第29話 ロバのパン屋。
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口ひげも顎ひげも真っ白な老人はジェファソンと名乗り、パン屋だと職を明らかにした。
ロバに屋台を引かせ、毎日、決まった場所を回っているらしい。
一人と一頭がパンを売り歩いている様子を想像すると、胸がぽかぽかと温かくなり、つい微笑を浮かべたくなる。
跪いている老人の前にはかごいっぱいのパン。
スフィーダは玉座から立って階段を下り、両膝をついている老人の前まで歩むと膝を折った。
「もらってもよいか?」
「もちろんでございます」
ジェファソンはしわの深い顔をほころばせた。
スフィーダはベーコンエピを選び、かじった。
美味だったので、思わず「おぉ」と声を上げた。
かじってかじって、あっという間に食べ切ってしまう。
「ジェファソンはパン作りが達者なのじゃな。素晴らしいぞ」
「たいへん、恐縮でございます」
「ほれ、ヨシュアも食べぬか」
「いただきましょう」
スフィーダが手招きすると、ヨシュアも階段を下りてきた。
彼女は新たに手にしたベーコンエピを一口サイズにちぎって、それを手渡した。
彼はぱくっと食べた。
「なるほど。これはおいしゅうございますね」
「じゃろう?」
するとジェファソンは、目に涙を浮かべ。
「女王陛下にヴィノー様。お二人に食べていただけるなど、思いもいたしませなんだ。この老いぼれには、もう思い残すことなど、いっさいありません」
「これこれ。まるで明日死んでしまうようなことを言うでない」
そう言ったところで、スフィーダ、一つの可能性を思い浮かべた。
実際に、訊いてみることにする。
「まさかジェファソンよ、そなた、どこか体が悪いのか?」
「いえいえ。けっしてそのようなことは」
「なら、よかったのじゃ」
スフィーダはホッと胸を撫で下ろした。
次に小さなチーズパンをかじった。
ふむふむと頷く。
これもなかなかの一品だ。
咀嚼し、ごくんと飲み込み終えてから、スフィーダは「あるいは普段食べているものよりうまいやもしれん」と口にした。
「まさか。そんなことはありますまい。お城に納められるものなのですから、それはもう、いい材料を使っているに決まっております」
「材料についてはそうかもしれぬ。じゃが、それを百パーセント活かせておるとは限らんじゃろう? ジェファソンの熟練の技が材料の良し悪しなど超越してしまっていることだってじゅうぶんにあり得るぞ。のぅ、ヨシュアよ。おまえもそうは思わんか?」
「私はこれほどうまいパンは初めてでございます」
「おおぉ。本当に恐れ多いことですじゃ」
ジェファソンは合掌し、幾度も幾度も頭を下げた。
◆◆◆
玉座のすぐ後ろに設けさせたテーブルにおいてのランチである。
偶然だろう。
ベーコンエピとチーズパンが出た。
それらをぱくぱくと食べて、スフィーダ、改めて思ったのだ。
彼女は例によって左方を見上げる。
そこにはヨシュアが控えている。
「やっぱり、ジェファソンのパンのほうがうまいぞ?」
「あるいは好みうんぬんの話なのでは?」
「むぅ。そうなのじゃろうか」
「しかし、現状にまったく問題がないかというと、そうでもないのでございます」
このタイミングで、ヨシュアはにこりと笑んだのである。
「どういうことじゃ?」
「城に納品するパン業者は、長らくのあいだ、ずっと同じらしいのでございます」
「なるほど。そうなのか。おまえが口にしたいことは、言わずともわかるぞ」
「品質が絶対的なものであれば、ノー・プロブレムなのでございますが」
「そもそもずっと一つの業者から買い上げておる時点で、不公平なのかもしれぬな。それを解消するための妙案。なにかないものじゃろうか……」
「ございます」
「む。あるのか?」
「城に納品したい。陛下に食べていただきたい。そのように考えているパン職人は少なくないはずです。そこで定期的に、たとえば年に一度、コンテストを開いてはどうでございましょう?」
「おぉ。その手があったか。うむうむ。それはよい考えじゃ。わしは審査員として参加すればよいのじゃな?」
ヨシュアはかぶりを振って、「それはNGでございます」と答えたのである。
「ダ、ダメなのか?」
「陛下が審査員を務められてしまうと、鶴の一声になってしまうかもしれません。そうでなくとも、会場に姿を現すだけで混乱が生じてしまう可能性がございます。なにせ陛下は人気者でございますから」
「むぅ。確かにおまえの言う通りじゃ。人気者だと言われるとくすぐったいが」
「審査員は国民の中からランダムに選びます。それと、パンだけではなく、この際、食材等につきましても、調達先を一考すべきかと存じます」
「そうすることで、商人達には平等に機会を与えるべきじゃな」
「おっしゃる通りにございます」
「パン・コンテストは、早速、今年からやるぞ。大々的に周知するのじゃ」
「御意にございます」
食べることが大好きなスフィーダである。
好き嫌いもない。
過去には芋虫やサソリを食したこともある。
まあ、それらはけっしてうまいとは言えないものではあったが。
「結果はどうあれ、ジェファソンのパンは、また食べたいのう」
のんびりとした口調でそう言うと、彼の作ったパンの絶妙な香ばしさが口の中に広がった。
パン・コンテスト。
非常に楽しみなのである。




