第43話 眠れぬ夜に。
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いわゆるおやすみ三秒を自負または自認しているスフィーダであるが、寝つけぬ夜もあったりする。
少し蒸し暑い。
そこで、パジャマから白いビキニに着替え、髪をアップに結い、バスタオルを手に取った。
バシャバシャ泳いだら体もそこそこ疲れて、眠くなるのではないかと考えたのだ。
私室から玉座の間へ。
プールを目指す。
テラスに出たところで、一キロメートルほど先の空中において、赤や白の光が瞬くのを見た。
スフィーダ、目を凝らすのである。
一キロメートル程度の距離であれば、なんなく目標物を視認できてしまう彼女の視力である。
二人と一頭が浮遊している。
浮遊しながら交戦している。
一人は、普段着と言っていい白い魔法衣に身を包んだヨシュア。
もう一人は、赤い魔法衣をまとう青肌の魔法使い、名は確かイーヴル。
一頭とは、身の丈三メートルほどの翼竜、赤肌のドル・レッドだ。
少年のように映るイーヴルは二度目、ドル・レッドに至っては三度目の来襲である。
やはり今回も移送法陣を使用し、ここ、首都アルネの直上にワープしてきたものと推測される。
イーヴルは、やはり吸血鬼の類だろう。
ドル・レッドについても言えることだが、彼らが何年生きているかなんてわからない。
自分より年を食っているのではないかと、スフィーダは考えている。
そういう結論に至る根拠がいくつかあるのだ。
だからといって、先輩面させるつもりなど毛頭ないが。
それにしても、吸血鬼が赤い魔法衣に身を包んでいるのはなぜだろう。
好みで着ているのか、それとも本当に曙光の者なのかは、現状、図りかねる。
ドル・レッドについても、わからない。
どうして吸血鬼と一緒にいるのだろう。
不可解なこともあるものだ。
イーヴルとドル・レッドの本当のターゲット、それは自分だろうとスフィーダは確信している。
とはいえ、暗殺者と呼ぶには多少ならず手ぬるい。
その点から、彼らの独断的行動だろうと予測がつく。
それにしても、ヨシュアが誰より早く対応できたのはどうしてなのか。
その点、ちょっと不思議だ。
あとで訊ねてみようと思う。
スフィーダ、プールサイドの縁に立ち、しばし考えた。
結果、自分も加わってやろうと決め、現場にまで出向くことにした。
ぴゅーっとハイスピードで飛ぶスフィーダ。
彼女に気づいたドル・レッドが炎を吐いた。
ヨシュアが、真横に払うよう左手を動かした。
バリアを展開したのである。
炎は完全にシャットアウトされた。
イーヴルもドル・レッドも、肩で息をしている。
無理もない。
向こうに回した敵はヨシュアなのだから。
ヨシュアの隣に並んだスフィーダ。
彼は「陛下、どうして水着なのでございますか?」と訊いてきた。
彼女は「まあ、気にするでない」とだけ答えておいた。
「して、どうする? 青き吸血鬼に赤き翼竜よ。まだやるというのなら、次はわしが相手になるぞ?」
すると、ドル・レッドときたら、重低音で「グガアアアアアッ!」と咆哮した。
あまりのやかましさに、両の人差し指で両の耳の穴をふさいだスフィーダである。
スフィーダの「わかった。やるのじゃな?」という問い掛けに対して「……引く」と静かに返答を寄越したのはイーヴルだった。
なにせ竜であるわけだから表情は読み取りにくいが、それでもドル・レッドが驚いたのはわかった。
目を見開いて「イ、イーヴル、俺はまだやれるぞ!」と戸惑ったように言ったのだ。
しかし、イーヴルの引き際はあっさりしていた。
自らの体を飴色の筒ですっぽりと包んだ。
移送法陣を使用したのである。
「この屈辱、忘れんぞぉぉぉっ!」
敗者の弁を怒鳴り声で述べながら、ドル・レッドも続いた。
飴色の筒で自らを包み込み、その筒の消失とともに姿を消したのだった。
ヨシュアは「ふぅ」と息をつき、スフィーダは「やれやれじゃ」と言った。
「もうすっかりおねむの時間でございましょう?」
「これからナイトプールとしゃれ込むのじゃ。というか、おねむじゃと? 子供扱いするでない」
「言われてみると、髪を結い上げられ、少々セクシーでございますね」
「そうじゃろう、そうじゃろう」
「いえ。冗談でございます」
「し、失礼な奴じゃな」
「城へお戻りを」
「そうするか」
かくして、ともに帰還することとなった。
◆◆◆
プールサイドに腰を下ろしたスフィーダの両肩には、バスタオルがのっている。
かたわらにいるヨシュアは、お行儀よく立っている。
「ヨシュアよ、質問じゃ。どうしていち早く出撃できたのじゃ?」
「偶然でございますよ。夜の散歩中でございました」
「こんな時間に散歩か?」
「妻と散歩ができるのは、遅い時間帯だけでございますから」
「それは、そうじゃな……」
ヨシュアは日中、最側近としてスフィーダと一緒にいる。
その仕事が終わっても、軍の大将職にあるのだから、いろいろと忙しいことだろう。
「のぅ、ヨシュアよ。おまえの意思如何によっては、わしも一考するのじゃぞ?」
「最側近を務めるにあたり、私以上の適任者が?」
「そうは言っとらん。じゃが……」
「陛下はなにもお気になさらず。私は私で楽しんでおりますので」
「楽しいのか?」
「ええ。陛下をからかうことが」
「そういうことか。コイツめ、コイツめ」
スフィーダはヨシュアに、手ですくった水を飛ばしてやる。
魔法衣を濡らされようが、許容範囲なのだろう。
彼は特に嫌がる素振りは見せない。
「寂しゅうございますか?」
「やはりの、やはり、そう感じてしまう瞬間があるのじゃ」
「大将の権限で、なんとでもなりますが?」
「それをやられて喜ぶような男でもあるまい。……それでも」
「それでも?」
「またフォトンに会いたいのぅ……」
夜空を仰ぐスフィーダの目には、ほんの少し、涙が滲んだ。




