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第167話 自ら手首を切り落とした。

       ◆◆◆


 白いブラウスの袖がぷらぷらしていたので、右の手首から先がないことはすぐにわかった。

 名はテイラー。

 艶やかな金髪が美しい、おなである。


「訊きづらいことから訊くぞ。右手はどうしたのじゃ? いつ失くした?」

「もう三年も前のことです」

「理由、あるいは原因は?」

「私の家は片親だったのですけれど、日常的に父から虐待を受けていました。そして、父は自分が眠るとき、それに仕事に出るときには、必ず私を拘束したんです。虐待がばれないようにするために。私が逃げられないようにするために。手錠を右手にはめられて、反対側は固定されたテーブルにつながれて……」

「助けは呼ばなかったのか?」

「猿ぐつわをされましたから。はなから諦めていたということもあります。……でも」


 テイラーは俯いていったん口をつぐみ、それから意を決したように顔を上げた。


「父が仕事に出掛けたあの日……あの日に限って、刃物が、鋭く光る包丁が、手の届くところにあったんです。なぜかはわかりません。とにかく、あったんです」

「……なるほどな。だいたい、わかったぞ」

「そうです。包丁で手首を切り落としました。がんばって、がんばって……。叫び、泣きじゃくりそうになるくらいの痛みをこらえて……」

「すぐに病院にかかったのか?」

「いえ。お金は持っていなかったんです。だから親戚の家に飛び込みました」

「その親戚はさぞかし驚いたじゃろう?」

「はい……」

「そなたが父子家庭だったと過去形で述べた理由もわかった。今はもう、付き合いがないのじゃ?」

「とてもではありませんけれど、怖くて……」


 テイラーはまた下を向いた。


「怖いときは逃げてよいのじゃ。不幸な目に遭ったな。片手がないと、難儀することも多いじゃろう?」

「そうですね……。ですけど、今の私は幸せなんです」

「恋人でもできたのか?」

「結婚したんです」

「おーっ。それはまことめでたいではないか」

「ありがとうございます。彼が私を支えてくれています。とにかく何度も好きだと言ってくれます。そして……優しく抱いてくれます。感謝しても感謝しきれません」

「なによりじゃ。それにしても、最近、身の上話をする者が多いのぅ」

「あっ、ご迷惑でしたか?」

「いや、むしろ逆じゃ。みな、わしになら話せると思ってやってくるわけじゃ。それは信頼されていることの証左じゃろう? だから、嬉しく思うのじゃ」

「そういうことですか」

「そういうことなのじゃ」

「……一つだけ、不安があるんです」

「不安?」

「街で父と出くわさないか、それが少し心配で……」

「虐待を受けていた旨を、警察には話しておらんのか?」

「私がいなくなった以上、父は一人ぼっちなんです。罰はそれだけでじゅうぶんかな、って……」

「わしはそうは思わんがの」

「そうですか?」

「うむ。牢の中での反省を促す必要があると思うぞ」

「でも、やっぱり……」

「いや。わしのはただの意見じゃ。そなたがどう考えるか、それが重要じゃ」

「だったら、このままにしておくことにします」

「まったく、感心な娘じゃの。ほんに、大したものじゃ」


 恐縮してしまいます。

 そう言って、テイラーは微笑を浮かべた。

 愛らしい笑みである。


「末永く、夫と幸せにな」

「はい。ありがとうございます」




       ◆◆◆


 三日後。

 玉座の間。


 椅子の上で、テイラーは浮かない顔をしている。


「どうしたのじゃ? なにかあったのか?」

「夫が刺されました……」


 刺された?

 まさか……。


「きっと父は、私と夫が一緒に歩いているところを見掛けたんだと思います。それで、どこからともなくあとをつけて……」

「どうしてそなたではなく、夫が刺されたのか……」

「どうしてだと思われますか?」

「恐らく、そなたを不幸のどん底に陥れてやりたかったのじゃろう」

「やはり、そうなのでしょうか……」

「わしはそうじゃと考える。とはいえ、父親が犯人ということで、即刻、捕まったのじゃろう?」

「はい。現行犯ですから」

「夫の容態はどうなのじゃ?」

「背中を刺されたんですけれど、無事です。近いうちに退院もできると」


 スフィーダ、「それはよかった」と安堵した。


「父は父なりに私のことを愛していて、だから私に戻ってきてほしかったのかもしれません」

「じゃから、そういう考え方はよくないぞ。虐待は虐待、犯罪じゃ。そんな親に同情するなと、わしは言いたい」

「そうあることが正しいのでしょうか……」

「とにかく、くだらない思考に振り回されるな。夫を愛していろ。それだけでじゅうぶんじゃ」


 スフィーダがそう告げても、テイラーは沈んだ顔をやめない。

 優しい性格なのはわかる。

 だが、凶悪極まりない父に肩入れするのはよくない。


「テイラーよ」

「はっ、はい」

「女のことを軽んじる男はクソッタレじゃ。それだけは肝に銘じておけ」

「でも、私は父のことを……」

「あるいは、その思いは夫に対する裏切り行為に値するかもしれんぞ?」

「裏切り、ですか……?」

「天秤にかけろとは言わん。じゃが、なにが一番大切か、それだけは忘れてはならん」

「それは……言うまでもありません」

「じゃろう?」

「はい」

「やはり、罪人に同情してはならんのじゃ」

「でも、スフィーダ様なら、きっとどんなヒトが相手でも……」

「鋭いのぅ」


 スフィーダは苦笑した。


「同情とまでは言わんが、そのニンゲンが罪を犯す過程までを考慮してしまうと、どのような裁きが正しいのか、わからなくなることもある」

「やっぱり、そうなんですね」

「悪いクセみたいなものだと、わしは認識しておるのじゃがな」

「でも、私はお優しいスフィーダ様のことを尊敬します」

「わしには過ぎた言葉じゃ」

「いいえ。尊敬します。尊敬させてください」


 テイラーは、心地よさそうに笑ってみせた。


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