第173話 琥珀色に酔う。
◆◆◆
日曜日。
天気悪し。
だから、テラスのプールではしゃぐこともできない。
スフィーダはしばらくのあいだ雨空を見上げたのち、玉座に腰を下ろした。
ヨシュアはいない。
侍女もいない。
彼らに対して「休みの日くらいは休め」と言ったからだ。
そう。
言ったのだ。
言ってしまったのだ。
だからスフィーダ、そのことを少し後悔している。
本当にやることがない。
それが女王陛下の基本的な休日ではあるのだが。
膝から下をぷらぷら揺らす。
誰もいないにもかかわらず、「暇じゃー、暇じゃー、暇なのじゃー」などと訴えてみる。
当然、返事などない。
ぐずついた天候から一転。
西日が差し込み、やがて夜に。
食事を終え玉座の間を出て、とことこ歩いて向かった先はヨシュアの私室。
扉をノックすると、「開いてますよ」という声がしたのでホッとした。
不在だったら、寝るまでのあいだも暇を持て余すことになったはずだから。
小さな声で「お邪魔するのじゃー……」と言いつつ、扉を開けた。
ヨシュアの背中が見えた。
ランプの明かりを頼りに、読書をしていたようだ。
スフィーダがヨシュアの正面、ベッドの端にぴょこんと腰掛けると、彼は本を閉じ、それを机の上に置いた。
「お暇だったのですね。今日は一日、雨でございましたから」
「まったくもって、その通りじゃ。読書の邪魔をしてしまって、すまんの」
ヨシュアは長い脚を優雅に組み直した。
それから机の上のグラスを手に取った。
琥珀色の液体が入っている。
「ウイスキーじゃな?」
「はい。少し飲むと、読書がはかどるのでございます」
スフィーダは勢いよく「はいっ」と右手を上げた。
目を丸くしたヨシュアである。
「なにかございますか?」
「飲んでみたいぞ」
「ウイスキーを、ですか?」
「うむっ」
「幼女のお体には毒かと存じますが」
「舐めるくらいならよかろう?」
「ふむ……」
納得してくれたらしいヨシュアが、グラスを手渡してきた。
スフィーダ、それを両手で受け取った。
まずはくんくん、匂いを嗅いでみた。
「うげぇー。なんじゃ、この鼻を突く感じわぁぁ」
「やはり、やめておいたほうがよろしいのでは?」
「いや。飲んでみると、意外とうまいかもしれん。ドリアンと同じじゃ」
「ドリアンとアルコールとを比べるのは、いかがなものかと思いますが」
スフィーダはグラスを傾け、少しだけ飲んでみた。
途端、喉も胸も熱くなった。
「こ、これは……っ」
「これは?」
「い、いや。思っていたより効くというかなんというか……」
「戻しそうですか?」
「だ、大丈夫じゃ」
そう言ったのは、なかば強がり。
スフィーダ、こてんとベッドに横になった。
「ああ、なにかこう、気分が高揚してくるのぅ……」
ヨシュアが「ふふ」と笑い、「エロティックな気持ちになってくるでしょう?」と訊ねてきた。
いつもなら激しく否定するところだが、酒が入ったせいで脇が甘くなってしまったらしく、「そうじゃのぅ。その通りじゃのぅ」などと答えてしまった。
「頬が赤くていらっしゃいます」
「かわいいじゃろう?」
「それはもう」
「実はもうシャワーを浴びたのじゃ」
「なら、あとは寝るだけでございますね」
「うむ。にしても」
「にしても?」
「いや。平和な時間が、いつまでも続けばよいなあと思っての」
「その通りではございますが」
「無理か?」
「ヒトは獣と変わりませんから。根本的に、攻撃的な生き物なんです」
「じゃが、それだと悲しすぎるじゃろう」
「そうですね。悲しくなくするためにヒトは生きているのに、どうして争ってしまうのでしょうね」
「その争いを永久になくすために、わしは天から遣わされたと考えたのじゃが」
「そうおっしゃっていましたね。ですが、それは幼女の小さな手には大きすぎる仕事でございます」
「おまえはそう考えておるのか?」
「はい。フォトンだって、そうでしょう」
「……嬉しく思う」
「陛下の願いを、私達の手で叶えてみせる。まだ小さかった折、私とフォトンは、そう誓い合ったんです」
「う、うぅぅ……」
「いかがなさいました?」
スフィーダは両手で顔を覆った。
涙が止まらない。
「どうしておまえ達はそんなに優しいのじゃ……っ?」
「私達は、そうしたいからそうするだけです。揺るがぬ信念を胸に抱き、まっすぐに生きるだけです」
「おまえ達の幸せはどうなるのじゃ」
「ものには優先順位がございます」
「わしのことなど、一番下でよい」
「陛下がなにをおっしゃっても無駄でございます」
「うぅっ、うぅ、うっ……」
酔っていて、だから感覚が敏感になっているのだろう。
だが、それを差し引いても、泣きたかった。
心からの感謝を意を込めて、泣きたかった。
「悠久のときを生きるからこそ、今を大切にしてくださいませ」
たびたび口にするその言葉を、今夜もヨシュアは優しく述べた。




