第395話 バランス。
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黒いヒールを脱いだ黒いドレス姿のスフィーダは、赤絨毯の上で、右脚だけでバランスをとっているのである。
どうしてそんなことをしているかというと、若くすらりとした軽装の女性に、理想的な体のあり方、体つきについて、詳しく説かれたからである。
二千年以上も生きてきて、このような体験をするのは初めてのことなので、非常に興味深いと感じている次第なのである。
「先生っ」
スフィーダは指導をしてくれている女性に対して、そう呼び掛けた。
「なんでしょう、スフィーダ様」
「この態勢は、なかなかにキツいのじゃ」
「そうだと思いますけれど、がんばりましょう!」
「が、がんばってはおるのじゃが」
「いい姿勢です、スフィーダ様、そのままのポーズを維持してください。体幹を鍛えることにつながり、体の健全なバランスが保たれるようになりますから」
体によいことは間違いなさそうなので、簡単に放り出すわけにもいかない。
左脚だけ地についた際にも両手でバランスをとりながら、一分ほど耐えた。
先生はぱちぱちと手を叩いて、「そうです、その調子です!」と褒めてくれた。
悪い気はしなかった。
むしろ、照れくささを覚えたくらいだ。
先生に言われた通り、毎日、この体操を続けようと思った。
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その日も朝早くに起きた。
玉座の前に白いヒールを並べ、両手を広げてバランスを取りながら、片足立ちをしていた。
玉座のかたわらに設けさせた椅子に座って本を読んでいるヨシュアが、「珍しく長続きしているではありませんか」と少々失礼なことを言ってきた。
やじろべえみたいにして立っているスフィーダは、「確かに下半身が鍛えられる気がするし、背骨がまっすぐになるような感覚を味わえるぞ」と口にし、「どうじゃ、ヨシュアよ。おまえもやってみんか?」と問い掛けた。
「遠慮させていただきます」
「おまえの悪いところじゃ。付き合いがよくないぞ」
「性格がひん曲がっている人物ほど、姿勢も曲がるのでは……おっと、口が滑りました」
「ななっ、なんと無礼なことを言うのじゃ、おまえは」
「愛ゆえにでございます」
「また意味がわからんことを言いよってからに」
左右の脚で三分ずつ。
今日のノルマは達成した。
ヒールをはいて、玉座に腰掛けた。
「やじろべえをやると、案外、疲れるのじゃ。少し汗もかく」
「だから、体によいのでございましょう。実はウチのも習っております」
「クロエが?」
「やはり体幹を鍛えるための体操だという話でした」
「そうなのか。クロエはクロエで、効果が出ておるのか?」
「少し、筋肉質になりましたね。抱き心地が変わりました」
「だ、抱き心地?」
「しなやかになりました。ですから、するときにも新たな感触と快感が――」
「ややっ、やめよ! それ以上は言うな!」
「詳しいところを話したく存じます」
「おまえとクロエとがラブラブなのは知っておる。生々しい話はせんでよい」
「興味津々なのにうぶさを装うのは、潔くないと思います。今度、私とクロエがしている様をぜひご覧いただきたく――」
スフィーダは両手で顔を覆い、「阿保を抜かすなぁっ! 見てたまるかぁっ!!」と叫んだ。
「残念でございます」
「おまえの趣味をわしに押しつけるでないぞ!」
ツッコミを入れることに疲弊し、はあはあと荒い息をするスフィーダである。
ヨシュアがおもむろに、スフィーダの前で腰を屈めた。
手にしているブルーのリボンで、彼女の長い黒髪をツインテールに結う。
おもむろにスフィーダは、くんくんと空気の匂いを嗅いだ。
「今日は雨が降るのじゃ」
「わかるのでございますか?」
髪を結い終えたヨシュアは、椅子へと戻った。
スフィーダはテラスの向こうの空に視線をやる。
今は晴天だが、確かに雨の予感がする。
「毎朝、体操をやって、それから謁見者の対応を行って……。そんな余生を過ごしたいのぅ」
「過ごしていただいて問題はございません。陛下はもともとそういったスタンスではありませんか。ヒトの営みはヒトに任せるのでございましょう?」
「まあ、そうなのじゃが。しかし、ヒトに近しい者、あるいはヒトならざる者の存在があるじゃろう?」
「彼らの対応も含めての、ヒトの営みなのでございますよ」
読書をしているヨシュアの横顔を、スフィーダは見つめる。
「やはり、わしは要らんと言うのか?」
「陛下の力をお借りしたい場面は、いずれ訪れるのでございましょう」
「いつでも準備はできておる」
「たとえば私は、世界の統一を望んでいるとお考えですか?」
「プサルム一色に染めてしまうということか?」
「はい」
「おまえはそんなふうには考えんじゃろう。多様性に重きを置くはずじゃ」
「陛下の体操と一緒でございます」
「どういうことじゃ?」
「何事においても、バランスが大切なのでございますよ」
少々煙に巻かれたような気にもなったが、ヨシュアが言わんとしていることは、わかる気がした。




