第137話 彼らは散歩中だったらしい。
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その日の昼間、予期せぬことが起きた。
謁見者の対応をしている最中に、視界の右側に緑色の魔物の姿が飛び込んできたのだ。
連中は上空から地上に向かって、次々と勢いよく降下してゆく。
国境の防衛線が破られたという情報はない。
防衛戦に敗れたという知らせもない。
ならば、どうやって入り込んだ?
一度、この玉座の間を訪れ、無礼を働いてくれた、アバと名乗った魔物の仕業なのではないだろうか。
奴は移送法陣を使える。
恐らく仲間を率い、ワープしてきたのだ。
いっぺんに多くを移送できることから、よほど得意なのだろうとの予測がつく。
スフィーダは一目散に駆け、テラスの端に立った。
西方を見やる。
魔物らは城下の街へと向かっている。
城の周辺を常時監視している首都防衛隊の兵は、手を出せないでいるようだ。
体を張ってでも止めてほしいところだが、見たこともない生物が大挙して押し寄せてきたのだから、臆するのも無理はない。
彼らを責めるわけにはいかないのだ。
首都防衛隊の本隊の出撃まで、もう少しかかるだろう。
それまでの間はフォローする必要がある。
そう考え、スフィーダはテラスから飛び下りた。
頭の上から、「スフィーダ!」と名を呼ばれた。
転身して見上げる。
上空に複数の魔物が浮いており、中にはアバの姿もあった。
この急襲は、やはり奴が中心となって実行されたようだ。
スフィーダはアバを仕留めるのが先と決めた。
これ以上、仲間を連れてこられてはたまらないからだ。
飛翔する。
後ろに伸ばした両手に、それぞれ炎をまとう。
魔物は束になり、わっと迫ってくる。
一掃すべく、スフィーダは炎を放とうとする。
そのとき、凄まじいスピードで横入りしてきたのは翼竜だった。
”最後の知恵ある竜”こと、赤肌のドル・レッドである。
ドル・レッドは魔物の群れを突っ切る際、一口で二匹をくわえ込んだ。
身を翻すと、ばりばりと噛み砕く。
ごくんと飲み込んでみせた。
当然、魔物らは突っ掛かっていく。
だが、ドル・レッドはものともしない。
口から炎を吐き、片っ端から灰に変えた。
宙をすーっと滑るようにして、アバに近づく人影がある。
青肌の吸血鬼、少年のような容姿のイーヴルだ。
赤い魔法衣のポケットに左手を突っ込んでいて、右手は胸に当てている。
イーヴルが右手をゆっくりと動かした。
自分から百メートルほどの距離にいるアバに、手のひらをを向ける。
魔法で作り出した幾本もの氷の刃を飛ばすイーヴル。
アバは自らを包み込むような球状のバリアを発生させ、鋭くとがったそれらを防いだ。
イーヴルが上昇する。
アバの頭上から黄金色の光の雨を降らせ、たたみ掛ける。
バリアを展開する一方で、アバは自らのすぐそばに黒ずんだ槍を生成した。
いかにも重々しい感のある巨大なものだ。
切っ先もあらわに、イーヴル目掛けて飛んでいく。
だが、彼はその一撃をひらりとかわした。
目まぐるしい攻防だ。
見応えのある戦いだ。
だからといって、じっと見惚れているわけにはいかない。
スフィーダは身を転じ、ただちに街へと向かう。
とにかく大急ぎで飛ぶ。
彼女はとても怒っていた。
◆◆◆
アバが移送法陣で逃げるところを、スフィーダは遠目で確認した。
取り残された格好になった連中は、殲滅されるしかなかった。
しかし、これで魔物の存在がいよいよ国民に知れ渡ってしまったわけだ。
みなに不安を抱かせないようにうまくケアできるかできないかは、首相であるアーノルドがどう発信するかにかかっているだろう。
魔物の死骸の処理、襲われた者のケガの治療。
それらの手配を首都防衛隊に任せ、スフィーダは改めて空へと舞い上がる。
彼女は宙で並んでいるイーヴルとドル・レッドのもとまで飛んだ。
「なんじゃ、そなたら。どういう風の吹き回しじゃ?」
そう訊ねたところ、ドル・レッドは例の野太いがらがら声で「意図はない。この国に用があったわけでもない」と答え、「散歩中だったんだよ」と続けた。
「散歩なんてしておるのか?」
「日課だ。暇なんでな。それよりいいのか?」
「ん? なにがじゃ?」
「竜と仲良くしている姿を民に見せてもいいのかと訊いている」
「誰も見とらんじゃろう」
「そうは思えんが」
「どうあれ、恩人には礼を尽くすぞ」
スフィーダは「ありがとうなのじゃ。助かったのじゃ」と頭を下げた。
次に笑ってみせたところ、イーヴルとドル・レッドは顔を見合わせた。
その様子が、なんだかおかしい。
「やはり本気ではなかったのじゃな」
「ああ、小僧達とやったときのことか? いや。あれが精一杯だった」
「ばればれの嘘をつくな。有望な芽を摘むのは忍びない。揃ってそうとでも考えたのじゃろう?」
「俺達がそんな優しいように見えるのか?」
「うむ。見えるぞ」
「変わった魔女もいたものだ」
「折り入って頼みがある。ここ、アルネの上空を、散歩コースに加えてくれぬか?」
「どうしてだ?」
「また今日みたいに、ピンチを救ってもらえるかもしれんじゃろう?」
「だから、俺達はそんなに優しくない」
「レタス一年分で手を打たんか? なんじゃったら、かぼちゃもつけるぞ?」
「ふざけているんだよな?」
「真面目な話じゃ」
「……わかった。いいだろう。ときどき顔を出してやる。俺達のことを見つけても怯えないよう民どもに周知するのはスフィーダ、おまえの役目だ」
「そのへんは任せておけ」
「じゃあな。もう行く」
「魔物はうまかったか?」
「いいや。やはりまずかったよ」
ドル・レッドが背を向け、翼を大きく動かし飛んでゆく。
一方のイーヴル、彼はなぜかスフィーダのことを見つめている。
「どうしたのじゃ? というか、そなたはもう少し明るい顔はできんのか?」
そう。
イーヴルはいつもいつも、暗い目をしているのだ。
「俺には、もう、なにも、ない……」
驚いた。
イーヴルがしゃべった。
「なにもないとは、どういうことじゃ?」
その問いには答えることなく、イーヴルはドル・レッドのあとを追った。




