第188話 リンドブルムがっ?!
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その日の仕事が終わった時間帯、夕暮れどき。
タイトな黒い軍服に身を包み、帯剣している男子、若者が、玉座の間に飛び込んできたのだった。
「どどっ、どうしたのじゃ?!」
スフィーダは驚き、目を白黒させながら訊ねた。
「それが、リンドブルム・ヴァゴ中将が……」
「リリ、リンドブルムがどうしたのじゃ? 傷でも負ったのか?」
「い、いえ。そうではないのですが……」
「じゃったら、なんじゃというのじゃ?」
「そ、それは……」
「ええい。要領を得んぞ。まずは本人のところへ案内しろ」
「よ、よろしいのですか?」
「なにがきっかけで大事になるかわからんじゃろうが。行くぞ、ヨシュア」
「御意にございます」
◆◆◆
病室、そう、病室に入ると、うんうんという唸り声が聞こえた。
スフィーダの薄い胸は、悪い意味でいよいよドキドキし始める。
まさか、重傷!?
しかし、よくよく思い返してみれば、リンドブルムが詰めていたのはグスタフ北方の国境線沿いだ。
相手は北の強国と呼ばれる国家であるが、長らくのあいだ、プサルムと戦争を起こしたという事実はない。
事態が急変したという話も耳にしていない。
それでも、リンドブルムが苦しみに悶えていることは事実であり。
そんな彼を目の前にしているものだから、気が気でなくなるのも当然であり。
スフィーダはベッドの上で横たわっているリンドブルムに、「大丈夫か、リンドブルムよ!?」と大きな声で問い掛けた。
しかし、彼は返事を寄越さない。
うーん、うぅぅーんとつらそうな声を上げるばかりである。
「ああ、なるほど。わかりました」
スフィーダのすぐ隣で、ヨシュアがそう言った。
「なっ、なにがわかったのじゃ?」
「見たところ、手傷を負った様子はない。だったら、まあ、アレでございましょう」
「ア、アレ?」
「その点、今から問います。リンドブルム中将」
「な、なんだ? 大将閣下殿よぅ」
「ぎっくり腰ですね?」
それを聞いて、スフィーダの口からは「へっ? ぎっくり腰?」と間抜けな声が出た。
「お、大当たりだ……っ」
寝返りを打ったリンドブルム。
その額は汗びっしょりである。
「情けない話だよ。落としたものを拾おうとしたときに、まさにぎっくりだ。動かすと悪いってんで、飛空艇で運ばれてきた。どうだ? 情けない話だろう?」
「いえ。負傷していないというのであれば、喜ばしいことです。よかったです、本当に」
「いきなり腰をやっちまうようなニンゲンだぜ?」
「不可抗力ですよ」
「俺があけた穴はどうする?」
「私が埋めます」
「おいおい。いくらなんでもそりゃあ――」
「かまいませんから、お休みください」
苦笑じみた表情を浮かべたリンドブルムである。
「これだから、嫌になっちまうんだよなあ」
「嫌になる?」
「ああ。嫌になる。だってそうだろう? 俺の代わりをできる奴がいるってんなら、俺自身のモチベーションは下がっちまうってもんだ」
「考えすぎは、よくありませんよ」
「おまえは有能だよ、ヴィノー閣下。有能すぎるくらい有能だ。いつかは世を正してみせろ。おまえがそれを成したとき、世界は本当の意味で生まれ変わるはずだ」
「おやおや。私は大きな期待を背負わされているのですね」
「おまえなら、メルドーとおまえなら、それができる。俺はそう信じている」
ヨシュアは「そうですかね」と言い、少々の笑みを口元に浮かべた。
「とにかくリンドブルム中将、貴方はゆっくり休んで、ゆっくり復帰してください」
「ったく、おまえが出張っちまったら、女の兵はキャーキャーなんじゃないかね」
「かもしれませんね」
「否定くらいしろよ」
リンドブルムが、またうんうん唸り出した。
「あー、ダメだ、とっとと帰ってくれ、ヨシュア、それに陛下も。今夜が山だ、なんつってな」
「本当に、ゆっくり静養してくださって結構ですから」
「わかったよ」
ヨシュアが部屋を出ていく。
ホッと胸を撫で下ろしたスフィーダも続く。
去り際、彼女は訊いた。
「ぎっくり腰とは、そんなにつらいものなのか?」
「そりゃもう。誰かに代わってほしいくらいですよ」
「ご愁傷様なのじゃ」
「縁起でもないことを言わんでください」
リンドブルムも、もういい年だ。
いくら彼がやる気だといっても、後進はリストアップしておくべきなのかもしれない。
それはそれで悲しく、また寂しい話ではあるのだが。




