第182話 一縷の望み。
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グスタフの首都が陥落した。
ヨシュアからそう聞かされた。
しかし、クロエが見つかったという知らせはない。
ないのだ……。
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ラースが玉座の間を訪れた。
帯剣。
薄い装甲の、銀色の鎧を身につけている。
相変わらず凛々しい姿だ。
他にもう一人いる。
ねずみ色のつなぎを着た男だ。
後ろ手に拘束され、速く歩くよう、ラースにしきりに背を押されている。
やがてラースは男を前のめりに転倒させた。
右膝を使って上から背を押さえつけ、髪を掴んで顔だけ上げさせる。
厳しい表情で、ラースは「ヴァーミリオンズと呼ばれる秘密組織のニンゲンです」と言い、「胸の朱色のバッジが、その証です」と続けた。
「ヴィノー様、まことにお話ししづらいことなのですが……」
「クロエは死んだ。その男にそうとでも聞かされましたか?」
「いいえ。そこまでは。しかし、常識的に考えると、その……」
「ええ。タイムアップといったところですね」
「……ゆるせないっ」
声にも、そして顔にも怒りをまとわせ、ラースが男を無理やり正座させた。
腰の鞘から剣を抜き、振りかぶる。
首を刎ねるつもりだ。
「ラース、やめなさい」
強い口調で、ヨシュアが待ったをかけた。
「ヴィノー様、しかしっ!」
「貴方が涙を流すことはありません。これは私の問題です」
「……くそっ」
鞘に剣を戻したラース。
「私にとってヴィノー様は兄であり、奥様……クロエ様は姉でございます。それほどまでに慕っているのです。だからこんなこと、ゆるせるはずがない……っ」
すると男は醜悪なまでに顔をゆがめ、「ふへっ、ふへっへっへ」と笑い。
「ヤりがいがあったぜ、いじめがいがあったぜ、クロエって女はよぉ。イイ穴してやがったなあ。拷問したらイイ声で鳴きやがったなあ。仲間も大喜びだったぜぇ、へっへっへぇ」
「過去形ですね。殺したんですか?」
「だから、ヴィノー様よぉ、生かしておく理由がないだろうが。おまえらは俺達の要求を飲まなかったんだからよぉ。ふへっへっへ」
「ラース」
「ご遺体は見つかっていません。嘘ですよ。そうに決まってる」
「だからぼうずよぉ、殺したっつってんだろうがぁ」
「黙れ!」
ラースに左の頬をぶたれても、男は不敵な笑みを崩さない。
「……わしはもう限界じゃ」
スフィーダは絞り出すように言った。
「ヨシュアよ、わしはこの男を殺すぞ。体中を針で貫いてやる。凍らせた上で焼いてやる。死ぬよりつらく苦しい目に遭わせてやる」
「じじっ、”慈愛の女王”がそんな真似をするのか!?」
「喜んでやってやるぞ。そなたのようなゲスが相手ならな」
玉座から立ち上がったスフィーダ。
だが、前に踏み出そうとしたところで、彼女はヨシュアに「陛下、お座りくださいませ」と、たしなめられた。
「そうじゃな。おまえが好きに殺したほうがよい」
「いえ。そういうことではなく」
「だったらなんじゃ? なぜ、わしを止める?」
顎に右手をやり、ヨシュアは「ヴァーミリオンズの貴方」と至極フツウの口調で呼び掛けた。
「な、なんだよ?」
「名前は? なんというんですか?」
「そんなの、答える必要は――」
「答えなさい」
「ナ、ナダルだ」
「ナダルさん、私は貴方のことを、解放してもいいと考えています」
「はっ、はぁっ? ヨシュアよ、おまえはなにを言っておるか!」
「そうです、ヴィノー様! この男は百回殺しても足りません!」
「陛下、それにラースも、冷静になってください。ナダルさん」
「な、なんだよ」
「解放するにあたって、一つ条件を挙げます。私をクロエのもとまで案内してください。死体でもかまいませんよ」
「そっ、それは……」
「おや? なにか案内できない理由でもあるんですか?」
「……くそっ」
「ええ。話してください」
「おまえの女房は仲間が別の場所に移した。以降のことは、俺は知らない」
「本当ですね?」
「あ、ああ。さあ、ちゃんと話したぜ。だから解放して――」
「阿呆ですか、貴方は」
「あ、あ、阿呆?!」
「そうです。阿呆です」
ヨシュアが玉座のかたわらを離れ、階段を下りた。
彼の体で隠れてしまっているのでなにも見えなかったが、ナダルという男はまもなくして、赤絨毯の上にどっと横倒しになった。
なんらかの魔法を使い、心臓を一突きにでもしたのだろう。
スフィーダが小さな声で「ヨシュア……」と発すると、彼は「ケイオス・タール。彼の働きに期待します」とだけ述べたのだった。




