第141話 敗走。
◆◆◆
ほどよい涼しさに包まれている夜。
ヨシュアと一緒に、食後の紅茶を楽しみながら。
「先ほど、フォトンとヴァレリア大尉が帰還しました」
スフィーダは「おおっ。朗報ではないか」と喜びの声を上げた。
次に湧き出てきたのは安堵の気持ち。
実際、胸に右手を当て、ホッと息をついた。
「イェンファの攻略が済んだということじゃな?」
「いえ。そうではなく」
「へっ? 違うのか?」
ヨシュアは表情を変えることなく、白いカップを口へと運んだ。
そして、それをソーサーに戻すと言った。
「彼らだけが生き残ったんです。他の兵は全滅しました」
耳を疑わざるを得ない知らせである。
目を見開くとともに、口をついて「なんじゃと……?」と言葉が漏れた。
カップを持っている左手が、少し震えた。
「け、経緯を聞かせろ。なにがあったのじゃ?」
「王と側近三匹が揃い踏みだったようです」
「たった四匹が事の原因か?」
「そのようです」
「全滅ということは、屈強で鳴らすフォトンの部隊も……?」
「悲しく、また悔しいのでしょう。ヴァレリア大尉は涙を流していましたよ」
「あのヴァレリアが涙を……」
スフィーダは呆然となった。
正確な数は知らない。
だが、作戦に参加していた兵は、それはもう多くいたはずだ。
戦死者や遺族になんと詫びればいい?
そんなことまで考えた。
国の象徴でしかない立場だが、それでも責任を痛感せざるを得なかった。
「我が軍の兵が、よほど鬱陶しかったと見える。だから一度、一掃してしまおうと考えたんでしょう。舐めていたわけではありませんが、思っていたよりも厄介な手合いであることは間違いありません。少し、厳しいかもしれない」
「き、厳しい? なにがじゃ?」
「くだんの四匹はことのほか手強い。さらに敵兵の数は非常に多い。もはや打つ手は限られていると言っていい」
「王と側近は、イェンファに留まり続けるのじゃろうか……」
「寝床を失いたくないだろうとは思います」
「とはいえ、実際にどう動くかまではわからんか」
スフィーダは吐息をついた。
嘆息である。
「打つ手はあると言ったな?」
「言いましたが、今、詳細をお話しするつもりはございません」
「どうしてじゃ?」
「極力、用いたくない手段だからです」
「むぅ。微妙に答えになっとらんぞ。防衛のほうはどうなっておる?」
「今のままでは支えきれません。近々、破られてしまうことでしょう」
「待ったなしではないか」
「兵を大幅に増員します。大丈夫です」
「なんとかなるのか?」
「なんとかします。我々はけっして屈しません」
ヨシュアの口振りは、いつだって力強い。
◆◆◆
フォトンとヴァレリアは赤絨毯の上に片膝をつき、揃って頭を垂れている。
極力、優しい言葉を掛けようと考え、スフィーダは「災難じゃったの」と切り出した。
するとヴァレリアが、「家族を失いました」と言った。
家族。
苦楽をともにする部下達のことを、彼女はそんなふうに思っていたのだ。
ヴァレリアは特に負傷していないようだが、フォトンは左腕を白い三角巾で吊っている。
骨折だろう。
ケガを負った彼の姿を見る機会など、そうはない。
「ヴァレリアよ、敵は強大か?」
「そうであることを、まざまざと見せつけられてしまいました」
「なんとかなりそうか?」
「王を屠ることは、難しいかもしれません」
フォトンが顔を上げ、ゆっくりとかぶりを振ってみせた。
ヴァレリアが右手を伸ばし、彼の左肩に触れる。
心の声を聞くためだ。
「なんと言っておる?」
「命を捨ててでも葬る、と」
「誰のためにじゃ?」
「民、ひいては陛下の御身のため、と」
スフィーダは鼻から息を漏らし、苦笑した。
「民は守ってもらいたい。じゃが、わしは誰かに守られるのではなく、誰かを守るために戦いたい。そう考えておるんじゃがの」
フォトンの肩から手を引いたヴァレリア。
「陛下は光です。誰の命でも代替できないのでございます」
「わしはわしなど要らぬと考えるときもある」
「もし本気でそうお考えなのであれば、それは大きな間違いです」
「……すまぬ」
「気になさらないでください。私どもは陛下の盾であり、矛でございますから」
フォトンとヴァレリアは立ち上がった。
立礼すると身を翻す。
向こうへと歩いてゆく。
スフィーダが彼らの背に見たものは、負けない心だった。




