第352話 景気づけの海鮮丼。
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目覚めた。
そのとき、すでに一人だった。
納屋から、もそもそと外に出ると、大海のほうを向いている、フォトン、それにヴァレリアの背があった。
スフィーダ、彼らに近づく。
しかし、起き抜けであるせいか足があまりうまく動かず、すぐにつまずいて、砂浜にずざっと倒れ込んでしまう。
それでもなんとか立ち上がり、前進し、二人と並ぶに至った。
二人は揃って右手の人差し指を自身の口に入れていた。
ごしごしと歯磨きをしているのだと、まもなく気づいた。
「あうぅ、あうぅぅぅ……」
寝ぼけ眼のスフィーダも人差し指をぴちゃんと海水に浸し、歯を磨く。
しょっぱい、しょっぱいのだ。
これなら確かに口内ケアができそうだ。
「二人とも、もう朝食はとったのか?」
スフィーダがそう訊ねると、ヴァレリアが「いえ。これからでございます」と答えた。
「というか、そもそも朝食の当てはあるのか?」
「刺身料理を振る舞ってくれるとのことです」
「ほぅ。朝から刺身とは、贅沢じゃの」
「酢をまぜた白米の上に刺身を盛る。名物でございます」
「それはうまそうじゃの。ありがたい話じゃ」
「今さらです。陛下は納屋に泊まられる必要などなかったわけですが」
「たまにはそういうのもよいじゃろうと考えた」
「実は陛下が寝入ったのちに、少佐と私は」
「へっ? なにかしていたのか?」
「私はそれはもう大きな喘ぎ声を出してしまいした。それはもう体の芯から感じてしまい――」
「やめろぉっ! その先は言うなぁっ!!」
「冗談でございます」
ヴァレリアはクスクスと笑った。
◆◆◆
簡易的な折り畳みの椅子に座り、マグロやハマチや生エビやサーモンがのった海鮮丼なるものを、三人で食しながら。
「ふむ。上にかかっているのは醤油じゃな」
スフィーダがそう言うと、ヴァレリアはにこりと笑んで。
「陛下は醤油をご存じなのですね」
「舐めるでないぞ。しかし、味わうのは久しぶりじゃのぅ。そなたらはどうなのじゃ? いろいろなものを食べているのか?」
「私も少佐もことのほか胃は丈夫です。ですから各地の名物については、片っ端から食べるようにしております」
「名物、名物か。そう聞かされると、まるで戦争のない世の中のように思えるのぅ」
「確かにそういう解釈もできます。食に国境がない以上、他のことについてもそうあっていいのかもしれない」
「なのになぜ、世界は仲良くできんのじゃろうか」
「それは真理でございます」
「じゃろう?」
「はい」
スフィーダは丼を傾け、刺身も酢飯も掻き込んだ。
「このようにうまい海の幸が得られるわけじゃ。マーマン騒ぎは早々に終わらさんといかん」
「御意にございます」
「とはいえ、やはり駆逐せねばならんのじゃろうか」
「くどいようですが、そうでございます。しかし――」
「うむ。少しでも頭が働く連中なのだとすれば、この浜辺にはもう現れんじゃろうな。リスクが高すぎる」
ヴァレリアが「はい」と短く肯定した。
「実際、もうここには顔を出さないことでしょう。その確率が高い」
「裏を返せば、別の海岸から入り込むかもしれんということじゃな?」
「そう仮定した場合、我が国だけで対応する問題ではないのかもしれないということになります」
「うーむ。他国からしても、はた迷惑な話だというわけじゃな」
「どうあれマーマンらが幅を利かせつつあることは事実でございます」
「質問じゃ。そなたはどうしたい?」
「個人的には、我が国が侵犯されなければそれでよいと考えます。しかし」
「またもやしかし、か?」
「はい。彼らの出所を知ること自体は、有意義だと考えます」
「出所? それがあるというのか?」
「間違いなくあります。それを嗅ぎつけることこそ有意義だと」
「むぅ……。フォトンはどう思う?」
スフィーダ、そう話を振ったのだが、フォトンはまるで聞いていなかったようだ。
彼は海鮮丼のおかわりにがっつくことに夢中なのである。
そんな様子を微笑ましく思いつつも、スフィーダはヴァレリアとの会話を続けることにする。
「繰り返しになる。出所について、心当たりでもあるのか?」
「予測ではありますが」
「予測でよいぞ」
「やはり、海中になにかがひそんでいると疑うべきでしょう」
「たとえば?」
「マーマンにだって呼吸が必要なはずだと考えます。結論を述べてしまえば、海中、あるいは海底に、息を継ぐことができるなんらかの施設があるということです」
「ヨシュアもそう言っておった。じゃが、そんなもの実在するのかのぅ」
「これまでの歴史において、海をあまねく調べた者がいたでしょうか?」
おらんの。
つぶやくようにそう言って、スフィーダはかぶりを振った。
「調べてみる価値はありそうじゃの」
「はい。バリアを張りつつであれば、深いところにまでもぐることができます。なんでしたら、私が調べてまいります」
「明日は祝日じゃ」
「それがなにか?」
「謁見の場はお休みだということじゃ。わしもそなたに付き合うぞ」
海鮮丼をもぐもぐと咀嚼しているフォトンに、スフィーダは「おまえはどうする?」と訊いた。
しかし、やはり食事に夢中になっているので、フォトンには聞こえなかったらしい。
彼が口の端にご飯粒をつけている様子は、かなりラブリーだ。
「とにかくわしは海にもぐるぞ。おまえはどうする? 別にどうしたってかまわんぞ」
スフィーダ、自分でも意地悪な物言いだと思った。
だってフォトンからすれば、自分も行くと言うより他ないのだから。
案の定、フォトンは首を横に振ったり縦に振ったりした。
ついていくと伝えいたいことだけはわかる。
「ゆこうぞ、フォトンよ。わしはおまえに守られんといかんほど、弱くはないがの」
なにせ、世界最強の魔法使いと呼ばれているスフィーダだ。
ヴァレリアが「では、行きましょうか」と言った。
それをしおに、スフィーダを含めた三人は立ち上がった。
「ともあれ、わしがピンチのときは頼むぞ」
スフィーダはフォトンにそう言った。
すると、彼は自身の胸を右手でどんと叩いた。
任せておけ。
そう宣言したのだろう。




