第40話 無限の可能性。
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ヨシュアは関係各所と調整して、ビーンシィにスパイを送り込んだ。
グスタフとの戦況を逐一報告させるためだ。
スパイのビーンシィでの滞在期間はごく短いものだった。
滅亡まで数日。
それがスフィーダが聞かされた、最初で最後の報告だった。
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ヨシュアとリンドブルムは、ひそかにフォトンと彼の部隊を西の備えから北へと移していた。
ひそかに。
そう。
事がすべて終わるまで、なにも知らせてもらえなかった。
教えたら「反対じゃ!」と意見すると思われたのだろう。
フォトンに与えられた任務は、厳しいものだった。
ビーンシィの国主カタリーナと、その家族を救い出せという作戦だったのだ。
だが、フォトンがカタリーナに謁見したとき、彼女はすでに自らのみを残して、親しいニンゲンについては、西の隣国、ハインドに逃していた。
どうして大国のプサルムではなく、小国のハインドに任せたのか。
その理由は、ビーンシィがなくなってしまった今となってはわからない。
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十五、六歳くらいに見える少年は赤絨毯の上にまっすぐ立ち、片膝をつこうともしなかった。
黒い背広、正装。
眉目秀麗とはこのこと。
そして、確かに彼女の面影がある。
スフィーダが「名を申せ」と言っても、少年は聞かなかった。
睨みつけるような目をして「どうして母を助けてくれなかったのですか!」と声を荒らげる。
「名を申せ」
「貴女にならできたはずだ! 母を救うことができたはずだ!」
「名を申せ」
「どうして、どうして……っ」
「わしは名乗れと言っておるのじゃ」
「名乗らずとも話はできます!」
「じゃが、教えてほしい」
「……ラース」
「力強い名じゃ」
「母は処刑されました」
「知っておる」
「美しいヒトでした。断頭台に連れられる前に、野卑な男どもに凌辱されたのかもしれません……」
「そのようなことは考えるな。悲しくなるだけじゃろうが」
「どうして、どうして……っ! 曙光と事をかまえるのが怖かったのですか! スフィーダ様ともあろう御方が怯えてしまわれたのですか!」
「ラースよ、そなた、カタリーナからなにも聞かされて――」
「気安く母の名を呼ぶな!」
「カタリーナは自らの信念を貫いて死んだのじゃ。誇りを抱いて死んだのじゃ。立派だとは思わぬか?」
「立派だよ! 立派さ! でも、死んでしまったらなにも残らないじゃないか!」
「否。そなたが残されたではないか」
「僕になにができるっていうんだ……っ」
「それはこれから、じっくり考えるのじゃ。ただ」
「ただ、なんだよ?」
「絶望し尽くした挙句、復讐だけに執着するのはやめてほしい」
「そんなの無理に決まってるだろ!」
「でも、やるのじゃ。それがカタリーナの望みでもある」
「そんなのどうしておまえにわかるんだよ! 母親になったことなんてないくせに!」
ヨシュアが動いた。
相変わらず、その姿勢は美しい。
背をまっすぐにしたまま、三段だけの階段を下りた。
そしてさらに歩み、ラースの前に堂々と立つと、彼の左の頬を、右手でバシッと張ったのだった。
ラースはびっくりしたことだろう。
のっぽなヨシュアのの真剣なまなざしに晒されたら、気圧されて当然だ。
「誰彼構わず当たり散らすのはやめにしなさい。醜いことですから。ビーンシィは、もはや亡国と化しました。しかし、未来永劫、滅びたままかというと、そうとは言い切れないでしょう?」
ヨシュアのことを黙って見上げているラース。
「私が貴方の立場なら、国の再興を目標に掲げます。果てしない復讐ではなく、希望ある未来を思い描きます。貴方の家系が長きにわたって国を維持できたのは、統べる者が優秀であり、また魅力的だったからです。恨むことはいつでもできます。すねることだってそうですね。ただ、けっして忘れてはいけないことがあります。貴方には、無限の可能性がある」
「無限の、可能性……?」
「ええ、そうです。若者にはそれがある。肝に銘じておきなさい」
ヨシュアに優しく頭を撫でられたラースは、彼に抱きついた。
つらいのだろう。
苦しいのだろう。
それでもラースは絞り出すようにして、「申し訳ありませんでした。どうか無礼をおゆるしください……っ」と言った。
「なにかあれば言ってください。力になれることもあるでしょう。でも、自分でできることは必ず自分でやるように。いいですね?」
「はいっ、はい……っ」
ラースは本当に大きな声を上げて、泣いたのだった。




