第263話 一人ぼっちの戦い。
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私室のドアがノックされた。
コンコンコン……。
コンコンコン……。
慎ましげな知らせである。
それを契機に起きて気づいた。
休日の朝であるがゆえに、があがあと二度寝を敢行していたのだと。
いつの間にやら、掛け布団も蹴散らしていた。
カーテンを開けてから、寝ぼけ眼で戸を押し開けた。
ヨシュアが立っていた。
「お休みの日に申し訳ありません。少々、お時間をいただいても?」
「よいぞ。眠っておっただけじゃからの」
「ミロスにて怪物が暴れているそうでございます」
スフィーダは「ほぅ、そうなのか」と言い、あくびをした。
「ミロスと言って、おわかりになりますか?」
「我が国の領土じゃろう? なんでも、百年水道の南方にあるとか……って、なに?」
スフィーダの脳は、このタイミングで覚醒した。
自分はお寝坊さんだなという思いを新たにした。
「ミロスで怪物? どういうことじゃ?」
「言葉通りの意味でございます」
「怪物とはどういう輩なのかと訊いておる」
「言葉通りの意味でございます」
「ええい、同じことを繰り返すな」
「どのような外見であるのかは、聞くより見たほうが早いですね。とにかく怪物が、ヒトを殺め倒しているようです」
「ミロスにだって駐留軍はおるのじゃろう? なんとかならんのか?」
「なんとかならないから、本土に支援を要請してきたんですよ」
「確かにまあ、そうなるか……」
「ミロスはそう大きな島ではありません。とはいえ、数十万人が暮らしている。早々に手を打たなければならないということで、兵を出しましたが」
「ふむ。やはり状況については、聞くより見たほうが早いというのじゃな?」
「私は向かうと決めました。大将閣下自らが動くのはどうこう言われましたが、そこは責任ある立場としての判断です」
「わしも行くぞ」
「御意にございます」
「へっ? あっさりオッケーではないか。よいのか?」
「例によって、予測の範疇でございますから。さあ、とっととお着替えくださいませ」
◆◆◆
ヨシュアがメモっていたらしく、移送法陣で飛ぶことができた。
出だしから宙に浮いている格好である。
ミロスの中心部を襲っているのは、見たこともない怪物ばかりだ。
その筆頭と言えるのが、牛の頭を持ちヒトの体をした生き物である。
赤い肌をしている。
とにかく巨体だ。
その体躯に見合うだけの大きな木槌を持ち、それを叩きつけることで人々を片っ端から叩き潰している。
おまけに何体もいる。
怖気づいていていい場面ではない。
元より怖気づくような性格でもない。
スフィーダはものを放り投げるようなフォームで、左右の手から氷の狼を幾匹も放った。
牛頭のヒト型を真っ向から攻撃する。
魔法で作り出した黄金の剣を持ったヨシュアが、一目散に飛んでゆく。
牛頭の首や胴体をせっせと切り刻む。
非常にカッコよく男前な戦いぶりだが、そんな悠長な感想を抱いている場合ではない。
それでも、女王陛下と大将閣下の登場で士気が上がったらしい。
兵らは次々と、異形の怪物どもに立ち向かう。
今、戦っているのは駐留軍のニンゲンだろうか。
それとも、本土から派遣されたニンゲンだろうか。
判別はつかない。
そんな中にあってだ。
本当にいきなりのことだ。
見知ったシルエットが左方から視界に飛び込んできた。
軍服の上からでもわかる、鍛え抜かれた肉体。
赤茶けた髪はショートボブ。
両手には黒革の手袋。
間違いなく、ミカエラ・ソラリスだった。
宙からスゴい勢いで怪物どもに突進し、拳一つで話をつけていくミカエラ。
どっごんどっごんとぶちのめしていく様子は、見るからに爽快だ。
以前と比べると、一撃の重みが増したように映った。
ある程度、片づいたところで、ヨシュアが戻ってきた。
ミカエラもやってきた。
ミカエラはすぐそこまで来ると、宙で片膝をついてみせたのだった。
スフィーダのゆるしに従い、ミカエラは立ち上がる。
「なぜじゃ、ミカエラ。なぜ、そなたがここにおるのじゃ?」
「カツ先輩から話を聞かせてもらったんです」
「カツに? そうなのか?」
「はい。それで、ピットの奴、ここにいるんじゃないかな、って。アイツのおかげであっちにこっちにと飛び回りました。なので、体力的にはバテ気味です」
「バテ気味か。じゃが、さらに強くなったように見えたぞ」
「ありがとうございます。でも、今の戦闘もついでだってだけで……」
「どうしてピットがここにいると踏んだのか。そなたの見解を聞かせてもらいたい」
「テジロギ。なんでも死人をよみがえらせるとかって話ですよね?」
「うむ。じゃが、そのこととピットとがどう関係するのかはわかっておらん」
「多分……いえ、絶対に、そうなんだって思います」
スフィーダは眉をしかめた。
よほどのことだと感ぜられた。
「どういうことじゃ?」
「ピットにはお姉さんがいたんです」
「お姉さん?」
「はい。セシルさんといいます」
「いた、というのは?」
「自殺したんです」
「……本当に、どういうことじゃ?」
「ピットとセシルさんは愛し合っていたんです。肉体関係にもありました」
「実の姉と弟なのじゃろう?」
「はい。セシルさんは、ピットと関係を持ったことで、それを知られたことで、家族からも親戚からも、ひどく蔑まれていました。そういった事象は彼女からすれば、どうでもよかったことなのかもしれません。でも、自殺しちゃったんです。ピットの身を守るためだったんだと思います」
「自分が死ねば、ピットという人格がどん底まで貶められることはない。あるいはそう考えたということか?」
「そうなのかな、って。死んでしまえば、二度と交わることはないわけですから。そんなふうに考えるなら、はなっから抱き合わなかったらよかったのにって、あたしなんかは思うんですけれど」
ミカエラは苦笑じみた表情を浮かべ、スフィーダはうんうんと頷いた。
「話は大体、見えてきたな。いくらなんでもわしにだってわかるぞ。ピットはテジロギに姉を、セシルをよみがえらせてほしいと考えたのじゃ。だからこの島を訪れ、今は、今は、どこにおるのじゃろうのぅ……」
そんなおしゃべりをしている最中に、下方から湧き出るようにして、黒い人影がいきなり宙に姿を現した。
彼我の距離は三十メートルほど。
宙に浮いている同士で向かい合う。
スフィーダは目を見開いた。
人影の正体が、目当てのピットだったからだ。
ミカエラがゆっくりと後方を振り返る。
「ピット……」
そうとだけ呟いたミカエラ。
「来んなよ、馬鹿。ああ、ミカ、テメーは大馬鹿だ、最悪だ、サイテーだ」
とてつもなく憎らしいセリフを吐きくさったピットは、どことなく穏やかな顔をしているようにも見える。
「ねぇ、ピット、あたし、わかってるから。アンタがなにを望んでいるのか、わかってるから。でも、それって間違いなんだよ?」
「間違いかどうかは俺が決める」
「嫌だよ、ピット。アンタとガチンコだなんて、絶対にヤだ」
ピットがスフィーダ、ヨシュアにと視線を向けた。
「ミカ、おまえにすら敵わねーかもしんねーのに、スフィーダ様もヴィノー閣下もいるってんなら、俺は間違いなく勝てねーよ。でも、でもな? 俺はやるしかないんだよ……っ!!」
ミカエラが、「だから、それをやめろって言っているんだ!」と叫んだ。
「ピット、やめてよ、本当にやめようよ。苦しいだけなんだから、さ……?」
「それでも俺はやるんだよ」
ピットが魔法衣の左右のポケットから、計七つの黒い球を取り出した。
球の名は七宝玉。
ギリー家に代々伝わる魔法のアイテム。
七つの玉はあちらこちらへと飛び回り、やがてはミカエラにターゲットを絞った。
使い手の意思に応じてオールレンジでの攻撃を可能とする、非常に優れた、あるいは厄介な代物は、彼女を敵だと見据えたのだ。
「ピット……」
「頼むよ、ミカ。俺のために死んでくれ」
「だからっ!」
「もう言わなくったってわかってるよな? おまえを、アンタらを殺したら、テジロギさんは姉貴をよみがえらせてくれるらしいんだよ」
「アンタは、アンタはやっぱり間違ってる……っ!」
「だったらミカ、テメーが俺を止めてみせろ!」
「ピットォォォォッ!!」
ミカエラは真正面から、突っ掛かった。




