第153話 私は私をゆるせない。
◆◆◆
ひとまず、宮殿内の玉座の間へと戻った。
赤絨毯の上にはヨシュアの姿。
肘を抱えて立っており、スフィーダを見るとにこりと笑う。
スフィーダはヨシュアに近づきつつ「敵は? 仕留めたのか?」と訊ねた。
彼女が足を止めたところで「もちろんです」という答えが返ってきた。
彼はケガを負っていない。
着衣の乱れすらない。
やはり稀代の天才だ。
ミレイなる魔物ものけっして弱い者ではなかっただろうに。
「フォトンのほうは、どうなったのじゃ?」
「サーシェスでしたか。見事に叩き落としてみせました。その後、素早く転身したことから考えるに、ヴァレリア大尉と合流して殲滅戦に加わるつもりなのでしょう」
「まったく、血の気が多いのぅ」
「血の気が多いというより、大尉のことが心配なのでは?」
「だとしたら少し妬けるぞ」
「まあ、フォトンの場合、どうあれ戦闘的であってくれたほうが助かります。元気が一番というヤツでございますよ。それにしても、やはり一対一の各個撃破を選択してよかったですね。ええ。より確実な手段と言えた」
「おまえとフォトンが組めば、なんとかなったかもしれんがの」
「本音ですか?」
「うむ。よくよく考えてみれば、おまえ達が揃えば怖い者なしじゃろう」
「もったいなきお言葉」
「よいよい」
スフィーダは両手を突き上げ、伸びをした。
なんだか、体がだるい。
なまっているなあと、彼女は感じた。
ヨシュアが言う。
「これでようやく、くだんの術者の話をすることができるようになりました」
「残りは二人じゃったか」
「はい。この地はじき、我が軍が占領するわけですから、そうなったら必然的に見つかることでしょう」
「となると、あとはユメルのことか」
「ユメル様はご存命だと?」
「正直に言え。おまえはどう解釈しておる?」
「恐らく、陛下と同じ考えだと思います」
スフィーダは目を閉じ、ゆるゆると首を横に振った。
彼女は正直、嘆いている。
あまりにつらい想像が頭を駆けめぐるからだ。
「いるとしたら、この宮殿内じゃろうからな。探すぞ」
「御意にございます」
◆◆◆
玉座の間の同階にある広い部屋、私室と思しき一室に、ユメルはいた。
肌が透けるほどに薄い白のネグリジェ姿で、大きな丸いベッドの端に腰掛けていた。
スフィーダのほうを見て、彼女は穏やかに微笑してみせた。
ユメルは言った。
「きっと来てくださるだろうと思っていました」
ユメルに近づく。
彼女を一メートルほど先に見据えたところで、スフィーダは笑ってみせた。
「ユメルよ、健在でなによりじゃ。しかし、遅くなってしまい、悪かった」
「窓から戦いの様子を見ていました。やっぱり、スフィーダ様はスゴいです」
「鮮やかな手並みじゃったろう?」
「はい。スフィーダ様」
「ん?」
「私を殺してください」
いきなりそんなふうに頼まれても、驚かなかった。
ユメルならそう言うだろうと予測していたからだ。
スフィーダはやりきれなさに顔をゆがめた。
「ユメル、やはり、そなたは……」
「アバという魔物に犯されました。一日中、犯され続けたこともありました。子種を宿していることは、まず間違いありません。それがわかるんです」
「そう考えているなら、自死するという選択肢もあったはずじゃ。しかし、そなたはそれをせんかった。生きたいと希望を持っていたからではないのか?」
「国民の命とは引き換えにできなかった。それだけです」
「自殺すれば、民を殺して回ると言われていたのか?」
「はい」
スフィーダは下唇を噛み、目を閉じた。
ユメル。
強い娘だ。
大した女王だ。
「殺してください。お願いします」
ユメルはベッドからおり、絨毯の上に両膝をついた。
「堕胎はできんのか? 多少、乱暴な手段でも可能なのであれば――」
「そういう問題ではないんです。魔物に凌辱された私を、私はゆるすことができません」
「まるっきり、不可抗力じゃろうが」
「それでも、ダメなんです」
「ユメルよ、じゃが……わしには、できぬ……」
ぽろぽろと涙をこぼすユメル。
「ユメル様、二言はありませんか?」
そう問うたのはヨシュアだ。
「ありません。ヴィノー様なら、私を殺してくださいますか?」
「わかりました。貴女の死は、私が背負いましょう」
「ヨシュア、おまえっ」
「陛下もご存じのはずです。綺麗事だけで済む世界などないんですよ。私達は常に本当の悲しみというものを心に留め置きつつ、前に進まなければならないんです」
「じゃからといって……」
到底、納得することはできない。
なのに、ヨシュアにやんわりと押しのけられ……。
彼は開いた右手をユメルの胸に向け……。
そして、その手から勢いよく飛び出した黄金色の槍によって、ユメルの心臓はずどんと一突きにされた。
「ご面倒をおかけしました、ヴィノー様……」
ユメルの体がぐらりと揺らぎ、横倒しになった。
やがて目を閉じ、安らかな死に顔を見せた。
そんな彼女のことを、ヨシュアは横抱きに持ち上げた。
「カナデの地に埋葬しましょう。それが誠意というものです」
「……そうじゃな」
ユメルの悔しさはわかるし、ヨシュアのつらさも理解できるから、スフィーダ、もうなにも言わなかった。
涙も流さなかった。
むしろ微笑し、彼女の右の頬に、右手の甲で触れた。
「立派じゃったぞ、ユメルよ……」
そう。
ユメルは自身のプライドゆえに死んだのだ。
だったら、見事な散り際だったとしか言いようがないではないか。




