第233話 赤き翼竜に捧ぐ。
◆◆◆
長身痩躯の若い男はアコースティックギターを携え、玉座の間を訪れた。
男は椅子に座ると、歌を披露してくれた。
いい曲だった。
歌詞には感銘を受けた。
頷きたくなる説得力があった。
「ごめんな、スフィーダ様。下手な歌、聴かせちゃったよな」
「そんなことはないぞ。ただ、ギターではそなたの歌唱力を彩り切れんように感じた」
「ホント、いい見方すんですね。そうなんだ。俺が欲しい楽器ってのは、これじゃあないんだ」
「もっとこう、激しい感じの楽器が欲しいと思わされた。そなたの歌はあまりに情熱的じゃ」
「情熱的、か」
「使い古された言葉であるように聞こえるか?」
「いんや、ちげーます。スフィーダ様は素直にものを言えるんだなって感心させられたんです」
「そのへん、包み隠すことができんから、わしには奥ゆかしさというものが欠けているのかもしれんな」
「だとしても、カッコいいよ。ああ、カッコいい」
「ありがとうと言っておくのじゃ」
スフィーダが笑うと、男も笑った。
名前を訊こうかとも考えたが、今さら感が否めない。
会話をするにあたって、特に必要だとも感じない。
男との接触は、確かな心地よさをもたらしてくれる。
「タイトルはレッド・ドラゴン、か」
「だよ。ついこないだの話さ。おとぎ話くらいにしか考えていなかったドル・レッドさんのことを、この目で拝ませてもらった。そんなにデカくねーんだな。しかも、笑えるぜ、太ってた。腹がでっぷりしてた。だけどな、俺は思ったんだ。この上なく美しいなって思ったんだ」
「そなたが望むなら、会わせてやることもできるぞ?」
「マジかよ。あーっ、けど、やめとくわ」
「どうしてじゃ?」
「多分、会っても会わなくても、印象は変わんねーだろうから」
「とにかく、カッコよかったのか?」
「ああ。とにかく、カッコよかったんッス」
スフィーダ、男と見つめ合う。
先にくしゃっと表情を崩したのは、彼のほうだった。
「ちげーな。やっぱ、ちげー。やっぱ頼む。俺を翼竜さんに会わせてくれ」
「聞かせてもらいたい。会ってどうするのじゃ?」
「今、歌った歌を歌う。奴さんに捧げるためにこしらえた歌を歌う」
スフィーダは微笑んだ。
鼻の奥がつんとしたのは、きっとこの男が無邪気すぎるせいだ。
「明日じゃ。明日、行くぞ」
「そんな直近で大丈夫なんかよ」
「土曜日じゃからの。融通が利くのじゃ」
「いつ来ればいい?」
「朝一で来い」
「早朝かよ」
「早朝じゃ」
「わかった。またここに来ればいいか?」
「城門の前で待っておる」
「恐れ多いなあ」
男は、にひひっと人懐こい笑みを見せた。
◆◆◆
男は赤き翼竜を目にして、「おぉっ」と上半身をのけ反らせた。
実際の姿を目の当たりにすると、驚いて当たり前なのだ。
怖ろしいくらい、迫力がある。
あまり奥行きがない洞窟内。
朝日が差し込み、相応に明るい。
そんな中にあって、ドル・レッドはうつ伏せの状態で寝ている。
首から先をだらしなく地につけ、身のほうは丸くし、眠っているのだ。
そんなドル・レッドの腹部に背を預けて眠っているのは、青肌の魔法使いにして吸血鬼であり、見た目はまるっきり少年のイーヴルである。
敵が襲ってきたと感じたら、ドル・レッドもイーヴルも途端に目を覚ますはずだ。
だからだ。
だからこそ、なにも反応を示さないということは、オールオッケーということになる。
黙していたままではまるで要領を得ないので、スフィーダはイーヴルの頭をペシッと叩き、次にドル・レッドの横顔をバシバシと叩いた。
「起きろ起きろっ、起きるのじゃーっ」
ドル・レッドがまぶたを開けた。
大きな緑色の瞳が、ぎょろりと動いた。
「なんだ。やっぱりスフィーダか」
つまらなそうに言われたので、スフィーダはまた、横顔をバシバシ叩いてやった。
「なんだとはなんじゃ。おまえはそればかりじゃ。失礼な奴じゃ。コイツめ、コイツめっ」
「痛くはないが、ウザったい。わかった。俺の言い方がよくなかった。だから叩くな。くしゃみが出そうになる」
「おぉ、竜がくしゃみをするところは見てみたい気がするぞ」
「だからって、ペシペシ叩くな」
緑色のぎょろぎょろとした目が、連れてきた男のほうを向いた。
「で、おまえは誰だ? 何者だ?」
男はおかしそうに笑うと、ドル・レッドの鼻先に左手で触れた。
一気に気色ばんだ雰囲気をまとったドル・レッドである。
「おい、おまえ、馴れ馴れしいぞ。食われたいのか?」
「んなわけないっしょ、ドル・レッドさん? にしても、あー、スゲー。マジかよ。マジで竜っているんだな」
鼻先をパシパシと叩かれたドル・レッドは、諦観したのか、それとも男の無邪気さに呆れたのか、とにかく鼻からふぃーっと息を漏らしたのだった。
「メチャ、カッコいいぜ、ドラゴンさんよ。”最後の知恵ある竜”ってあだ名だよな?」
「若造、それがどうした?」
「いんや、最後のってんだろ? だったら、昔は仲間もいたのかなってよ」
「それこそ、馴れ合いはしなかったが、いたよ、俺みたいな奴が」
「そいつらはどうしたんだ? どこに行っちまったんだ?」
「あの世さ。いろいろあった。ああ。本当にいろいろあったんだ。で、おまえは歌手かなにかなのか?」
「おっ。わかります?」
「首から提げているのはギターだろう?」
「スッゲ。マジ、知恵ある竜なのな」
「フツウに考えろ。脳の大きさを比較してみろ。俺はおまえらなんかより、ずっと賢いんだ」
「アンタのために、歌っていいか?」
「やめろ。相棒の吸血鬼がいよいよ起きちまう」
男は大口を開け、「アッハッハ!」と笑った。
「おい、だからおまえ、静かにしろ」
「いや、わりぃ、わりぃ。新たなインスピレーションだ。竜と吸血鬼。歌にできちゃうじゃんかよ」
「歌で食っていけるのか?」
「無理に決まってんだろ。だから普段は方言隠して、バーガー屋でバイトなんかしてんのさ」
気のせいだろう。
ただでさえ、竜の表情なんて読み取りにくいのだ。
それでも、ドル・レッドは頬を緩めたように見えた。
優しいニュアンスで、男のことを包んだ気がした。
「スフィーダ」
「なんじゃ?」
「埋もれたっていいんだ。日の目を見なくたっていい。ただ、こういう若造は大切にしてやれ。こういった個性がなけりゃあ、ヒトの営みは、途端に寂しさを増してしまうんだ」
「ほんに、そなたが言うと含蓄があるのぅ」
「二度寝したい。いいか?」
「よいぞ。邪魔をしたな」
言ってスフィーダ、その大きな横顔にキスをした。
すると竜は、満足したように目を閉じたのだった。




