第170話 ときには舌を求め合って。
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玉座のそばに置かせた椅子の上にて、スフィーダは絹製のカットクロスをすっぽりとかぶっている。
彼女の正面には、これまた運ばせた鏡台がある。
散髪中なのだ。
一月に一度は切ってもらっているのだ。
大幅にヘアスタイルを変えたことはないのだ。
せいぜい長さを調整してもらう程度なのだ。
そんな最中にも、ヨシュアは近くにいる。
突っ立ったまま、読書している。
スフィーダは「のぅ、ヨシュアよ」と声を掛けてみた。
無論、顔も動かさず、首も回さずにだ。
「なんでございましょう?」
「いや。なんとなく呼んでみたのじゃ」
「お暇なのですね」
「そりゃそうじゃ。髪を切ってもらっているだけじゃからの」
「陛下の流麗な御髪をいただきとうございます」
「む。なぜじゃ?」
「高く売れるに決まっているから――」
「ヨシュア! おまえは相変わらずのヘンタイか!?」
首をぐるんと回してしまったので、美容師の女に「へ、陛下。動かないでくださいませ」と注意されてしまった。
「あ、あぅ。すまんかった」
謝罪し、スフィーダは前を向く。
ただでさえ、美容師は緊張の面持ちなのだ。
よって、余計な気を遣わせてはいけないのだ。
「いっそ短くなさってみてはいかがでしょう?」
「なんの話じゃ?」
「もちろん、髪型の話でございます」
「むぅ。じゃが、長いほうがかわいくないか?」
「古い価値観でございますね」
「古いとまで言うのか」
「最近、ウチのは短くしました」
「クロエが?」
「髪を洗うのが楽になったと喜んでおります」
「まあ、そういったメリットはあるかもしれんが」
「やはり、長いほうが好みだと?」
「いかんか?」
「ショートにすると、大人っぽく見えることかと存じます」
「大人っぽい幼女。誰も求めてはおらんキャラではないか?」
「そうでもないと思いますが?」
「む、むぅ……」
美容師に「い、いかがいたしましょう?」と訊ねられた。
口を結んで考えた末、スフィーダは「やはり揃える程度でよいぞ」と答えたのだった。
短くするのは簡単だ、一瞬だ。
だが、伸ばすとなると、だいぶん時間がかかる。
どうせ、一月後にはまたハサミを入れてもらうことになるのだ。
答えはそのときまで引き延ばしても、なんら問題はない。
というか、長いのと短いの、どっちがいいだろう。
フォトンはどっちが好きなのだろう……。
フォトン、フォトン、フォトン……。
気づけば彼のことで頭がいっぱいになっていて、そのせいでスフィーダは盛大に赤面してしまった。
その様子を見てだろう。
クスッと笑ってみせたヨシュア。
勘がよすぎる。
いつものことではあるのだが。
◆◆◆
現状の仕事がもっぱら兵の育成だということもあり、フォトンは首都アルネにいる。
だから、会おうと思えばいつだって会えるのだ。
とはいえ、自分から誘うといろいろとまずい気がするので、スフィーダはそれをしない。
彼が来てくれるのを期待する毎日なのである。
髪を切った翌日の夜のことだ。
フォトンが訪ねてきてくれた。
ヨシュアはすでに席をはずしていたが、玉座の間には、まだ侍女らがいた。
しかし、彼女らの視線などおかまいなしに、スフィーダはその大きな左手をグイグイと引っ張って、フォトンを私室へと迎え入れた。
それから彼のことを椅子に座らせ、彼女は両手を目一杯広げたのである。
意図は伝わった。
フォトンは上体を前に倒してくれた。
スフィーダは少し背伸びをして、彼の首に両腕を巻きつけた。
それから、唇を重ね、互いに舌を求め合った。
れろれろ、れろれろ、れろれろろ……。
一分ほどで一段落。
今度はスフィーダ、フォトンの胸に背を預けるようにして、彼の膝の上に座った。
そして、訊ねた。
「フォトンよ、おまえは髪が長い女と短い女、どっちが好きじゃ?」
スフィーダの腹部に、フォトンが右腕を回す。
それから左手の指を使って、彼女の長い髪を大切そうに弄んだ。
「うーむ。わしはわしなりに悩んでおるのじゃがのぅ……」
するとフォトンは右手を伸ばし、机の上に無造作に置いてあった万年筆とメモ帳を手にした。
なにやらすらすらとしたためて、それを見せてきた。
こう書かれていた。
「どっちでもいい」
一番、困る回答だ。
でも、愛されているからこそ、どうでもいい些末な問題なのかもしれない。
一度、床に立ち、身を翻して彼の膝に正面から乗り上げた。
胸に顔を寄せる。
静かな鼓動に耳をすませる。
「やっぱり、わしはおまえのことを愛してしまっているようじゃ」
ふふと笑ってそう言ってやると、フォトンは両腕で抱き締めてくれた。
イイ感じだった。




