表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
265/575

第265話 あたしはそんなの嫌だから。

       ◆◆◆


「ピット!」


 後方からそんな声が聞こえた。

 スフィーダは即座に振り返る。


 ミカエラの姿があった。

 七宝玉の攻撃を食らったせいで、軍服はずたぼろだ。

 ヨシュアの手を借り、なんとかといった感じで立っている。


 ピットを助けたい、救いたい。

 その目が瞳が、そう語っている。


「あるいは彼女は貴方に恋を? だとするなら、非常に興味深い場面です。私の生涯の中で唯一面白いと言っていい」

「テジロギさん、テジロギさん……っ」

「ピット・ギリー中尉、姉上とまた会いたいというのなら、彼らを一掃してもらえますか?」

「わかった。わかったよ……」


 立つにしたって傷が痛むはずだ。

 立ち上がればさらに痛みが増すはずだ。

 それでもピットは立ち上がり、鋭く強い目で睨みつけてくる。


「ピット、やめて! お願い!」


 心からの声だろう。

 ミカエラがそう叫んだ。


「いいぜ、いいッスよ。来いよ。スフィーダ様でもヴィノー閣下でも、ミカエラでもいい。俺を止めてみせろよ。そんなの、簡単なはずだ」

「ピット! やめて!」

「だから、それしか言えねーのかっつってんだよ。俺はテジロギさんに……テジロギさんを信じて……っ!」


 ピットが改めて七宝玉を走らせようとしたところで、ミカエラが「ダメぇっ!」と大きな声を発した。


 次の瞬間だった。

 椅子に座ったままでいたテジロギの胸を、黄金色に輝く槍が貫いた。


 がはぁっ!


 途端に血を吐いたテジロギ。

 前方に倒れ込んだテジロギ。


 今一度振り返ると、左手でミカエラの腰を支えたままのヨシュアの姿があった。

 彼は空いている右手で、無慈悲な槍を投擲したのだ。


「ミスター・テジロギ、貴方がいなくなれば、すべて片づきます」

「ば、馬鹿なぁ……っ。私が死ねば、ピット・ギリーの願いは未来永劫叶わず……っ」


 ピットは「う、うぅっ」と呻き、次に「テジロギさあぁんっっっ!」と叫び声を上げた。


 ヨシュアは「これでいいんですよ」と確信めいた口調で言った。


「これ以上、怪物は生まれない。死者も、よみがえったりはしない。ピット、あるいは貴方の敗北です」


 とても冷たい笑みを浮かべたヨシュア。


「本当に残念でしたね、ピット、貴方の姉上が生き返ることなんて、あり得ないんですよ」

「うわぁっ! うわああああああっ!!」


 ピットは頭を抱え、そのうち左右の拳を床に叩きつけ始めた。


 そんなピットに、ずたずたのミカエラが足を引きずりながら歩み寄る。


 ミカエラは地面に這いつくばっているピットのことを見下ろす。

 そして、彼の胸倉を無理やり掴むと、彼女はその頬にビンタをかましたのだった。


「しっかりしてよ、ピット! アンタが、アンタがセシルさんのことが好きだったっていうのは知ってる! 痛いほどわかってる! だけど! だけど、それでもあたしはアンタのことが好きになったんだ! お願いだから、セシルさんのことなんて忘れてよ!!」

「ミカエラ……無茶、言うなよ……」

「ミカエラじゃない! アンタはいつもあたしのことをミカって呼ぶんだ!」

「姉貴のことを取り戻したいんだ。どうしたって、どうしたって……」

「死人は生き返らない。それくらい、わかってるでしょ!」

「だからよぉ、ミカエラ、デケェ声出すなよ。うるせーからよぉ……」


 うるせーからよぉ。

 その一言を聞いて、ミカエラの怒りにはいよいよ火がついたらしい。


 ミカエラは何度も何度も、ピットの頬を張る。


 ピットはなにも言わずにそれを受け続け、ミカエラはやがて顔を両手で覆ってしまったのだった。


「ピット。本当に。わかる? アンタにわかる? アンタがセシルさんの話をするたびに、あたしが嫉妬してたの、わかってる? わかってるんでしょ……?」

「……わかってるよ」

「えっ……?」

「ああ、わかってる。わかってるさ……」

「そうな、の……?」

「ああ」

「本当に?」

「本当だよ。冗談ほざくシチュでもねーだろ」

「だったら!」

「ミカ……」

「なによ……?」

「姉貴が帰ってくるかもしれないってのは、さっきも言った通り、夢でしかねーんだよ。姉貴は死んだ。おまえは生きてる。たったそれだけのことだ。だから……わかってるんだよ、頭では、わかっているんだよ……」

「……キス」

「あん?」

「キスっ」

「ああん?」


 ミカエラが仰向けのピットの上に馬乗りになった。


「もうダメなの。言葉だけじゃ、足りないの、信じられないの」


 ミカエラの声は、切実さを帯びている。


「アンタのことは誰にも渡さない。だからピット、アンタも誓ってよ。あたし以外の女には見向きもしないって、約束してよ」


 ピットの「俺って、移り気だからなあ」というまあるい声には、優しさがあった。


「そんなふうに、ふざけたふうにものを言えるんだったら、もう大丈夫だよね? ねぇピット、そうだよね?」

「二回目だ。姉貴は死んで、俺はおまえが好きなんだ。俺自身、混乱しちまった。そんな俺を見ていたおまえからしたら、もっと混乱したんだろうな。ああ、それくらい、俺だってわかって……。悪い。泣きそうだ。なんでそうなのかは、やっぱよくわかんねーんだけど……」


 ミカエラがピットにキスをした。

 

 もう逃がさない。


 そんなふうな勢いを孕んでいるように見えた。

 ピットのことを上から下に押しつけ、ミカエラはキスを続ける。


 あまりに長い口づけだったからだろう。

 キスをやめた瞬間、二人は揃って「ぷはっ」と息を吐いた。


「ピット、愛してる愛してる愛してる……っ!」

「だからよぉ、姉貴は死んだんだ。わかってるんだ……」

「だったらあたしから目を逸らすな!」

「わかってんよ、わかったよ。俺が間違ってた。……わりぃ」


 潔い謝罪だった。

 ピットはもう心配ない。

 ミカエラの想いが、言葉が、冷たく凍えていた彼の心に温もりを与えたのだ。


 近づいてきたヨシュアが、「陛下、帰りますよ」と言った。

 スフィーダは彼に対して、「このあと、二人はどうなるのじゃ?」と訊いた。


「場所は関係ありません。床の硬さも問題としないことでしょう」

「と、いうことは……?」

「はい。ここで二人は初めて体を重ねることに――」

「やめろぉっ! 生々しいことを言うなぁっ!!」


 スフィーダは両手で顔を覆った。

 しかし、指のあいだは開いているわけだ。


 床に転がっているピットと、彼の上になっているミカエラは、見つめ合っている。


 この空間には、テジロギの死体が転がっている。

 しかし、そんなことはおかまいなしに、ミカエラは乱暴に上着を脱いだ。

 美しい背中だ。

 本当に美しい。


 とてつもなくイレギュラーな状況での、体の交わり。


 ヨシュアの移送法陣で去りゆく中、スフィーダは微笑んでいた。

 若者同士の愛し合う姿を見ることができて、彼女はとても、満足していた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ