第280話 女は覚悟と引き換えに。
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玉座の間。
謁見の場。
そろそろ闇が舞い下りようかという時間帯。
大扉から入ってきたのは、長い黒髪の女だ。
まことに美しい真っ白な肌をしている。
漆黒のロングドレスを着て、真っ黒なドレスハットをかぶっている。
今夜はパーティ。
そんな装いだ。
女は魔法による創造物、それほど大きくはない銀色の刃物を一つ、飛ばしてきた。
鎌のようなそれは、回転しながら迫り来る。
強い。
間違いなく。
強力な魔法使いだ。
鎌はヨシュアが張ったバリアを難なく破り、スフィーダの左肩を傷つけたのだから。
「陛下っ!」
ヨシュアが振り向き、彼にしては珍しく大きな声を上げた。
「よい! なんとかしろ!」
負傷した左肩を右手で押さえながら、スフィーダはそう発した。
しかし、ヨシュアが魔法で創造し投擲した黄金の槍は、女に向かう途中でパッと飛散してしまった。
わからない。
ヨシュアの一撃をいとも簡単にやりすごすなど、想像もつかない。
そんな芸当ができるニンゲンなんて、いるはずがない。
いきなり、ヨシュアががくりと片膝をついた。
目には見えないなにかに、上から押さえつけられているように見える。
とてつもない重量を持つなにかを、頭上から浴びせられているのだろう。
女が右の手のひらを、スフィーダのほうに向けた。
途端、スフィーダの左肩の傷から女の手のひらへと血が向かう。
まあるいかたちを成した血液が、吸い込まれるように飛んでゆく。
自らを奮い立たせるようにして、ヨシュアが立ち上がった。
右手を相手に、まっすぐに伸ばす。
だがしかし、彼が飛ばした幾本もの黄金色の矢も、ことごとく消滅した。
スフィーダの肩から流れる血液は、相も変わらず、女の手に吸われ続ける。
傷が浅いせいか、一気には吸引されない。
こんなことで、引き下がれない。
長らく魔女を、女王陛下をやってきたのだ。
スフィーダは歩み、前へと進み出た。
殺すしかなさそうだ。
そう決断した。
「名は問わん。どういうからくりなのか、それも訊かん。しかし、そなたが相当な覚悟をもって、この場を訪れたことくらいはわかるぞ」
女は「からくりくらいは教えましょう」と歌うように言った。
「私はここで、この場で死にます」
「ほぅ。どういうことじゃ?」
「私の魔法は覚悟と比例します。死ぬと決めた今、なんでもできるのです」
「なんでもできるというなら、とっとと殺してみろという話なのじゃが?」
「最後のひとときなのです。そう簡単に、終わらせたくないのです」
「こうやってくっちゃべっているあいだにも、血は吸われていく。わしは早いところ、そなたと決着をつけねばならん」
ヨシュアが「陛下……」と口にし、「お任せくださいませ。お下がりくださいませ」と続けた。
「ここで、この程度で臆して引くようなら、最側近などやっていませんよ」
ヨシュアが凄まじい重みに耐えていることは、よくわかる。
彼の周囲の石製の床が、べこんと凹んでいるからだ。
「さすがです、ヴィノー様。私の覚悟に勝るだなんて」
「私にだって、相応の覚悟くらいはありますからね」
「スフィーダ様のためなら死ねると?」
「そのために、私は生きている」
怖ろしいまでの重みをこらえているに違いないのに、それをものともせずヨシュアは浮遊し、相手に突っ込んだ。
創造した黄金色の剣を右手に握り、女の首を綺麗に刎ねて見せたのだった。
女の首が赤絨毯の上に転がるのと同時に、血液の吸引も止まった。
歩みを進める、スフィーダ。
女の首を見下ろす位置にまで至ったところで、頭がくらくらした。
後ろに倒れそうになったところを、ヨシュアが右手で支えてくれた。
ヨシュアは、がふっ、がふっと血を吐いた。
よっぽど効いたらしい。
「内腑をやられたか。おまえがこんなふうになるとはな……」
スフィーダは片膝をついているヨシュアの背をさすった。
「礼を言う。おまえがいなければ、わしは死んでいたかもしれん」
ヨシュアは立ち上がった。
彼は口からあふれ出る血液を、右腕で拭った。
「このようなことがまだ起きる。私が陛下のそばを離れることができない理由の一つでございます」
「しゃべるな。すぐ、医者に診てもらえ」
「問題ありません」
再度、口元を拭うと、笑顔を寄越してきたヨシュアだった。
◆◆◆
たくさん食べて、よく寝たら、すっかり回復した。
幼女の体のくせに自分はタフだな。
そう感じさせられたスフィーダである。
ヨシュアもフツウに出勤してきた。
いろいろとやり取りしたのだが、問題ないというので、問題ナシとした。
ヨシュアもまた、タフなのである。
玉座の間は修繕中。
べこっと凹んだ部分を直さなければならない。
三日で済むとはいうものの、その間、謁見の場はお休みだ。
◆◆◆
夜、スフィーダはヨシュアを私室へと招いた。
彼女はベッドの端に腰掛け、彼は向かいで椅子に座っている。
「あの女のことについて、なにかわかったのか?」
「さすがに昨日の今日でございますから。もう少しお待ちください」
「別になにも出てこんかったら、それはそれでよいのじゃ」
「あまり知ろうとは思わないと?」
「おまえだって、そうではないのか?」
ヨシュアは肩をすくめてみせた。
肯定するということだろう。
「しかし、あのような者がまだいるというのであれば、話は変わってきます」
「それはない。あの女は特異点じゃ。そうでなければ、わしはとっくに討たれておる」
「それは、その通りでございますね」
「じゃろう?」
「はい」
「いい経験になったのぅ」
「というより、教訓でございますね。ええ。世の中は広い」
「そういうことじゃ」
スフィーダは右手で拳をこしらえ、それをヨシュアに向けた。
グータッチをしようというジェスチャーだ。
「これからも二人三脚じゃ。がんばってゆくぞ」
「承知いたしました」
ヨシュアは右の拳をそっとぶつけて応えてくれた。




