第502話 贄、その二。
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藁を頭にのせただけの、優しい小屋がいくつも建っているだけの山中の村。
ハインドにおいて、それがついた先だった。
村長らしい。
老人、彼の小屋は他のと比べると少し大きく、そうは言っても慎ましげなたたずまいである。
藁が敷かれた地べたに座り、スフィーダはぷんすこ、腕を組んでいる。
彼女の隣にはヨシュアの姿、彼は座っても肘を抱えたままでいる。
「わかった。村長よ、よぉくわかったぞ。山賊連中はわしがまるっと片づけてやる。任せておけ」
村長は仕方なさそうに笑った。
「ですからスフィーダ様、そうしてしまうと、未来永劫の憎しみを生んでしまうだけなのです。私どもの村は一生、見逃してもらえなくなってしまいます」
「根こそぎ狩ってやれば、問題はあるまい?」
「それは無理だと申しておるつもりです」
「なぜじゃ? それはどうしてじゃ?」
ヨシュアが「ヒトの世とはそういうものだからでございますよ」と口を挟んだ。
「元を叩けんというのであれば、ヨシュアよ、どうしておまえはここを訪れたのじゃ? おまえはなんとかすると言ったではないか。矛盾しておるぞ?」
「陛下にはできないことでも、私にはやることができる」
スフィーダは眉をひそめたのち、怖い気持ちに駆られた。
なんだかヨシュアが邪な笑みを浮かべているように見えたからだ。
外がなんだか騒がしい。
「来ました」
村長が浮かべたのは、苦笑い以外のなにものでもないだろう。
◆◆◆
ヨシュアがいち早く、高床式の小屋から踏み出た。
スフィーダも続いた。
例の女子だ。
レイラが真っ先に、野卑極まりない山賊のもとへと駆け寄る。
それこそ、「私を贄にするから村人には手を出さないで」といったふうに。
レイラが野蛮そうな男に抱き寄せられる。
男は村に向けて、火を放つ。
そう。
魔法が使える連中らしいのだ。
即座にヨシュアが反応した。
魔法を使い、雨を降らしたのだ。
薄曇りの空にあって、彼の真っ白な魔法衣が浮かび上がる。
水に濡れ、銀色の髪は湿り気を帯び、その背は悲しそうに見える。
山賊は結構、やるらしい。
だからスフィーダ、とっとと参戦しようとした。
だが、そこをヨシュアに右手だけで制止させられて。
山賊が結構できるから、余計に為す術がなかったのだろう。
力尽くで従わされ、また従うことしかできなかったのだ。
これまで何人の女子が犠牲になってきたのかと思うと、涙が出そうになる。
自らが設けた雨で濡れているヨシュアの背は、怒っているというより、本当に、悲しげに見える。
スフィーダはヨシュアのあとをついていく。
それくらいは、ゆるしてもらえた。
ヨシュアはいっさい、手を上げない。
上げない中にあって、地から雷を発生させ、山賊どもを一掃した。
静かにだが、怒っているのは明白だ。
残った奴、恐らくリーダーであろうひげもじゃの男が、しかめっ面をした。
片腕には相変わらず、レイラのことを抱いている。
「どっかで見たことがあるって思ったら、ヨシュア・ヴィノーだな?」
「それがなにか?」
「俺はどうだ? 結構、使えるように見えるか?」
「見えますね」
「だがなあ、そう見えたところで、俺は下っ端なんだよ。この場はおまえがなんとかしても、先々の結果は変わらないぜ?」
「わかりました。しかしそう言って、私が引き下がるとお思いですか?」
ひげもじゃは「ぐはっははは!」と下品に笑った。
「知ってるぜ。アンタの女房、前にさらわれたんだよなぁ? 俺達にも似たようなことができるんだぜぇ?」
雨が降りしきる中、ヨシュアは大声で、狂ったように笑ってみせた。
「いいですよ、かまいません、やってみなさい。私のためとあれば、妻は喜んで死にますよ」
「犯しに犯されてもか?」
「ええ」
「そんなこと、おまえはゆるせるのか?」
「ゆるせないから、私は今、ここにいるんですよ」
ヨシュアが男にゆっくりと右手を向けた。
「いいのか? アンタに殺されるより早く、俺はこの女を殺すぜ?」
「貴方にもお母上くらいはいるでしょう?」
「……なに?」
「手足の爪を剥いだ上で指を潰し、鼻を削ぎ、目玉をくり抜きます。そうですね。あと、乳房を割いて膣くらいは壊して差し上げましょうか」
男の目に初めて恐怖が宿った。
「ば、馬鹿言え。そんなこと、できるわけが――」
「私がじきじきに手を下します。お任せください」
「だだ、だから、そんなの、できるわけが――」
「山賊さん、私はね? 魂など、とうに悪魔に売り払っているんですよ」
「わ、わかった。返す。こんな娘、くれてやる」
「こんな娘とはご挨拶ですね。まあ、いいでしょう。来なさい、レイラ」
男から解放されると、一歩目、レイラはつまずいた。
雨の中、慌てたように駆け寄り、ヨシュアの胸に飛び込んだ。
レイラは泣いた。
大きな声を上げて、子供みたいに、泣いた。
「ひげもじゃの貴方」
「な、なんだよ」
「こういうことはね、その場で決着をつけるべきなんですよ。だから私はそうしようと考えます。私がお伝えする答えは」
「答えは……?」
「あなた達は、罰点です」
ヨシュアの右手から飛び出した炎が、あっという間にひげもじゃの体を包んだ。
ひげもじゃの「ぎゃああああっ!」という悲鳴を背に、ヨシュアが戻ってくる。
一人では立っていられないのだろうレイラを横抱きにして。
ヨシュアは曇天を見上げ「この世は悲しい」と、つぶやいたのだった。
 




