよ、後ろに控えている女は何者じゃ?」
「マキエ・カタセという。そう簡単にはやられんし、くじけんぞ」
「誰が戦闘を申し出た?」
「おまえは信用ならん」
「長い付き合いぞ」
「二度目じゃ。それでもおまえは信用ならん」
これは異なこと。
そう言って、ネフェルティティは高らかに笑った。
「それはそうとスフィーダ。この席は涼やかだとは思わんか?」
「その点は否定せん。この河原は非常に涼しげじゃ」
「ヴィノー閣下をもらい受けたい」
「馬鹿め。おまえはそうやっていきなり明後日のほうからモノを言うのじゃ」
ネフェルティティがお吸い物をすすった。
先ほどから、松茸の香りが漂っているのである。
「飲んで食ってするがよいぞ、スフィーダよ。誰も咎めん」
「なんの話かと訊いたつもりじゃが?」
「だから、ヴィノー閣下をもらい受けたいと申しておる」
「まだのたまっておるぞ、ヨシュア。おまえはモノ扱いされておる」
スフィーダの左隣で、優雅に笑んだヨシュアである。
「ネフェルティティ様。私はプサルムを離れるつもりはない、と」
「その点、非常に疑問である」
「と、いいますと?」
「プサルムと比べれば、我が国のほうが力に優れておる」
「そうでございますね」
「また、国民すべてが強くある」
「それも事実でございましょう」
「そなたのことが欲しい」
「それは叶わないと申し上げているつもりです」
「そう、か……」
いきなりだ。
マキエが「しゃべってもよろしいですか?」と訊ねてきた。
もうすでに発言しているのだが、一応の確認をとったということだろう。
「なんじゃ、マキエよ。言ってみよ」
「聞いてはいましたけれど、ネフェルティティ様は寂しい方なのですね」
「へっ……?」
スフィーダの目は点になった。
ネフェルティティもそうらしいが、彼女の場合、笑い飛ばした。
「マキエといったか。その通りである。わらわは寂しさの中で生きておる」
「やはりそうですか。でもですね、ネフェルティティ様、残念ながら、我が国は盤石です。ヴィノー閣下はなびきませんし、国としてもひれ伏すことはないのですよ」
ネフェルティティの側近らしき男が、「きっさまあぁっ!」と声を荒らげ、立ち上がった。
まだ若いであろうその人物に、マキエは即座に右手を向けた。
いつでも魔法で仕留められるというサインだ。
「男のヒト。黙っていていただけますか? 私は今、ネフェルティティ様と話をしているのです」
「くっ……っ」
「いくらネフェルティティ様でも、この距離では防ぎようがないと思うのです。スフィーダ様にもヴィノー閣下にも、あまり無礼を働かないでほしいのです。あるいは私が怒り狂ってしまいますから」
ネフェルティティはクックと笑って。
「わらわも舐められたものじゃ。死にたければなにをしてもらってかまわん」
するとマキエは右手を引いて。
「死ぬのは嫌です。だから、やめておこうと思います」
今度はフフと不敵に笑ったネフェルティティ。
「マキエとやらは賢明なようじゃ。そういうニンゲンを、わらわは好く」
スフィーダは「別に議題はないのじゃな? だったらもう帰ってもよいか?」と訊ねた。
「かまわんぞ。呼びつけてすまなかった」
「ネフェルティティよ。おまえにそんなふうに言われると、気持ちが悪くてかなわん」
「宿を手配してある。泊まってゆけ」
「じゃからネフェルティティよ、わしは――」
「広いベッドで眠ってゆけ。幼女の体での長旅は疲れるものであろう?」
「その優しい言葉。いったいおまえはなにをどうしたいのじゃ?」
「そういうわらわもいるということでしかない。甘えておけ」
スフィーダはやっぱり、ちょっと変だなと思った。
ネフェルティティは、あるいは世界を牛耳ってもおかしくない存在だ。
スフィーダはそう思っている。
それくらい買っている。
ただ、側近にはあまり恵まれていないことも知っている。
だからヨシュアを欲しがるのだ。
ひょっとしたら、ヨシュアならネフェルティティすらコントロールするのかもしれない。
しかし彼は、そちらのほうへとなびくつもりはないのだ。
部下に恵まれたことを喜ぶと同時に、ネフェルティティ、やっぱり彼女は不憫なのかもしれないなと感じた。




