第210話 ラースの迷い。
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ビーンシィの旧国主の家にルーツを持ち、今は隣国ハインドで一兵士として働いているラース・アルマシーが謁見に訪れた。
友人ではあるものの、優先して入れたわけではない。
他の謁見者と同様に、順番を待たせてから通したのだ。
そのへん、ヨシュアはきちんとしているのである。
今日のラースはタイトな白い上下に身を包み、白いロングコートを羽織っている。
本当に、立派になった。
逞しく育った。
まだ十七という年齢だが、スケールの大きさが漂っている。
ラースは所定の位置で片膝をつき、スフィーダのゆるしに従う格好で椅子に腰掛けた。
所作の一つ一つに、高貴さが匂い立つ。
微笑みを向けると、微笑みを返してきた。
そろそろ縁談を考えてもよいのではないか。
そう思わせるくらい、もはやイイ男なのである。
「今日はスフィーダ様、それにヴィノー様に相談があって参りました」
呼応するように「ラース」と呼び掛けたのはヨシュアだ。
「なんでしょうか?」
「ヴィノー様はよしましょう。ヨシュアで結構ですよ」
「そんな。恐れ多くてとても、とても」
「貴方は私を兄と慕ってくれているのでしょう? とするなら、ヴィノーはおかしい」
「おゆるしいただけるのですか?」
「特別です。貴方にはゆるしますよ」
ヨシュアにそう告げられたラースは破顔して。
「わかりました。これからはヨシュア様と呼ばせていただきます」
「様以外に適当な呼び方があればよいのですがね」
小さく肩をすくめたヨシュア。
「それでラース、用件はなんですか?」
「このようなことをスフィーダ様とヨシュア様にお話しすること自体、正しくはないのかもしれませんが……」
「まずは言ってみなさい」
「実は我が祖国、ビーンシィにおいて、私を国主に据えようとする動きがあるのです。私は一兵卒でかまわないと、自らを定義していました。これからもずっとそのつもりでした。ですが、待望されているのだと思うと、複雑な気持ちに駆られてしまいます」
「貴方が国主になれば、今度は私がラース様と呼ばなければなりませんね」
「そんな。からかわないでください」
「ええ、そうです。からかっただけです」
「本当にヒトが悪い」
ラースは笑顔を見せると、少々俯き、吐息をついた。
「正直、困っています。どうすべきなのか、どうすることが正しいのか……」
「そこで、陛下と私に相談というわけですか」
「その通りです。情けないことですが、決めかねています」
「陛下」
「おぉっ、ヨシュア。やっとわしの出番か」
「この件、あまり硬い話にする必要もないかと存じます。思いを語るだけですからね。そこで、ティータイムを提案します」
「名案じゃ。ラースよ。十五時にまた訪ねてきてもらってよいか?」
「もちろんです。……あっ」
「む。なんじゃ?」
「できれば、クロエ・ヴィノー様もお誘いいただけませんか。あの方はその――」
「そうじゃったな。そなたにとっては姉のような存在なのじゃったな」
「久しぶりにお顔を拝見したいです」
「じゃが、今のクロエの姿を見たら、恐らくそなたは……」
途端に、ラースは眉間にしわを寄せた。
「なにかあったのでございますか? 奥様の身に、なにか……」
「会えばわかる。ヨシュアよ」
「問題ありません。妻も同席させます」
◆◆◆
テラスに設けさせた白いテーブル。
スフィーダはラースと隣り合った。
彼女の向かいにはヨシュアが、はす向かいにはクロエが座った。
ラースは左腕がないクロエを見て、目を見開き、口をわななかせた。
「お、奥様……」
「何度も申し上げましたが、クロエでかまいません。ラース様。お元気そうですね」
クロエはニコニコ笑っている。
「そ、そのご様子は、どうして……」
「いろいろありました。ですけど、今の私は幸せです」
「ヨシュア様、なにがあったかのか、詳しくお聞かせください!」
「ラース、大きな声を出さないように」
「し、しかし――」
「もう終わったことです。私も妻も、もはやなにも気にしていません」
「……くっ」
ラースが下を向き、涙をこぼした様が、スフィーダにはよく見えた。
彼は本当に、クロエのことを姉と慕っているのだろう。
「顔を上げてください、ラース様」
クロエに呼び掛けられ、ラースは言われた通りにした。
「本当に、ご立派になりましたね。世の女性は、貴方のことを放っておかないことでしょうね」
クロエは笑う。
目を細めて、穏やかに笑う。
「ヨシュア様、私は……私は、誰も不幸にならない世界を作りたい……っ」
「それは不可能です」
ヨシュアがあまりにもずばっと言ったので、スフィーダは紅茶を吹き出しそうになった。
「ヨヨ、ヨシュアよ。不可能じゃとしても、心意気は買ってやるべきじゃろう?」
「はい。ですから、私はラースに立てと言いたい」
「立て、ですか……?」
「そうです。上に立つ者に求められるのは、理想を打ち上げ、それを守り抜くことです。みなを悲しくさせないために生きる。それは非常に尊いことなんですよ」
「しかし、私にそのような力はない。そんなふうにも思えてしまって……」
「軍の大将に任命されたとき。陛下の最側近に指名されたとき。どちらのケースにおいても、私に務まるのだろうかと、少々、不安に思ったものです。私は筋金入りの個人主義者ですから」
「個人主義者なら、国の未来を思ったり、クロエ様を愛されたりはしないだろうと考えます」
するとクロエはますます優しげに笑み。
「その通りです、ラース様。ヨシュア様は、私の夫は、すぐに嘘をつくんです」
「クロエ」
「たまには私にも、言いたいことを言わせてください」
クロエと見つめ合い、数秒。
ヨシュアはにこりと、笑ってみせた。
「陛下」
「うむ。なんじゃ?」
「ラースは上に立つべきニンゲンだと思われますか?」
ヨシュアがぶつけてきたそれは、あるいは難しい質問なのかもしれない。
だが、スフィーダの答えは決まっている。
「ラースよ」
「はい」
「わしはそなたのことを根っこまで知っているとは言えぬ」
「はい」
「じゃが、そなたは、ヒトを束ねるだけの器を持ち合わせているように思う」
「恐れ多いお言葉です」
「白い身なり。それはヨシュアに憧れてのことなのじゃろう?」
「はい。けっして超越できない壁ではございますが」
「明日、わしは久しぶりに、自らをお披露目する」
「お披露目?」
「そなたもその場に立て」
「えっ?」
ヨシュアは「それはようございますね」と言った。
やはりクロエはニコニコと笑む。
「わ、私はまだなにも、していないのですが……」
「したい。したくない。ラース、結局のところ、貴方はどちらを選ぶのですか?」
「ヨシュア様、それは……」
ラースの目が真剣みを帯びた。
決意を放つ強い瞳だ。
ヨシュアは「素直でよろしい」と歌うように言ったのだった。




