第196話 説教。
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穏やかで物静かで優しそうなニンゲンだ。
その男は握手がしたいと言った。
だからスフィーダは、彼を自らのほうへと招いた。
スフィーダは玉座から腰を上げ、立って男を迎えた。
するとだ。
いきなり、男はズボンのポケットから小さなナイフを取り出し、襲い掛かってきた。
目を見開くくらいしかできない。
驚きのあまり動揺し、対応するのが遅れてしまった。
スフィーダにとって、死を意識するのは久々のことだった。
目を閉じる。
唐突なことだが、潔くあるしかない。
覚悟という言葉が頭の中を駆けめぐる。
そんな最中に、ギィンッと金属同士がぶつかり合うような音がした。
スフィーダは目を開ける。
すると、彼女の目と鼻の先に、薄紫のバリアが張られていた。
言わずもがな、ヨシュアの仕業だ。
まったくといっていいほど隙を見せないことについては、さすがと感心せざるを得ない。
ヨシュアが賊の男の右手首に手刀を決め、ナイフを叩き落した。
続いて、彼は男の首を掴み、右手一本で吊し上げた。
「あがっ、あがが、がっ!」
ヨシュアの右腕を両手で掴み、男は苦しみに顔をゆがめる。
大股で二歩進むと、ヨシュアは男を階段の下に投げ捨てた。
すかさずニックスとレックスがそれぞれの腕を拘束する。
二人は男を無理やり立たせて、向こうへと歩みを進め始めた。
そして、彼らの姿はやがて大扉の向こうへと消えたのだった。
「ヨシュアよ、助かったぞ。わしはまるで心の準備をしておらんかったからの。あのままでは、どこかしら刺されていたはずじゃ」
「ボディチェックが甘かった。その点については謝罪します」
「次から気をつけてくれればよい」
「改善いたします。陛下」
ヨシュアが真剣なまなざしを向けてきた。
あるいは怖い目とも言える。
「謁見者は私が選んでいるわけですから、私にも落ち度はございます。ですが、なにより陛下には、危機感がなさすぎます」
「そうじゃろうか?」
「そうです。実際、たった今、殺されそうになったではありませんか」
「それでもわしは、悪いニンゲンなどおらぬと思って――」
「いるんですよ。悪い輩など、いくらでも。命を狙ってくる者だっている。そのへん、肝に銘じるべきでございます」
「む、むぅぅ、しかしじゃな――」
今度はヨシュア、呆れたように首を横に振ってみせた。
「陛下の頭の中は、お花畑なのでございますか?」
「そ、そこまで言うのか、おまえは」
「民を近づけるのはやめにいたしましょう。殺されてしまってはかないませんから」
「それはいくらなんでも大げさなのではないか?」
「一部の阿呆のせいで、陛下を危険な目に遭わせてしまった。繰り返しになりますが、私の失態でもあります。どうか近距離での接触はおやめくださいませ」
「じゃが、しかし……」
「付け加えます。自らの身を守るくらいの手段は持ち合わせておいてください。おわかりですか? 死んでしまったら、二度とフォトンに会えないんですよ?」
「そうなったら、正直、困るのじゃ……」
「言うことを聞いていただけない場合、謁見の場を設けること自体、やめにいたします」
「あ、あまりに殺生ではないか。数少ない、わしの大切な楽しみなのじゃぞ?」
「そうお考えなら、ご自分の身を第一にお考えくださいませ。魔女は何年経っても死なないのかもしれない。しかし、無敵ではない。腹でも刺されたら、為す術なく死んでしまうのですよ?」
「それでも……それでも、わしは民を信じたいのじゃ……」
「とにかくご理解くださいませ。陛下が失われては、プサルムが瓦解してしまう可能性が芽生えますので」
「瓦解、か……」
「瓦解でございます」
瓦解。
その言葉はとても悲しい響きをもって、スフィーダの耳を刺激した。




