第199話 社長、変身。
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黒いスーツを着た、見た感じ、六十歳くらいの男性だ。
白髪ではあるものの、毛量は豊かで、きちっと七三に分けられている。
とにかく顔の彫りが深い。
イイ男である。
男はバラクと名乗った。
男前にふさわしい、男前な名前だ。
「まずは椅子に座ってくれ」
「はっ。それでは失礼いたします」
バラクは静かに腰掛けた。
所作がしっかりしているから、やはり立派に映る。
だがしかし、「何用じゃ?」と訊ねると、途端にバラクは難しい顔をした。
膝の上に置いている手を、ギュッと握り締める。
先ほどまでの堂々さっぷりはどこへ行ってしまったのか。
「どうしたのじゃ? なにか難題を抱えているように見えるが」
「お話ししてもよろしいでしょうか?」
「もちろんじゃ」
「で、では」
一つコホンと咳払いをしたバラク。
「私は某ブランドの社長の職にありまして」
「某ブランド?」
「はい。服に靴に装飾品、いろいろと取り扱っております」
「ほぅほぅ。まさにアパレル産業じゃな。儲かっておるのか?」
「赤字になったことなどありません。お手頃価格のものから高価な品まで、手広くやっている成果でしょう」
「ふむふむ。めでたいことばかりではないか。そのわりには、そなたの表情は暗いのぅ」
「理由があります」
「申してみよ」
「私以外の社員が、みな、女性なのです」
スフィーダは「ほぉぉ」と発しながら、こくこくと頷いた。
「それじゃと少し、働きにくいかもしれんのぅ」
「おわかりいただけますか?」
「そもそも、どうしてそんなことになったのじゃ?」
「親会社から出向を言い渡された身です」
「社長として抜擢されたということか?」
「給料は上がりました。だから抜擢は抜擢なのかもしれませんが……」
「本意ではなかった?」
「はい。これでも私は、本社の取締役だったのです」
「繰り返すようじゃが、とはいえ給料は上がったのじゃろう?」
するとバラクは「スフィーダ様!」と大きな声を出し。
だからスフィーダは、「お、おぉっ、なんじゃ?」と少し驚いてしまい。
「扱っているのは本当に女性ものばかりなんです。だったら、私になにをしろと!」
「え、えぇっとじゃな、社長は社長らしく、革張りの椅子にどでんと座っておればよいのではないか?」
バラクは「ああっ、それでは私の存在意義が!」などと頭を抱えた。
悩みは相当深いものであるようである。
「形式的なものとはいえ、新商品が開発された折には、社長プレゼンが行われます」
「社長プレゼン?」
「はい。文字通り、それを商品として店に並べるか否かを判断する場です。私が判断するわけです」
「なるほど。それはちょいとばかし、難しい立場かもしれんな」
スフィーダ、うんうんと頷く。
もちろん、バラクの苦しみがわかったような気がしたからだ。
「いろいろと努力はしているつもりです。しかし、たとえば今春、今秋のは流行なんて、私に予測がつくはずもありません。どれだけ勉強しても、わからないのです」
「じゃったらじゃったで、プレゼンの際も、いっそテキトーに首を縦に振っていればよいではないか?」
「スフィーダ様は私に仕事をするなとおっしゃるんですか!」
「こ、声を荒らげるでない。気持ちはわかるのじゃ。しかし結論じゃ。若い者のことは若い者に任せておけばよかろう? それではダメなのか?」
「……社において、私がなんと言われているかわかりますか?」
「な、なんと言われておるのじゃ?」
「かわいいと言われております」
「かわいいは正義じゃと聞くぞ?」
「からかうのはやめていただきたい!」
「わ、わかった。今のはわしが悪かった。しかしじゃな――」
「粉骨砕身、がんばってきたつもりです。なのに、このような仕打ち……。あんまりではありませんか……っ」
至極悔しそうな顔をする、バラクである。
彼のキャリアがそのような思いをさせるのか、彼の本心がそう訴えてくるのか……。
「若い女子と仲良くできるのであれば、それはそれで楽しいのではないか?」
「そのようなことはありません。楽しくなどありません。何度でも申し上げますが、仕事と呼べる仕事がないのでございます。あまりに暇なときは、公園で鳩にエサをやったりする始末なのです……」
「そ、それはなんともやりきれんのぅ。じゃが、仲良くやるしかないじゃろう?」
「現状においては、まあ……」
「子会社とはいえ、社長であるわけじゃ。バラクよ、胸を張ったほうがよい」
「そうでしょうか……?」
「まずは根気よくかつ積極的に、女子の旬のファッションを調べるべきじゃ。さすれば道は開けるじゃろう」
「道が開けるということは……?」
「今よりずっと、椅子の座り心地がよくなるということじゃ」
「わかりました!」
思いのほか、勢いよく立ち上がったバラクである。
「やります。まずは社員にいろいろとリサーチしてみます」
「うむうむ。そのあたりが切り口としてはよいじゃろうな」
「さすがはスフィーダ様。背中を押していただいた気分です」
「実際、押しただけじゃ。一生懸命、励むとよいぞ」
「はいっ!」
◆◆◆
それから三日。
またバラクが玉座の間を訪れたのだった。
もともと野暮ったいニンゲンではなかったのだが、なんというか、それに輪を掛けて垢抜けた。
髪を短く刈り、スーツもかたちのよいタイトなものになっている。
まるでファッションショーに出るモデルのように見える。
「ハッハッハ!」
バラクは椅子に座るなり腕も脚も組み、高らかに笑った。
「お、おぉぉ。見違えたぞ、バラクよ」
「スフィーダ様、私はおしゃれというものに目覚めました。今までなぜ、ダサい服装をしていたのかと、恥ずかしいくらいの気持ちでございます」
「ダ、ダサいことはなかったと思うのじゃが……。それで、社員の女子達にはウケたのか?」
「彼女らに服を見立ててもらったのです。すると、ことのほか、カッコいいを連発されてしまいましてね。ハッハッハ!」
「モテモテじゃということか?」
「まあ、控えめに言ってもそうでしょうな、ハッハッハ!」
素材はよかったのだ。
だから、少し旬を取り入れればさらにカッコいいと言われるだろうし、なんというかこう、ちやほやされもするだろう。
しかし、自意識過剰というか、意識高い系というか、そういう性格になってしまったことは、あまり感心できることではないように思う。
バラクはすっくと椅子から立ち上がった。
「スフィーダ様、では、私はこれで。表に秘書を待たせているのでね。ハッハッハ!」
やはり笑いながら、去っていったバラクである。
スフィーダ、右手を顎にやりつつ、左方を見上げた。
「のぅ、ヨシュアよ、バラクの変身は成功したと思うか?」
「成功したのでは? 私は以前の彼のほうが好きでしたが」
同じ意見ゆえに、深く頷かざるを得ない。
下手におだててしまったかな?
そう考えると、なんだか悪いことをしたように感じてしまう。
それでもまあ、本人が元気になったのだからよしとし、スフィーダは玉座から立ち上がった。
脈絡もなく、昼のメインディッシュは肉だといいなと思った次第だ。




