第214話 ブロッケン。
◆◆◆
日曜日。
スフィーダは玉座の上で膝から下をぷらぷらさせながら、読書をしていた。
すぐそばの椅子にはヨシュアが座っており、やはり本を読んでいる。
ヨシュアはそうでもないのかもしれないが、アクティブなスフィーダとしては、やはり退屈なのである。
そんな最中に思いついた。
「ヨシュアよ、ちょっと付き合わんか?」
そう声を掛けると、ヨシュアはゆっくりとスフィーダのほうを向いた。
「どこに行かれようと?」
「わしにとっては、懐かしい場所じゃ」
「懐かしい場所? しかし行き先がどこであれ、万一のことがあっては――」
「じゃから、おまえが供を務めるのじゃろうが」
「なるほど。いいでしょう」
「最近、おまえは物わかりがよくなったように思うぞ」
「恐れ入ります。重ねてになりますが、危険だと感じたら、ただちに連れ帰らせていただきますので」
「それでよい」
◆◆◆
スフィーダの移送法陣で、二人して目的の場所まで飛んだ。
到着した先は、緑がなく、なんの愛想もない岩場である。
すぐ目の前の岩壁に、けっして大きいとは言えない長方形の穴が空いている。
「この地はいずこなのですか?」
「秘密じゃ」
「ふむ」
「不満か?」
「いえ」
「ここはのぅ、ヨシュア、わしがこの世に生を受けた場所なのじゃ」
スフィーダはヨシュアを見上げ、微笑んだ。
彼は目をぱちくりさせる。
さすがに驚いたようだ。
「この穴の向こうがそうじゃ。行ってみるか?」
「陛下が入るとおっしゃるのであれば」
「じゃったら、ついてくるがよい」
「やれやれ。這いつくばらないといけませんね。着衣が汚れてしまう」
「わしだってそうじゃぞ」
スフィーダは四つん這いになり、穴の中に入る。
彼女が通るには余裕があるが、ヨシュアはぎりぎりだろう。
十メートルほど進むと、それなりに広い空間に出た。
天井はドーム状になっており、ぐるりの岩の壁はごつごつと出っ張っている。
「陛下が生まれた場所。ここがそうなのですか?」
「正確に言うと、生まれたという表現は間違いなのかもしれんな。気がついたら転がっておっただけなのじゃからの」
「どれくらいのあいだ、ここにおられたのですか?」
「数か月といったところじゃろう」
「食糧も水もない中で、数か月も?」
「そこがわしの化け物じみているところじゃ」
ほぅ、なるほど。
興味深そうに言葉を漏らした、ヨシュアである。
「しかし、陛下はそのうち外に出て、ヒトと関わり合いを持つようになった」
「言ったことがあるじゃろう? ずっと一人で、実は寂しかったのじゃ」
「幼女の姿でありながら、誰よりも魔法が達者なわけです。それだけで、信仰の対象に値する」
「わしはここを隠れ家にしておった。水や食べ物もここに持ち込んだ。じゃが、やがてはそれも、当時のヒトの知るところになってしまった」
「そのあたりが面倒に感じられたから、ここをあとにしようと?」
「そんなところじゃ」
「陛下を魔女と定義して、あるいは殺害しようという者もいたのではありませんか?」
「魔女狩りという風習はあったのぅ」
「しかし、魔女とされたそのほとんどは、ただのニンゲンだった?」
「うむ。じゃが、根本的に排他的なのがヒトという生き物じゃ。よって、その存在も行為も、否定できるものではないと思う。のぅ、ヨシュアよ、わしの話を聞いた上で、ここをどう思う?」
「客観的に評価すると、どう考えても寂しい場所ということになりますね。それにしても」
「なんじゃ?」
「いえ。ここに入る前によいことがあったなと思いまして」
「よいこと? それはなんじゃ?」
「四つん這いの陛下に続くことで、下着を拝むことができました」
「ななっ、なんじゃとっ!?」
「本日は黒だったのですね。大人の真似事でございますか?」
恥ずかしさと腹立たしさを覚え、そんな思いから、スフィーダは「コイツめ、コイツめっ」とヨシュアの胸を両手でぽかぽかと叩いた。
「それにしても、本当に悲しく、またむなしい場所でございますね」
「やはり、そう感じるか?」
「はい。この山に名前はあるのですか?」
「わしのことを信仰していた民族は、ブロッケンと呼んでいた」
「その民族は、今?」
「ここに食べ物や飲み物が供えられていないことから考えるに、滅びたのじゃろう」
「陛下にとって、ここは大切にしたい空間なのですか?」
スフィーダは苦笑し、「そんなことはない」と答え、かぶりを振った。
「ここがルーツだというだけじゃ。感傷に浸るのはまだ早い」
「ダインの打倒が大目標だと?」
「そう転ぶ可能性は、低くないのかもしれん」
「私からすれば、相手にとって不足なしといったところでございます」
「フォトンにとっても、そうなのじゃろうな。じゃが、ダイン以外にも、この世界には不確定要素が多すぎる。そのへん、わしは危険視しておるのじゃ」
「死神に見捨てられた幼女の危惧といったところですか」
「わしは巨大な業を背負っておる。ゆえに、いつか誰かに断罪されたい」
「ここにご案内いただいたこと、嬉しく思います」
「そのように言ってくれるおまえのことは大好きじゃ。しかし、パンツのことは忘れてくれ」




