第164話 妬ける。
◆◆◆
朝一の謁見者を迎える前。
玉座のかたわらに立つヨシュアが唐突に、「クロエが風邪をひきました」と教えてくれた。
スフィーダ、驚いた。
クロエが風邪をひいたことに驚いたのではない。
ヨシュアが風邪をひいたクロエを置いて出勤してきたことに驚いたのだ。
「ヨシュアよ、そういうことなら、今日は家に帰れ。謁見者の対応はわし一人でする」
「そうもまいりません。ここにいることが、私の仕事でございますから」
以前とは違い、病気になった際、どれだけ不安になるかを知っているスフィーダである。
とはいえ、奥ゆかしいクロエのことだ。
そばにいてほしいとは言わなかったことだろう。
それでも、心の中では、ヨシュアを求めているはずだ。
「私がおらずとも、私邸にはメイドが多くいます。大丈夫です」
「そういうことではない。夫として、ちゃんと手を握るくらいはしてやれと言っておるのじゃ。そうしてやるだけで、クロエはずいぶんと安心するはずじゃ」
ヨシュアはスフィーダのほうを向いて、にこりと笑みを浮かべた。
「本当に、大丈夫でございますから」
「ぶっちゃけ、おまえの意見など聞いておらん」
「お気遣い、恐れ入ります」
「じゃからそうではなくてじゃな、もしこじらせて、大事になってしまったら、どうするつもりじゃ?」
「ふむ。そうですか。陛下がそこまでおっしゃるなら」
「そうじゃ。帰れ帰れ帰ってしまえ」
「わかりました。本日だけ、休暇を賜ることにいたします」
「うむ。そうするがよい」
◆◆◆
翌朝、眠い目をこすりながら私室から出ると、ヨシュアはすでに玉座のかたわらに立っていた。
早速、気配に気づいたらしい。
ヨシュアは振り返り、微笑みをたたえながら、いつもの調子で「陛下、おはようございます」と挨拶を寄越してきた。
スフィーダはあくびをしたあと、「クロエの具合はどうじゃ?」と訊ねた。
「実のところ、高熱だったのですが」
「な、なんと、そうじゃったのか」
「しかし、だいぶん落ち着きました」
「それはよかったの」
ホッと胸を撫で下ろしたスフィーダである。
「じゃがヨシュアよ、言っておきたいことがあるぞ」
「なんでございましょう?」
「おまえはクロエのことを、少々軽く扱いすぎではないか?」
「そのようなことはございません。なにせ心の底から愛しておりますから」
「本当か?」
「嘘など申しません」
「まあ、それならよいのじゃが」
「彼女は謝罪を繰り返しました。私の仕事の邪魔をしてしまってすまない、と。そう言われてしまうと、さすがに胸に痛みが走りました」
「完治するまで休んでもよいのじゃぞ?」
「先述した通りです。彼女は私が仕事を休むことを望んでおりません」
「ほんに強い女房じゃのぅ」
「そのようでございます」
◆◆◆
三日後、ヨシュアと並ぶ格好で、クロエが玉座の間を訪れた。
艶やかな亜麻色の長い髪にまず目が行く。
多少、顔色が悪く見えてしまうのは、もともと肌が白いせいもあるだろう。
「スフィーダ様。このたびは心配をお掛けしてしまい、申し訳ありませんでした」
クロエは深々と頭を下げた。
「よいのじゃ、よいのじゃ。して、体のほうはどうじゃ?」
「すっかりよくなりました。でも、いけませんよね。ヨシュア様に見初めていただいたのに、病気になってしまうなんて……」
「なにを言っておる。誰でも体調不良くらいにはなるぞ」
ようやく顔を上げてくれたクロエ。
やはり、申し訳なさそうな表情を浮かべている。
「私はヨシュア様の妻には、ふさわしくないのかもしれません」
「そんなことはない。お似合いの夫婦じゃぞ?」
「でも……」
「デモもストもない。自信を持て。いっそヨシュアを独占してやるのじゃ」
クロエがヨシュアのほうを向いた。
二人は見つめ合う。
「貴女は大切なパートナーです。ずっとそばにいてくれれば嬉しく思います」
「ヨシュア様……」
恥ずかしそうにしながらも、クロエはヨシュアの左手に両手をそえた。
彼は微笑んで応える。
幸せそうな光景。
あるいは他愛のない、日常の一コマでしかないのかもしれないが、はっきり言って妬けた。




