第221話 任命権のあり方。
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昼食後。
ヨシュアと紅茶を楽しんでいる時間。
「ヨシュアよ、最近気づいたのじゃ。たとえばわしなどは、人事において、さまざまなニンゲンをその職に任命するじゃろう?」
「はい。陛下の重要な役割の一つです」
「じゃが、おかしいとは思わんか?」
「なにがでございますか?」
「だってじゃな、わしは任命したことしかないのじゃぞ? 任命を拒否した経験はないのじゃぞ?」
ヨシュアは苦笑じみた表情を浮かべた。
だからスフィーダは、いよいよそこに慣習があるように感じられた。
「また、難しい問題についてものをおっしゃいますね」
「難しい問題なのか?」
「おわかりでしょう? そのあたりのことは、もはや慣例化してしまっているんですよ。推薦者が選んだ者には無条件で権利を与える。そういう仕組みなんです」
「しかし、そうすることによって動く税金もあるのじゃろう?」
「はい。しかも多額です」
「じゃったら――」
「セラー首相はなんとかしようとなさっています。しかし、ある意味、それは些末なことですからね。首相自らがテコ入れに参加しなければならないという状況のほうが、異常と言えます」
「むぅ。なるほどのぅ。難しいのぅ」
「難しくはございません。上がなにも動きを見せないから、下が好き勝手をやれているというだけのことなのですから。その構造については、もっと国民に知ってもらいたいですね。そうなれば、利害関係者による安易な人事権も剥奪されることでしょうから」
「むむぅ。やはり政治はややこしいではないか」
「ですから、ややこしくはございません。さらに申し上げますと、政治の問題ですらありません。やるべきニンゲンがやるべきことを遂行すれば、ある程度は綺麗さっぱりする話なんです」
「それができないのは、誰のせいなのじゃ?」
カップに口をつけたヨシュア。
彼は「ですから、既得権益にしがみついているニンゲンですよ」と、さらりと答えた。
「今の時代にも、既得権益なんてものがあるのか?」
「大いにございます」
「誰かが変えねばならんじゃろう?」
「セラー首相が旗手になってやろうとしている。そう申し上げました」
「おまえがさっき言ったぞ? アーノルドは首相じゃ。そんなことをしている暇はないのじゃろう?」
ヨシュアは優しげに笑んだのである。
「陛下。問答がループしていますよ」
「大切なことじゃろうと思って、粘っておるのじゃ」
スフィーダも紅茶を口にした。
憎たらしいネフェルティティから送られてきたものだが、確かに香り高く、味もいい。
「セラー首相はパワフルですからね。党を超越した仕事ぶりにも定評があります。先ほども申し上げましたが、今まで黙っていても税金を搾取できていたニンゲンらは、戦々恐々としているはずです。入ってくるものが入ってこなくなるのですから。そうなれば、声高に訴えたくもなるでしょう。騒ぎ立てることで政府がおかしいと糾弾するでしょう。しかし裏を返せば、単純に甘えていた者が困るというだけです」
「ふーむ。そういうことなのか」
「官僚が牛耳っている感はありますが、野党議員が彼らより無能なのだからやむを得ない」
ヨシュアはふるふるとかぶりを振ってみせた。
「つまるところ、わしには難しい話などわからんのじゃ。ヨシュアよ」
「なんでございましょう」
「おまえはばっさりすぎやせんか?」
「そうでもないと考えますが」
「もう一つ、質問がある」
「伺いましょう」
「どうしておまえは、さまざまなことについて詳しいのじゃ?」
「詳しくはありません。事象を元に評価した結果を述べているだけでございます。陛下にだから申し上げますが、私みたいに客観性が過ぎるニンゲンは、やがて誰からも嫌われるようになります」
「正しいことを言っているのに、嫌われるのか?」
「いろいろと申し上げました。しかし、正しいことを完璧に証明できるニンゲンはいないのです。世の中、そういうものでございますよ」
◆◆◆
金曜日の夕刻。
謁見者の対応が終わった時間帯。
玉座の間を訪れたのは、真っ青な長髪をポニーテールに結った美女。
それすなわち、レオ・アマルテア准将閣下である。
片膝をつく様子はビシッとしている。
ゆるしを得て立ち上がっても、やはりビシッとしている。
ヨシュアが「お久しぶりです。レオ准将」とフレンドリーに話し掛けた。
すると彼女は「久しぶりでもありませんよ」と口元だけで笑んだ。
「貴女が愛想を振りまきに来るとは考えにくい。なにかあったんですね?」
「大したことではありません。部下が一人、わがままを言う」
「それは誰ですか?」
「とある大尉殿です。ハイペリオンとの小競り合いの際に少々役に立ちました。その引き換えに、司令官の特権を行使しろと。戦時階級で少佐にしろと」
「そうして差し上げればよいのでは?」
「驚きました。ヴィノー閣下、本気ですか?」
「冗談です。私から降格の指示を出します」
「手数をお掛けし、申し訳ございません」
「本当に申し訳ないと思っていますか?」
「実はそうでもありません」
「でしょうね。ところで」
クックと笑った、ヨシュアである。
「准将。たったそれだけの用件のために戻ってきたんですか?」
「いえ。大馬鹿者の処遇などどうでもいい。かねてからヴァレリアに声を掛けられていましてね。指揮官の立場をほっぽらかすのはどうかとも考えましたが、あいにく、私の部隊はそんなに弱くない」
「食事ですか?」
「プラス演劇です」
「ハイペリオン側の詳しい動きは?」
「不戦の合意書はとっくに形骸化しています。その旨、幾度もお伝えしたつもりですが?」
「ええ。よく存じ上げていますよ」
「ヴィノー閣下はヒトが悪い。しゃべらずともよいことを、あえてしゃべらせようとする」
「今度、ウチにも来てください。妻の手料理を振る舞いますよ」
「お断りします。隻腕の女がこしらえる料理。少なからず、気が重い」
失礼いたします。
そう言って、踵を返したレオ。
彼女はまっすぐに歩いていき、大扉の向こうへと姿を消した。
「ふーむ。そうなのか。司令官の特権などというものがあるのか」
「ご存じありませんでしたか?」
「いや。どこかで聞いたような気がしないでもないが」
「とにかくそれは、認められています。ですが、自ら要求するようなニンゲンはまずいません」
「じゃが、実際におったのじゃろう?」
「ですから、馬鹿なんですよ。よって、降級させると言った次第です」
「難しい人事の話など、わしからするとちんぷんかんぷんじゃ。なんだかんだ言っても、やはり任命権のみのほうが楽に違いない」
「しっかりとした仕事をしましょう。人任せは厳禁でございます」
「わかっておる。そう怖い顔をするな」
スフィーダは玉座の上に立ち、両手を突き上げ、伸びをした。
「お行儀が悪うございますよ?」
「なんならわしも、女王から降ろしてくれ」
「面白いジョークですね」
「じゃろう?」
スフィーダは、はっはっはと笑ったのだった。




