第42話 麗人カレン。
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「陛下」
「ななっ、なんじゃ?」
のっぽなヨシュアがいきなり目の前に立ったので、スフィーダは玉座の上で思わず身を引いた。
彼は赤いリボンを両手に持っている。
「ちょっと失礼」
ヨシュアはそう言うと、腰を屈めてスフィーダの髪をいじり始めた。
左右に結ったところで完成らしい。
俗に言う、ツインテールである。
「ミス・カレンとお会いになるのは二年ぶりでございましょう? 少々、おめかししてもよろしいかと思いまして」
そういうことかとスフィーダは納得した。
「のぅ、ヨシュアよ、わしはイケておるか? かわいいか?」
「たいへんイケていらっしゃいます。とてもかわいらしいのでございます」
ヨシュアはそう言って、右手でオッケーマークを作ってみせたのだった。
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プールサイドに席を設けさせた。
青空の下、白いテーブルを挟んで、スフィーダはカレン・バハナと向かい合っている。
カレンの年齢は二十六。
アッシュグレーの長い髪が魅力的な美女である。
切れ長の目はなんとも涼しげで、赤いルージュが引かれた薄い唇は実に品がいい。
クリーム色のショールを羽織っており、女性的な色香にあふれている。
バハナ家は長きにわたり地方の知事を務めてきた家系だったのだが、カレンは自らにお鉢が回ってきたところで、その職を手放した。
もっとやりたいヒトが他にいるはずだから。
そう考えたらしい。
きちんと選挙の段取りまで組み、実施したのだ。
非常に賢く、また行動的だとスフィーダは買っている。
心地のよい風が頬を撫でた。
「わしはのぅ、カレンよ、中央集権はやめたほうがよいと考えておるのじゃ。地方に置かれているのは、実質的には政府の出張機関じゃろう?」
すると、カレンはにこりと微笑んで。
「それは誤ったご認識だと思われます」
「む。そうなのか?」
「私が自らの地域の親善大使に就いて久しいことはご存知かと思います。その務めの一環として、あちこち見てまいりました。ほとんどの地方では法の他に個別の条例を設け、それを適切に運用しています。さまざまな面において、その土地その土地で特色があるということです。従って、陛下が危惧されるようなことは、ここプサルムでは起きていないと言っていいと考えます」
「ふむ。そうじゃったのか。やっぱりわしは世間知らずということじゃな」
「そうですね」
「これ。正直に言うでない」
「失礼しました」
スフィーダは口をとがらせ、カレンは笑みを深めた。
「話は変わるが、カレンよ。そなた、結婚はせんのか?」
「ああ。スフィーダ様もそうおっしゃるのね」
「嫌気が差しているような顔じゃのぅ」
「だって、きょうだいも親戚も、果ては家の手伝いの者まで急かしてくるんですよ?」
スフィーダ、あははと笑った。
「じゃが、そなたのような美人と釣り合う男を探すとなると、難しいやもしれんのぅ」
「見た目はどうだっていいんです。至極、誠実であってくれさえすれば。でも、そういう男のヒトって、今時、珍しいのかもしれません」
「繰り返しになるが、カレンは美しいからの。どうしたって、まずは容姿に魅せられてしまうのじゃ」
「助平な男は、本当に多いように思います」
「じゃろう?」
「ええ。あっ」
「なんじゃ?」
「よくよく考えてみると、誠実なだけではダメです。私よりは強くあってくれないと」
カレンの剣術の力量は男勝りらしい。
よって、理想に適う異性はそうそう現れないことだろう。
子は欲しいとさらに付け加えたあたりに、彼女の抱いている切実さが滲み出たように思えた。
「そういえば、まだ詫びていなかったのじゃ」
「なにをですか?」
「その昔、バハナ家は知事の家系ではなかったじゃろう? 代々、領主の家だったじゃろう?」
もうずいぶんと以前のことだが、そうだったのだ。
スフィーダ、侵略という行動を是とするつもりは毛頭ないが、彼女自身は今も昔も象徴にしか過ぎないわけであり、政治も戦争もヒトに一任しているわけであり、だから国のありようについては私見くらいは言えても、決定はまでは下せない。
プサルムにも、血気盛んな時期があったのだ。
その結果として今の広大な領地があるわけだが、裏を返せば、それだけ相手の土地を没収してきた歴史があるということでもある。
言ってみれば、バハナ家は犠牲者だ。
なかば強制的に、プサルムへと編入されたのだから。
その件について、スフィーダは謝罪するつもりだったのだが、そうするより早く、カレンはころころと笑い出したのだった。
「陛下はそんなことを気にされていたのですか?」
「そんなことの一言で片づけてはいかんじゃろう」
「ここに来る前に、リンドブルム中将と会いました」
「リンドブルムと?」
「次に首都に来たときにはぜひ面会したいと、文をいただいていたんです」
「どういうことじゃ?」
「バハナ家の領地を召し上げるきっかけを作ったのは、リンドブルム中将のご先祖様なんですよ」
カレンはまだころころと笑っている。
すっかり大人の女性なのだが、その様子たるや、なんとかわいらしいことか。
「なるほど。そうじゃったのか」
「そういう歴史があってもいいとお伝えしたんですけれど、あまりに頭を下げられるので、こちらのほうが恐縮してしまいました」
「リンドブルムはイイ奴じゃからの」
スフィーダは二度三度と頷いた。
苦笑いと微笑の半々である。
「ちなみに、当家が土地を奪われた際、領民の怒りの矛先は誰に向いたかわかりますか?」
「わかるぞ。わしじゃろう?」
「その通りです」
「受け容れるべきものは受け容れるぞ。負の感情などはすべて向けてくれればよい。わしが墓場まで持ってゆけばいいのじゃからな」
「それが心苦しいんです」
「そなたが気にすることではない。わしは女王に据えられるときに、どんな怒りをぶつけられても、どんな罵声を浴びせられても、屈せぬと決めたのじゃ。わしはわしなりに、今の立場に覚悟をもって臨んでおるのじゃぞ?」
「プサルムに住まう民は、本当に幸せです」
「そう言ってもらえると、とても嬉しい。ところでカレンよ」
「はい?」
「せっかくここにプールがあるのじゃ。わしと水遊びでもしていかんか?」
「さすがに水着は持参していません」
「レンタル用のがあるのじゃ」
「そんなものが? 本当に?」
「今日はちょっと暑いからの。泳ぐのじゃ泳ぐのじゃ」
「少し恥ずかしいです。私って筋肉質だから」
カレンはそんなふうに照れたのたが、空色のビキニは本当によく似合った。