第35話 醜女、最後の八つ当たり。
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さまざまな国民との謁見は楽しいのだが、スフィーダ、一つ、嫌に思っていることがあった。
来るヒト来るヒトが座礼をしてくれることについて、日頃から申し訳なさを感じていたのだ。
そこで、本日から椅子を用意させた。
立礼でじゅうぶんであり、その後は座ってゆっくり話してくれればいい。
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赤絨毯の上を歩いてくるのは、ひどく痩せた女である。
年はそうとっていないだろう。
つるりとした質感の白いワンピースに身を包んでいる。
顔色が優れない。
長い黒髪はかなり傷んでいるように見える。
女のお辞儀の角度は浅かった。
顔を上げて浮かべた笑みは、どことなく自嘲的に映る。
女が椅子に腰掛けたところで、スフィーダは「名は?」と訊いた。
シエラと返ってきた。
「綺麗な名前じゃ」
「そう。名前だけは綺麗なの」
「そんなことを申すな」
「そう言われても、実際、醜女だから。陛下だってそう思うでしょう?」
「思っておらん」
「まあ、いいわ、そんなこと。ええ。どうだっていい」
「仕事は? なにをしておる? それとも専業主婦か?」
「娼婦よ」
「……そうか」
なぜだろう。
反射的に目を逸らしてしまった。
シエラが「やっぱりね」と言った。
スフィーダは改めて彼女を見つめる。
「なにがやっぱりなのじゃ?」
「潔癖でいらっしゃるな、って。陛下は体を売る女を蔑んでる。というより、そんなこと、考えたくもないんでしょう?」
否定しようにも、言葉が喉の奥でつっかえて出てこない。
なにも言えないことが、シエラの言い分が当たらずとも遠からずであることを如実に示してしまっている。
「ほーら。やっぱり潔癖」
「……なぜ、売春などするのじゃ?」
「私みたいな醜い女でも、フツウに働くよりはよっぽど稼げるからよ」
「結婚は……?」
「してるわけないじゃない」
「恋人も、おらぬのか?」
「いるわけないじゃない」
シエラの物言いは、いちいちナイフのようにとがっているように感じられる。
その切っ先で、いちいちぐさぐさと胸を刺されるような気分になる。
それがつらくてしょうがない。
だからといって、急ぎ帰すつもりはない。
前向きになってもらえるようなことを口にしたいのだ。
だが、いくら考えても、なにも浮かんでは来ず……。
「”慈愛の女王”が治める国にも汚いことはあって、不幸なニンゲンだっているのよ」
以前にも、似たようなことを言われた。
死刑を待つだけの囚人から聞かされた。
「シエラはそれを、わしに伝えたかったのか……?」
「そういうわけでもないの。ただ、清らかな陛下に会えば、自分の心も浄化されるんじゃないかな、って。だけど、ダメみたい。貴女は私になにもくれない。なにももたらすことができない。ああ、貴女なんて言っちゃって、ごめんなさいね」
「わしが……わしがしてやれることは、本当に一つもないのか?」
「あるわよ」
「教えてほしい」
「お金、ちょうだい」
「そ、それは、じゃな……」
「できないの? 女王なんだから、やろうと思えば、なんだってできるんじゃないの?」
「……すまぬ」
「どうして謝るの? こっちは謝ってほしいだなんて、これっぽっちも思ってないのに」
返答に窮してしまう。
誰かにシエラを「無礼者!」と咎めてほしい。
情けないことに、本気でそう考えてしまった。
シエラは嘲るような笑い声を上げた。
「スフィーダ様は無力よ。私ごときを幸せにしてやることもできない。なんのための女王? 貧乏人のことは玉座の上から見下すだけ? きっとそうなんでしょうね。実は貴女からすればニンゲンなんて、どうでもいい無価値な存在なんじゃないの? 違う? 違っているなら、さあ、大いに否定してみなさいよ!」
シエラの口調は語尾に近づくにつれてヒステリックさを増した。
もはやフツウの精神状態ではないのかもしれない。
なにか言いたい、言い返してやりたい。
しかし、なにを言ったところで、偽善的に聞こえてしまうように思う。
椅子に座るシエラを挟み込むようにして立っている近衛兵の双子、ニックスとレックスが、なんの合図もなしに、同時に槍の先端を彼女の首に突きつけた。
いよいよ感情的になってしまったのだろう。
すぐにヨシュアが払うようにして右手を動かした。
その指示に従い、二人は槍を引き、直立の姿勢に戻った。
「……もう、もうやめてくれぬか?」
スフィーダの声は涙まじりである。
「いいわよ。飽きたし。もう行くわ。さようなら」
シエラはさっぱりとそう言って、ぷいっと顔を背けるようにして、去っていった。
自らの無能さ、無力さ、情けなさ、ちっぽけさ。
そういった思いが胸の内側でないまぜになる。
つらい。
本当につらい。
スフィーダは俯き、涙してしまったのだった。
◆◆◆
一週間後、髪の短い、ちょっと太めの女が訪ねてきた。
娼婦だという。
シエラの友人だという。
シエラから手紙を託されたらしい。
自分が死んだら届けてと頼まれていたらしい。
シエラは昨日、死んでしまったらしい……。
太めの女は白い便箋を寄越してくると、不愉快そうな目でスフィーダのことを見て、「ふんっ」と鼻を鳴らして、立ち去ったのだった。
スフィーダ、早速、手紙を広げた。
先の謁見の折に無礼を働いたことを詫びる内容だった。
つい八つ当たりをしてしまいました。
ごめんなさい。
とても簡単に、そう締めくくられていた。
先日と同じく、スフィーダの目からは涙があふれた。
彼女は手紙をくしゃくしゃに握り締める。
「なぜ、シエラは死んでしまったのじゃろうか……」
玉座のかたわらに控えるヨシュアの「ひどく痩せていましたから。病だったのでしょう」という言葉が、頭の上から降ってきた。
「どういう病かは見当がつくか?」
「職が職です。そういう病をうつされたのでございましょう」
「そういう病、か……」
スフィーダ、高い天井を見上げた。
シエラの胸の中で渦巻いていた怒りにも似た感情は、誰にぶつけたところでしょうがないものだ。
とはいえ、死の淵にあったわけだ。
ならば、他者に食って掛かるくらいはしたくもなるだろう。
人生最後の八つ当たりの相手に選ばれた自分。
そう考えると、スフィーダの気持ちは、ほんの少しだけ、軽くなった。
天井を見上げ、「シエラよ、さらばじゃ……」と声に出すと、口元も緩くなった。
見ることが叶わなかったシエラの笑顔を想像する。
笑えばきっと、愛らしかったはずだ。




