第269話 長生きさん。
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少女と女性のあいだ。
そのくらいの年頃であろう娘が、玉座の間を訪れたのだった。
娘は右手にバスケットを提げている。
結構、重そうに見える。
中身はなんだろう。
そんなふうに思いながら、スフィーダは玉座を離れ、ぴょんぴょんと階段を下った。
すると、娘はバスケットを提げながら走ってきて。
慌てたように、走ってきて。
「す、すみません、スフィーダ様。ごめんなさい。駆け寄ってきていただけるなんて、本当に、申し訳ありませんっ」
娘はそう言うのだが、スフィーダはすでにバスケットから目を離せないでいる。
「なんじゃ、なんじゃ? そなたはなにを持ってきたのじゃ?」
「持ってきた、というわけではないんですけれど……」
「んむ? どういうことじゃ?」
すると、バスケットの中から、「にゃあ」と声がして。
ハスキーボイスの「にゃあ」が聞こえて。
「おぉっ。猫が入っておるのか」
「は、はいっ。猫が入っています」
「前にも似たようなことがあったのぅ」
「そうなんですか?」
「うむ。まずは出してやってくれ。わしに見せたくて、連れてきたのじゃろう?」
「まあ、その通りなんですけれど……」
娘がバスケットの蓋を開けた。
トラ模様の猫が見上げている。
顔を目一杯使って、にゃあにゃあ鳴いている。
「おぉーっ」
スフィーダは目をらんらんとさせる。
「立派な猫じゃ。大きいのぅ。いくつなのじゃ?」
「それが、もう二十五歳にもなるんです」
「ほえぇーっ」
スフィーダ、感心した。
猫の寿命はせいぜい十五歳程度だと耳にした覚えがあるからだ。
「なんと逞しい猫なのじゃ。感動じゃ。瞳もしっかりしておるし、毛並みも綺麗じゃ。まだまだ長生きすることじゃろう」
娘は「私が生まれたときには、もういたんです」と言い、はにかむような笑顔を見せた。
「名前は? なんというのじゃ?」
「私はケイトといいます」
「あ、あう。すまぬ。猫の名を訊いたのじゃ」
「あっ、そうなんですか?」
「教えてもらったもよいか?」
「グレイです」
「そうか。カッコいいのぅ」
ケイトがグレイを抱き上げ、ニコッと笑った。
グレイはまた、少々掠れ加減の「にゃあ」を発した。
「立派じゃ。本当に立派じゃ。スゴいぞ、グレイ」
グレイの狭い額を撫でるスフィーダである。
気安く触るな、この野郎。
俺は偉いんだぞ、馬鹿野郎。
それくらいは、言っているような気がする。
「ニンゲンの年に換算すると、もう百歳をこえているそうです」
ケイトはそう言った。
「それはスゴいのぅ。百まで生きるニンゲンなど、そうは聞かんぞ」
スフィーダ、改めてとても感動した。
「私がどうしてこのコを連れてきたのか、おわかりになりますか?」
「ん? どうしてなのじゃ?」
「じまーんです。私のグレイはとってもカッコよくて、とってもかわいいんです」
「じまーん、されてしまったな」
あっはっはと笑ったスフィーダである。
次の瞬間、彼女は一気に泣きたい気持ちに駆られた。
一生懸命生きているに違いないグレイのことが、とぉってもとっても、愛おしくなったからだ。
本当に、涙が出てきた。
「スフィーダ様……?」
「ほんに立派な猫じゃ。強い猫じゃ。長く生きることで、飼い主であるそなたに、極力、悲しい思いをさせたくないのじゃ。考えすぎじゃろうか……」
「グレイが生きているうちは、泣くつもりなんてなかったんですけれど、スフィーダ様にそう言っていただけると、嫌でも悲しくなってしまいます」
スフィーダはグレイの額を再び撫でた。
「ときというものは残酷で、いつか必ず、誰かと誰かとの関係を引き裂いてしまう。じゃが、生きてほしい。生きて抜いてほしい。グレイにはたくさん生きてもらって、天寿を全うしてもらいたい」
「まだまだ生きます。だって、こんなに元気なんですから」
「生まれ変わることがあれば、わしも猫になりたいのじゃ」
「そうなんですか?」
「猫みたいに自由に生きたいのじゃ」
「やっぱり、今のお立場は、しんどいのですか?」
「ま、そう思う瞬間もあるということじゃ」
スフィーダはグレイの額を、幾度も幾度も撫でる。
「素晴らしき猫に祝福を」
するとやっぱり、グレイは「にゃあぁ」と鳴いたのだった。




