第192話 異常愛。
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「妹のことを最も愛しているのは私です。そして、妹が愛していいのは私だけです」
男は椅子に座るなり、そう言い放った。
スフィーダは眉をひそめる。
本題から入るのはよいことだが、いくらなんでも突飛さが過ぎると彼女は感じた。
男の年齢は二十代のなかばを過ぎたくらいだと思われる。
眉目秀麗。
ちょっと目を引く風貌だ。
一度街を歩けば、たちまち女子らの注目を集めることだろう。
「名を聞かせてもらいたい」
「ブライト・オーシュタハウトゥです」
「オーシュタハウトゥ? まさかヴァレリアの兄か?」
「妹のことをご存じなのですね」
「まあ、そういうことなのじゃが……。そなた、どこまで本気なのじゃ?」
「本気も本気です。どこまでも本気です」
スフィーダは再び眉をひそめ、今度は左方を見上げた。
ヨシュアは肘を抱え、目を閉じたままでいる。
馬鹿げた話だと判断したのだろうか?
それとも、そもそも興味がない?
「そなたの言うこと、真実だとは思えんな」
前に向き直り、スフィーダは自らの考えを口にした。
ブライトが「どうして、そう?」と問い掛けてきた。
「ヴァレリアには、すでに愛しているニンゲンがおる。深く深く愛している者がおるのじゃ」
「それは本当ですか?」
「なにも聞かされておらんのか?」
「妹は軍に入って以来、帰郷したことがないものですから」
「ふむ……」
スフィーダは二度、三度と小さく頷いた。
親不孝もいいところだが、帰っている暇などないのだろう。
一時すら、フォトンと離れたくないというわけだ。
妥当性があり、また合点のいく理由と言える。
よってスフィーダ、「相当なことがない限り、ヴァレリアはこの先も帰ることはしないと思うぞ」と告げた。
すると、ブライトはむっとしたように眉根を寄せ、「なんでもいいから、妹を返してください」と強い言葉を吐いた。
「返してほしいと言われてもじゃな、ヴァレリアは望んで軍におるのじゃ。そこに他者の意思を介入させるのは、いささか野暮ではないか。ヴァレリアは今のヴァレリアのままであっていい。なんの決定権もないが、わしはそう考えておる」
「ヴァレリアは飛び切り美しい女性です。あるいは上役の目に留まり、いろいろと命令されているのかもしれません」
「そんなこと、あるわけないじゃろうが。軍には厳しい規律があるのじゃぞ」
「ヴァレリアの蠱惑的な色気を目の当りにしたら、規律なんて守らないかもしれません」
ブライトの目は真剣そのものだ。
だからこそ、フツウではない感じがしてならない。
「ヴァレリアが子を欲しがるのであれば、私とだって作れます」
「そ、それはよくないことじゃろうが」
「倫理や道徳は問題ではありません。ああ、きっとそうだ。私の妹は心ない上役に奉仕を強いられているんだ」
「手の内を明かすぞ。わしはヴァレリアの想い人である上官のことをよく知っておる。間違っても、遊び半分で部下に手を出すような男ではない」
「私にはそうは思えません」
「わからんのか? わしはそなたの妄想に物申しておるのじゃぞ?」
「とにかく、ヴァレリアを連れてきてください」
「もはや聞く耳すら持たぬか……」
ここでヨシュアが「ブライトさん、明後日、いえ、三日後に、今一度、お越しいただけますか?」と訊いた。
「ヨ、ヨシュア」
スフィーダはたしなめるように言った。
しかし、ヨシュアときたらにこりと笑い。
おまけにウインクまでしてみせ。
「三日ですらキツいところではありますが、ヴィノー様のおっしゃることです。またお訪ねします。そのときには、きちんとヴァレリアに会わせてください」
「了解しました。一応、宿泊先をお教えいただけますか?」
ブライトは住所をすらすらと諳んじた。
見た感じの通り、頭は悪くないのだろう。
ヨシュアが「わかりました」と言ったのをしおに、椅子から腰を上げたブライト。
彼は「失礼します」と立礼すると、踵を返して去っていったのだった。
◆◆◆
翌日の夜。
ヴァレリアが玉座の間を訪れた。
ヨシュアに事情を聞かされるなり、ヴァレリアは邪とも言える笑みを浮かべ、さらにはらしくもなく「ハッハッハ!」と大いに笑ってみせたのだった。
「兄が? ブライトがそんなことを? ハッハッハ!」
「ヴァレリア大尉、貴女にその気はないようですね」
「兄は私を幾度となく犯しつけようとしてくれた男です。思い入れなどあるはずがございません」
スフィーダは少々目を見開き、ヨシュアに至っては「ほぅ」と声を発した。
「そうですか。何度も犯されそうになったのですか」
「魔法が達者な女でなければ、手込めにされていたかもしれません。あの男、腕力だけは大したものなのです」
「再度、確認します。彼に対しては、なんの感情もないのですね?」
「私がどれだけ少佐に惚れているのか。今さらそれを証明する必要もないと思いますが?」
「それはまあ、その通りですね」
「自らの身に降りかかった、しょうもない事象に過ぎません。私が処理いたします。閣下、ブライトの寝床はご存じですよね?」
「さすがです、ヴァレリア大尉。聞かせてもらいましたよ」
スフィーダは二人の会話がとんとん拍子に進むことに得も言われぬ不安感を覚え、「の、のぅ。おまえ達はどのような結末を思い描いておるのじゃ?」と訊ねた。
ヨシュアもヴァレリアも、その問いには答えなかった。
「閣下。明日の夜、また顔を出してもよろしいでしょうか? 一応の報告をさせていただきたく存じます」
「今夜と同じ時間に来てください。対応します」
「承知いたしました」
結局、設けられた椅子に座らなかったヴァレリアは立礼し、それから身を翻した。
◆◆◆
約束通り、翌日の夜になって、ヴァレリアがまたやってきた。
「夕刊に掲載されていました。どうあれ、事はうまく運んだようですね」
ヨシュアがいきなりそんなことを言ったものだから、スフィーダの頭の中にはクエスチョンマークがたくさん浮かんだ。
「ど、どういうことじゃ?」
「ブライト氏は滞在先のホテルで亡くなっていたそうです。喉元を鋭利な刃物かなにかで傷つけられた痕が残っていた」
「そ、それってまさか――」
するとヴァレリアは、ふふと笑い。
「しょ、証拠はなにも残っておらんのか?」
ヨシュアが「そのようですよ」と答えた。
しかし、どう考えても、ヴァレリアが殺したようにしか……。
そのように問えば、彼女はさらりと肯定するように思う。
「兄は愚かでした。だから死んだのです」
ヴァレリアの言葉に、スフィーダはぞくりとなった。
冷たいものが背筋を伝うのを感じた。
怖ろしい恋敵だ。
その事実に戦慄したスフィーダだった。




