第362話 北を視察。
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特に北のティターン連邦との間柄が、最も危険性を孕んでいるのではないかと、スフィーダは睨んでいる次第だ。
ティターン連邦。
絶対的な気候の攻撃があるせいで、かの国は寒い地域というわけだ。
プサルムの首都アルネが年中ぽかぽか陽気だから、余計にそう感じるのかもしれない。
スフィーダはわがままを言った。
喫緊の外交的な課題になりかねないティターンの、前線の動きを視察したい、と。
要望はすんなりと受け入れられた。
ヨシュアが手を回してくれた結果であるに違いない。
以前ならば「またまたご冗談を」と笑われていたはずだが、この頃の彼は柔軟性が増してきたように感じられる。
喜ばしいことだ。
スフィーダが「飛ぶぞ。連れてゆけ」と言うと、ヨシュアは「御意にございます」と速やかに応じてくれた。
やっぱりヨシュアは、少し変わったように思う。
従順な部下を演じているような気がして、少々気味が悪くもある。
それはともかく移送法陣。
赤絨毯の上にて、スフィーダは飴色の筒に身をゆだねたのだった。
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ヨシュアはベースキャンプからほんの少し離れたところに移送してくれた。
羊の革で作られたもこもこの上着の前を掻き合わせつつ、歩みを進めるスフィーダである。
ベースキャンプに入ろうとしたところで、警備の兵が揃って片膝をついた。
そのうちの一名が、「スフィーダ女王陛下、ヴィノー大将閣下。歓迎いたします」と、しっかりとした声で言った。
「戦場がすぐそばで展開されるかもしれない。あなた方を頼もしく思います」
「実に恐れ多いお言葉でございます」
「リンドブルム中将のところへ案内していただけますか」
「すぐさまお通しするよう言付かっております」
「連れていってください」
「承知いたしました」
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リンドブルムは陣幕のうちで、コーヒーを飲んでいた。
カップから立ち上る匂いから、それがわかる。
リンドブルムがコーヒーを飲み干すのを待っている女性兵士がいる。
だからスフィーダ、少々、おこなのである。
「リンドブルムよ」
「ええ。茶くらい自分でよそえって言うんでしょう? 前にも言われましたね。俺としてもそうすることはやぶさかではないんですが、なにせ暇なんでね」
「えらく強い兵を抱えているわけじゃ。火ぶたが切られるのが楽しみでしょうがないのではないのか?」
「これはこれは、陛下ときたら好戦的かつ俗っぽいことをおっしゃる。確かに、配下に強力なキャラクターがいれば心強い。ですが、何度も言います。なにせ、暇なんでね。どれだけ優れたニンゲンを駒として持っていようが、その指しどころがない」
「そうだとしても、彼我の距離、それに戦力は把握していたいと思うのじゃ」
「酔狂なことですね」
「そう言うな」
「酔狂と言えば、怒られるだろうと思ったんですがね」
「なんでもよいから、様子を示せ」
「少々、驚くことになると思いますよ」
「そうなのか?」
「そうなんです。ああ、望遠鏡は? 必要ですか?」
「要らぬ。肉眼で無理なときにだけ貸せと言う」
「さすがは陛下だ。ものの言い方がきっぱりとしていて気持ちがいい」
「世辞はよいと言っておろうが」
リンドブルムが大仰に「よっこらせ」と言いつつ、木製の、折り畳み式の椅子から腰を上げた。
「ついてきていてだけますか? なに。どういう状況であるかは、ご覧になればすぐにわかりますよ」
リンドブルムに言われた通り、スフィーダはヨシュアを従え、陣幕から外に出た。
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寒々しい気温の中、丘をのぼり、その先端に立った。
数キロメートル先の平地で、ティターンの大隊が鶴翼の陣を敷いている。
いつでも来いという構えだ。
「思っていたより、近いのぅ」
取り乱すことでもない。
だからスフィーダは吐息をつきつつ、腕を組んだだけだ。
「なんだかもうアレですよ、陛下」
「アレ? リンドブルムはなにが言いたいのじゃ?」
「今はいいですよ。俺達が睨みを利かせているうちは、奴さんらも無茶はせんでしょう」
「裏を返せば」
「ええ。少しでも隙を見せれば、国境を越えてくるかもしれない。そうなったら、派手な殺し合いになる。だから、今すぐにでも給料を上げてほしいんだがね、ヴィノー大将閣下殿」
「ヨシュアよ、どうなのじゃ?」
「陛下は騙されやすいですね」
「んむ? 騙されやすい? どういうことじゃ?」
「金が欲しいから中将をやるなんてニンゲンはいないということです」
「リンドブルムよ、そうなのか?」
「異議を唱える余地がありませんな」
寒々しく、また曇りの天候にあって、リンドブルムは敵の大隊の様子を、まぶしそうに眺めている。
「遠目でも見ただけでわかる。よく訓練されている。現状は一触即発なのかもしれない。だが、一度、どちらかに火がついてしまえば、いい勝負になっちまう。もちろん、悪い意味で、ね。そのへん、どう思うよ、ヨシュア」
「現時点において、問題はないと考えます。なにせリンドブルム中将、貴方がいるのですから」
「じじいに褒め言葉を与えたところで、なんの役にも立たねぇぜ」
ヨシュアは「かもしれませんね」と言うと、微笑を浮かべた。
「なんにせよ、兵は足りてるってことだ。逆に足りなくなったとなれば、すぐに支援要請を出す。そんな真似をしたら、誇るべき我が国の民はいっぺんに騒ぎ出すことだろうがな」
「それは避けたいところですね」
「そりゃそうだ。陛下。なにか勉強になりましたか?」
スフィーダは腕を組んだまま、むぅと口をとがらせた。
「なんとかして、戦は避けられんのじゃろうか」
「ですから、そのへんは外交次第ですよ。首相や外相、それにヨシュアの力を見せてほしいところですね。見せてくれないのだとすれば、それは阿呆どもが選んだ末路、あるいは成れの果てだ」
「本音を言いましょうか、リンドブルム・ヴァゴ中将」
「おう。なんでも言ってみろよ、ヨシュア・ヴィノー大将閣下殿」
「戦闘は避けられない。いずれ、そうなる」
「もう一回言うぜ。盛大な潰し合いになっちまうぞ?」
「ご健闘を」
「ヨシュア、あるいは、おまえは無責任だよ」
「かもしれません。しかし――」
「ああ、そうだ。おまえみたいな奴が大将じゃなけりゃ、兵らの鉄の意志は瞬く間に奪われちまう。おまえの立場は替えが利かない。たとえば、俺やメルドーの代わりはいるんだ。だが、おまえの存在だけは、誰にも真似ができねーんだよ」
ヨシュアは口元に笑みをたたえた。
「管理職のつらいところですよ」
リンドブルムが、「俺をここまで育ててくれたのは、我が国、プサルムだ」と言い、「死ぬまで仕えるさ」と続けた。
その言葉があまりに素敵なものだったから、スフィーダはリンドブルムにぼふっと抱きついた。
「おやおや。どうかされましたか、スフィーダ様」
「死ぬな。お願いじゃから死ぬな」
「俺はもうじじいだ。遅かれ早かれ死んじまう。だけど、なにかいいものを残してやろうと思っていましてね。最後まで俺は中将閣下ですよ」
リンドブルム・ヴァゴは、かなりカッコいい。
素朴すぎる感想なのかもしれないが、スフィーダは心からそう思った。




