第27話 痩せっぽちの子猫。
◆◆◆
午後最初の謁見者は、小さな少女だった。
年齢を訊くと「八歳です」と返してきた。
名前を訊ねると「マーサです」と返事をした。
跪いているマーサの脇には、ピクニックに持っていくような手提げのバスケットが置かれている。
その中から、不意に「にゃあ」と声がして、「にゃあにゃあ」と続いた。
「猫が入っておるのか?」
「はい。出してあげてもいいですか?」
「うむ。よいぞ」
歴代の、すなわちヨシュアより以前の最側近であれば「神聖な玉座の間に猫を上げるなんてとんでもない!」と目を吊り上げて怒ったことだろう。
いや、そもそも、猫を連れて女王に会おうなどという子供など、謁見者として選ばなかっただろう。
だからこそ、彼の優しさが改めて心にしみた。
マーサがバスケットのふたを開けた。
中から猫を抱き上げた。
子猫だ。
茶トラだ。
白い靴下を履いている。
「おぉーっ」
猫が大好きなスフィーダである。
だから思わず玉座から腰を上げ、階段を下りてしまう。
近づき膝を折る。
マーサが子猫を絨毯の上に置いた。
その場から動かず、にゃあにゃあ鳴く様子を、スフィーダは間近で見つめる。
「名は? なんというのじゃ?」
「サイラスです」
「オス猫か。なんとも勇ましい名前じゃの」
スフィーダ、右手を伸ばして撫でようとする。
彼女の手がその頭に触れた瞬間のことだった。
サイラスがビクッと体を跳ねさせたのだ。
続けて撫でてやると、もうビクつく素振りは見せない。
しかし、サイラスの目はあさっての方を向いている。
スフィーダを見ていない。
これは、ひょっとして……。
「まさか、サイラスは目が見えぬのか?」
「はい……」
マーサは途端にしょんぼりとした顔になり、肩を落とした。
最初は元気よく鳴く猫だなとだけ感じていたのだが、盲目だと知ると、不安を訴えたくて、にゃあにゃあ言っているように聞こえてくる。
「サイラスは痩せっぽちじゃな……」
「ほとんどエサを食べないの……」
「なにか理由があるのじゃろうか……」
「お医者さんが言ってたの。目が見えないから、生きることを諦めているのかもしれない、って。本当に、絶望しているかもしれないの……」
八つの少女が絶望などと言う。
だから余計に言葉に重みが感じられた。
「サイラスはマーサの家で生まれたのか?」
「ううん。捨て猫だったの。……あっ」
「よいよい。しゃべり方などどうでもよい。そうか。捨て猫か……」
「目が見えないから、きっと捨てられちゃったの……」
スフィーダが「そなたは優しいのぅ」と声を掛けると、マーサは目にじわりと涙を浮かべた。
「わしにどうして欲しいのじゃ?」
「スフィーダ様なら、このコの目を見えるようにできるかなと思って……」
なんとかしてやりたいとは思う。
でも、どうすることもできない。
だから正直に「すまぬ。それは無理じゃ」と告げるしかなかった。
「やっぱり、お母さんの言った通りなんだね……」
マーサがグスグスと鼻を鳴らす。
顔をくしゃくしゃにして、ただただ「にゃあにゃあ」と繰り返すサイラスのことを、スフィーダはそっと抱き上げた。
目を閉じて「すまぬな……」と、つぶやく。
覚えたのは、無力感だった。
◆◆◆
後日。
またマーサがバスケットを持って、玉座の間を訪れた。
にゃあにゃあは聞こえず、マーサの目は赤く潤んでいる。
……察するしかなかった。
スフィーダは玉座から立ち上がり、階段を下り、マーサに歩み寄った。
跪いている彼女の前に置かれたバスケットのふたを開ける。
目を閉じ、横たわっているサイラスが入っていた。
小さな体の上には、タンポポの花が幾本ものっている。
「わざわざ見せに来てくれたのじゃな」
「嫌だった……?」
「いや。嬉しく思う。とても嬉しく思う」
サイラスの頬に手の甲を当てる。
冷たい、容赦なく。
「帰ったら、お庭に埋めてあげるの」
「マーサに拾われて、サイラスは幸せじゃったろう」
「そうかな……?」
「そうに決まっておる」
「……スフィーダ様?」
「なんじゃ?」
「一緒に悲しんでくれて、ありがとう」
「どういたしまして、なのじゃ」
スフィーダはニッコリと笑った。
彼女の両の瞳からも、涙があふれていた。