第359話 追いと老いの末路。
◆◆◆
「目を引くのぅ」
そんな言葉が漏れた。
本当に美しい男なのだ。
年は二十代のなかばといったところだろう。
「ありがとうございます」
男はそう言った。
黒い着衣。
軍服だ。
「名を聞かせてほしい」
「ナイジェルと申します」
「よい名じゃ」
「そのお言葉は、誰にでも向けられているのでは?」
「そうではあるが、親から賜ったものじゃ。貴重だと思うておる」
「いいことおっしゃいますね」
「そうじゃろうか」
「そうですよ」
「じゃったら胸を張っておこう」
実際スフィーダは腕を組み、えっへんと言わんばかりに胸を張った。
「本当に、お美しいです、スフィーダ様」
「見た目はどうだってよい。じゃが、美しく生きたいとは思うておる」
「ご立派です」
「そうでもないと思うがの。して、ナイジェルは何用じゃ?」
「父も母も、この国の出身です」
「意味深な切り出し方じゃな」
「トーナリティと言って、わかりますか?」
「軍を中心にはびこっている、快楽集団のことじゃろう?」
「よくご存じですね」
「知り得たことを、そう簡単に忘れはせん。して、そのトーナリティがどうしたのじゃ?」
「私の父が、そうらしいんです」
「トーナリティのニンゲンだということか?」
「はい」
「らしい、というのは?」
「顔を見たことがないからです」
「本当に、どういうことなのじゃ?」
ナイジェルは一度目を閉じると、視線をキッと鋭くして。
「いつかは母に父のことを訊こうと思っていたんです。キツい言い方をしてしまったかもしれません。しかし、私は真実を知りたかった」
「それで? ビンゴじゃったのか?」
「調べました。父がトーナリティに入信しているのは、まず間違いない」
「入信、入信、か」
「はい。ある種の宗教団体ですから」
「して?」
「やはりトーナリティとは、人非人の集団であるようです。スフィーダ様は、そこまではご存じないようですね。しかし、あったんです。トーナリティが跳梁跋扈を働いた日があったんです」
「トーナリティはなにをやったのじゃ?」
「強奪と強姦の連鎖です」
スフィーダは眉根を寄せて、目を閉じた。
「そうか。我が国においても、まだそんなことがあるのか……」
「はい。しかし、私はスフィーダ様に文句を言いにきたわけではありません。私はこの国を愛していています。誰よりもそうであるという自信があります」
「ではナイジェル、そなたはこれからなにをしようというのじゃ?」
「私は父を殺したい。いえ。殺そうと思います。真実を知った以上、無視はできない」
「そう、か……」
「意外です。ご理解いただけるのですか?」
「気持ちはわかるからの。じゃが――」
「悲しい考え方だとお思いになりますか?」
「その通りじゃ」
「母は泣きながら、名を教えてくれました。ファリド・スタンという男です。そこまでわかっていれば、探し出すことは不可能ではない。迂闊な真似をしなければ、接近だってできるでしょう」
「ファリド・スタン。偽名だった場合は?」
「また別の方向から探りを入れます」
スフィーダはまた目を閉じ、今度はゆっくりと首を左右に振った。
悲しい復讐だ。
しかし、止める言葉、掛ける言葉を、彼女は知らない。
「母は私を生んでくれたんです。だから私は、父を殺してやりたいんです」
飛躍した物言いだ。
だが、適切な返しが見当たらないから、一概にダメだとも言えない。
「確認じゃ、ナイジェルよ。ファリド・スタンという男が本当におるのじゃったら、すぐにでも殺してやろうというのじゃな?」
「そう申し上げたつもりです」
「三日じゃ。三日後に、またここに顔を出してもらいたい。成果があろうとなかろうと、とにかく顔を出してもらいたい」
肩を落として「わかりました」と言ったナイジェルである。
「なんじゃ? 肩を落とすあたり、なにかあるのか?」
「ふざけるな、馬鹿、おまえのほうが死んでしまえ」
「なにを言っておる?」
「スフィーダ様にそれくらいキツく言われたら、やめようと思っていました」
「ならば待て。今からでも言ってやる。わしはやめてもらいたいのじゃ」
「いいえ。スフィーダ様は私の復讐をある程度、容認された上でものをおっしゃった。否定できますか?」
「それは……」
「三日後にまた訪れます。その際には吉報をもたらすことができればと考えます」
「待て。ナイジェルよ、待ってくれ」
「揚げ足を取るようなかたちになってしまいましたが、スフィーダ様、貴女はやはりお優しい。”慈愛の女王”の名は、だてじゃあない」
もはや、やめろとは言えなくなってしまった。
◆◆◆
約束した通りの三日後。
ナイジェルはゴツい鉄製の手錠をされ、やってきた。
そして、彼の隣に進み出てきたのは、車椅子に座ってる男性で、かなり痩せ細り、ずいぶんと年老いて見える。
「スフィーダ様、これが答えです」
ナイジェルは苦笑とも微笑ともとれない顔をした。
「どういうことじゃ?」
「この車椅子の男が、ファリド・スタンなんです」
「えっ……?」
スフィーダは驚きの声を上げた。
メイドと思しき若い女が車椅子の脇に立って、彼女は生真面目そうな感じでぺこりとお辞儀をした。
「目当ての男を見つけることができたというのはわかるが……」
「はい。運よく出会う運びとなりました。いろいろと手を打った結果です」
「じゃが、そこにいるファリドは……」
「そうなんです。すっかりボケた老人なんです。これほどまでに老いているとは、実物を見るまで知りませんでした。ホント、調べが甘かったなあ」
「復讐は? やめたのじゃろう?」
「はい。向き合った途端、むなしさだけを覚えましたから」
「不法侵入、あるいは殺人未遂で捕まったのか?」
「そうです。だから、私の手には戒めの錠が掛けられている」
「なんと言ったら、よいのじゃろうのぅ……」
天井を仰ぎ、吐息をついたスフィーダ。
「少なくとも、これで踏ん切りがつきました。実刑になるかもしれません。でも、再び表に出てきたときには、きっと前向きに生きることができます」
「それは、なによりなのじゃが……」
「前に進む。前に進まなければならない。きっと、それがニンゲンなんです」
ナイジェルはきちんと立礼し、去りゆく。
メイドもお辞儀をし、車椅子の方向を変え、ファリドとともに去ってゆく。
スフィーダは両手の指を絡ませて、神に祈った。
なにを祈ったか。
そんなの、ナイジェルの幸せに決まっている。




