第45話 無乳も巨乳も大正義。
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玉座のすぐ後ろに椅子を用意させ、スフィーダはその上に静かに座っている。
三メートルほど離れた位置には、キャンバスと向かい合っているデニスの姿がある。
デニスは水彩画を描くらしい。
「あまりお時間をいただくわけにはまいりませんから」
そう考えているらしく、下書きだけして色は家で塗るとのこと。
モデルを務めるにあたって、スフィーダはロング丈のドレスを選んで待っていたのだが、そしたらやってきたデニスに「ミニのドレスがようございます! ミニのドレスがようございます!」と激しく懇願され、仕方なくそうすることにした。
着替えて私室から出ると、デニスはカエルのように床に這いつくばった。
「おぱんつは白でございますか!? おぱんつは白でございますか!?」
おかげで必死になって裾を押さえる羽目になった。
そんな流れを経て、お絵描きタイムは始まったわけである。
絵のモデルなど、久しぶりだ。
昔はちょくちょくやっていたものだが、最近はとんとご無沙汰だった。
世に多く出回っているスフィーダの肖像画は、当然、ほとんどがコピー品だ。
オリジナルは高値で取り引きされていることだろう。
そのことについて、申し訳なさのようなものを感じる彼女である。
人気者であることは嬉しいが、自分のために大金が動くのは、なんだかよくない気がするのである。
まあそんなこと、考えたところで詮方ないことではあるが。
さて、暇なのである。
絵のモデルとはそういうものなのである。
じっとしていると、不思議と昔のことが頭の中でよみがえってきた。
幾度もモデルはこなしてきたわけだが、その中でもひときわ鮮やかな記憶というものがある。
百年二百年どころではない。
もっと以前のことだ。
あの夜も、こうしてゆったりと椅子に座っていた。
もっと言うと、しとやかに座っていた。
硬い表情なんて浮かべなかった。
終始、微笑していた。
絵を描くニンゲン、男も微笑んでいた。
実に優しい顔をして、木炭を使っていた。
限りある時間を、お互い、とても大切にした。
ああ、そうだ。
そうだった。
あの年のあの日、九月の満月の夜は、過ごしてきた生の中において、最も幸せな瞬間の一つだった。
絵を描きたいと言ってきたのは、ジェル・メルドーという男だった。
メルドー。
すなわち、フォトンのご先祖様だ。
幾代かを数えたわけだが、フォトンには確かにジェルの面影がある。
ジェルも大柄な男だった。
熊みたいに立派な体をした男だった。
大きな声で笑う男だった。
ときどきおちゃらけて、笑わせてくれる男だった。
素直に想いを吐き出す男だった。
そして、家を残すために決断した男でもあった。
そんな男も年老い、しわくちゃに痩せさらばえ、ベッドから離れられなくなり、やがては最期のときを迎えることになり……。
それでも、笑って死んだのだ。
ああ、そうだった。
ジェルはそういう男だった。
ジェルの描いた絵は、家の目立つところに飾られているのだろうか。
それとも劣化しないよう、どこかに保管されているのだろうか。
現在の所有者であるフォトンは、どう扱っているのだろうか。
恐らくは、どこかにこっそり隠してしまったことだろう。
意外と独占欲の強い男だから、きっとそうだ。
あの夜の特別な姿の女王陛下を、一人占めしているに違いない。
「できましたぞっ!」
デニスの大きな声を聞いて、目が覚めたような気分になった。
それくらい深く、ありし日の思い出に浸っていたのだ。
スフィーダは椅子からおりた。
満足げな顔をしているデニスのほうへと回り込み、キャンバスを覗き込む。
すると、実際のスフィーダにはないものが付け足されていて……。
「な、なんじゃ、これは?」
スフィーダ、ぽかんとなった。
だって、胸がえらく盛られているのである。
言ってみれば、巨乳なのである。
「デ、デニスよ」
「なんでございましょう? フフフフフ……」
「フフフフフ、ではない。わしはこんなに巨乳ではないぞ? ぺったんこじゃぞ? だいいち、デカチチだとひどくバランスを欠くじゃろうが。実際、そうじゃぞ? アンバランスにしか見えんぞ?」
「ロリ無乳は大正義でございます。しかし、ロリ巨乳もまた大正義なのでございます」
「言っていることの意味がよくわからんが……」
「ああっ!」
「ななっ、なんじゃ?」
「今日のデニスめは、巨乳を描きたかったのでございます」
「ますます意味がわからんな……。とはいえ、おまえがエロの権化であることは理解した」
「エロの権化。よい称号でございますなぁ……」
「遠い目をして悟ったようなことを抜かすでない」
スフィーダはゆるゆると首を横に振った。
「これを持ち帰り、急ぎ色を塗り、みなのはあはあに役立てたい所存でございます」
「や、やはりはあはあはするのか?」
「はい。すりきれるほどいたします」
「そそ、その表現はあらゆる意味できわどすぎる気が……」
「ヴィノー様は、この絵をどう思われますか?」
デニスが絵を描いているところをずっと眺めていたヨシュアは、すまし顔で拍手した。
「素晴らしい絵です。実に味わい深い」
「巨乳のわしが味わい深いのか?
「幼女なのに大きな乳房。素敵なことと言えるでしょう」
「えらくアンバランスだと言ったつもりじゃが?」
「そうは思いません。盛り方は適切と言えます」
「おまえもまた、ヘンタイじゃったのか」
「少なからず」
「児童ポルノ法に容赦なく抵触するぞ?」
「それがなんだというんです?」
「ええい、男はみな敵じゃ。七つや八つの幼女に巨乳をくっつけるなど、悪趣味にもほどがあるぞ」
「陛下の乳房が大きければ、希望が持てるのです」
「じゃから、無乳ではいかんのか?」
「それはそれで、民にはまた夢を与えます」
「ヨシュアよ、つまるところ、国民はわしになにを求めておるのじゃ?」
「いろいろでございます」
「そのいろいろの中身を言ってみろ」
「お断りいたします。長くなりますので」
スフィーダ、肩を落として吐息をついた。
乳房の大きさなんて、どうでもいいではないか。
デニスが「次は無乳姿のスフィーダ様を描きに参ります」と言った。
対してスフィーダは「いや、胸の話はもういい。じゃから、来るな」と暴言を吐いた。
ヨシュアはクスクスと笑っていた。
シュールだ。
とにかくシュールな一件だった。




