第369話 よりどりみどり。
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夕方。
謁見者の対応が済んだ。
いつもより早い時間に終わったのだ。
まだまだ青空が広がっており、だからこんな日には、なにかしたくなるというものである。
スフィーダは玉座の上にて両手を突き上げ、大きなあくびをした。
それからかたわらに立っているヨシュアに、「夜までは時間があるぞ。わしを楽しませろ」と横柄に言い放った。
「買い物にでも出掛けましょうか」
「買い物? 外にか?」
「無論、そうでございます」
スフィーダは苦笑を浮かべた。
自分は女王陛下。
それくらいはきちっと認識していて、だから自由も制限されることくらいわきまえている。
外で買い物をすることすらゆるされない、ゆるされてはいけないのだ。
しかしヨシュアときたら大きく腰を折り、スフィーダの目の前で「大丈夫でございます」とウインクしてみせるのだ。
「ほ、本当によいのか? 服を見てもよいのか?」
「嘘も冗談も申しません」
「どうしてそんなことが可能なのじゃ?」
「本日の謁見の場は早くに終わるだろうと考えておりました。そして、そんな日があれば、陛下がわがままをおっしゃるであろうことも予測しておりました」
「わしはわがままを言っておるつもりはないぞ? なにがあろうと、女王陛下なのじゃからの」
「小さな小さな女王陛下でございます。愛らしく映ります」
「愛らしくとかっ」
「かわいらしいのでございます」
「かわいらしいとかっ」
スフィーダは玉座から立ち上がり、ヨシュアの胸を両手でぽかぽか叩いた。
◆◆◆
ヨシュアは白い魔法衣のまま、スフィーダは白いドレス姿のままである。
二人してほっかむりだけして、街をゆくのである。
壁の陰から顔を出し、先を窺いつつ進むのである。
暗い路地裏に隠れたところで、スフィーダは息を切らせながら、「せ、せめて着替えを済ませてくればよかったのではないか?」と問い掛けた。
「いえ。問題はありません」
「じゃが、隠れながらではないか」
「スリルを味わいましょう」
「スリル?」
「この状況下で目的地に到着する。興奮するところでございます」
「い、いや、だからじゃな――」
「陛下は今、ドキドキしていませんか?」
「そ、それは……」
指摘を否定することはできない。
実際にスフィーダ、ドキドキしている。
「建物に入ってしまえば、我々の勝ちでございます」
「か、勝ちって、おまえはなにと戦っておるのじゃ?」
「人通りが絶えません」
「大きな通りなのじゃ。仕方あるまい」
「陛下」
「なな、なんじゃ?」
「無礼をおゆるしくださいませ」
「無礼? ひゃあっ」
スフィーダはヨシュアに、いきなりお姫様抱っこをされた。
「走りますよ」
「う、うむっ」
ただの頭でっかちに捉えられがちのようだが、ヨシュアは万能なのだ。
腕力もあれば、走るのも早い。
抱かれたままの大通り。
やがて目的地であろう店が見えてきた。
ヨシュアはゆっくりとドアを引いて開け、スフィーダのことをおろした。
木製のピカピカの床。
淡いオレンジ色の明かりが照らす店内。
顎ひげを綺麗に整えたナイスミドルがやってきて、彼はにこりと笑った。
「ヴィノー様、本当にいらしてくださったのですね」
「約束は守ります」
「恐れ多いお言葉です」
スフィーダは左右に首を振って、その品揃えの豊富さに「おぉーっ」と歓喜の声を上げた。
「ほえぇ。ブティックとは、これほどまでに色鮮やかなものなのか」
「特別に仕入れた品もございます」
「特別に? そうなのか?」
「はい。この日のために、いつもより種類を多く仕入れました。ヴィノー様からお話をいただき、それが実現する日が来るとは思いもしませんでしたが」
「言いましたよ、ミスター。必ず陛下をお連れすると」
「はい。とても感動しております」
ナイスミドルは穏やかな笑みを見せた。
「ヨシュアよ、しかし悪いのじゃ。わしのお小遣いは税金なのじゃ」
「そうおっしゃると思いました。しかしその旨、今日は気になさらないでくださいませ」
「どうしてじゃ?」
「私がお支払いします」
「へっ? よ、よいのか?」
「いつも一生懸命働いているスフィーダちゃんへの、言わばご褒美です」
「スフィーダちゃんだとぅ? ご褒美じゃとぅ?」
「はい」
「小憎らしいことを言うではないか、コイツめ、コイツめっ」
今夜もスフィーダは、両手を使ってヨシュアの胸をぽかぽか叩くのである。
「じゃが、服などと。わしは普段、ドレス以外を着るシーンがないぞ」
「ですが、陛下は女のコです」
「そ、それがそうかしたか?」
「今、この瞬間は楽しくないですか?」
「楽しいぞ。うむ。メチャクチャ楽しいぞ」
「であれば、好みのお召し物をお選びくださいませ」
忠臣のセリフに、スフィーダはうるうると目に涙を浮かべる次第である。
右手の甲を使って、両の目元の涙を拭うのである。
「しかし、ヨシュアよ」
「まだなにか?」
「このショップにまで、移送法陣で飛べばよかったのではないのか?」
「それをやってしまうと、面白くないでしょう? 実際、どこに連れていかれるのかと、陛下はドキドキされませんでしたか?」
否定の言葉が見当たらない。
スフィーダはいよいよ我慢ならなくなって、涙した。
「本来、わしには親しいニンゲンなどおってはならんのじゃ。だって、そうじゃろう……?」
「陛下はニンゲンではありません。ですが、誰よりもニンゲンくさい。フォトンも、私も、陛下のそんなところを好いているのでございます。あるいは多くのニンゲンが、そうなのでございましょう」
「じゃったら、わしにはなにができる?」
「かわいいスフィーダちゃんであれば、それでよいのでございます」
「……すまぬ」
スフィーダが涙まじりにそう言うと、ヨシュアは「さあ、好きなものをお選びください」と言い、大きく両手を広げたのだった。




