第120話 冷血漢と女の慟哭。
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朝。
スフィーダが玉座の上で大あくびをしていると、ヨシュアが赤絨毯の上を歩み、やってきた。
彼はいつになく真剣な顔をしている。
片眼鏡の奥の目にも鋭さがある。
「陛下、本日は休業でございます」
「ん? 謁見者は来んのか?」
「はい。取りやめにいたします」
おかしい。
突然、こんなことを言われるなんて初めてなので不思議に思い、スフィーダは眉間にしわを寄せる。
彼女はヨシュアに「なにかあったのか?」と訊いた。
「ここから北に五キロほど離れた上空で、戦闘が行われています」
「せ、戦闘じゃと!? 状況は? どうなっておる?」
「駆逐するには至っていないようです」
「首都防衛隊をもってしてもか?」
「はい。私が向かう必要があるかと存じます」
「それほどの相手なのか?」
「紺色のローブに紅色のマントをまとった女性でございます」
「む。どこかで目にしたことのある風貌じゃな」
「”魔女に最も近い者”、すなわち、フェイス・デルフォイ氏でございましょう」
「きょ、強敵ではないか」
「ですから、私が出ると申しております」
「よし。わしも行くぞ」
「お控えくださいませ」
「バックアップがあるに越したことはないじゃろう?」
「なにをしでかすかわからないのは事実ですが」
「民に被害が出てからでは遅いのじゃ。ゆくぞ」
◆◆◆
フェイス・デルフォイは宙にぷかぷか浮かんでいた。
顔は微笑みに包まれている。
フェイスと対峙していた者。
それはエヴァ・クレイヴァーだった。
彼女は右の二の腕を押さえ、肩で息をしている。
負傷した上に、疲弊しているようだ。
後ろ姿からでも、それがわかる。
地上に目を移す。
避難する民がとばっちりを受けないようにするためだ。
十メートルほどの高度に、平たいバリアがいくつも見える。
首都防衛隊の面々が極力隙間をあけぬよう、協力して展開しているのだろう。
だが、それもフェイスの前では無力であるに違いない。
なにせ、”魔女に最も近い者”とされるニンゲンなのだから。
そこで、スフィーダ自ら動いた。
直径一キロメートルにも及ぶ巨大なバリアで地上を覆った。
これでまず間違いなく問題はない。
”魔女に最も近い者”ではあっても、魔女ではないのだから。
それにしても、なぜ、エヴァが一人で立ち向かっているのか。
本来なら、相手をするのも首都防衛隊の仕事だろうに。
恐らく彼女が言って、彼らを下がらせたのだ。
一人でやると押し切ったのだ。
感心できる判断ではないが、今、それを叱ってもしょうがない。
ヨシュアとともに、スフィーダはエヴァの隣まで滑るようにして進んだ。
「邪魔、しないでよ、ね……」
やはりエヴァは息苦しそうだ。
魔法衣のあちこちに傷がついている。
満身創痍とまでは言わないものの、もはや戦える状態ではない。
相手が悪かった。
はっきり言ってしまうと、そういうことだ。
「エヴァ・クレイヴァー少佐、下がっていなさい」
「舐めないでよ、閣下。私はまだやれるわ」
「いいから、下がりなさい」
「だからっ!」
「これは命令です」
俯き、渋々といった感じで引き下がったエヴァ。
ヨシュアが前に躍り出て、左手を掲げた。
粒子が集まるようにしてかたちを成した黄金色の槍が、その手に握られる。
それをフェイス目掛けて投擲した。
同時に、右手から光の矢を連続的に発生させる。
しかし、そのいずれもフェイスはバリアで遮断してみせた。
稀に見る強者であることは確実だ。
二つ名は伊達ではないという証左でもある。
ヨシュアの攻撃を防ぎ切ったフェイス。
なにを思ったのか、彼女はスーッと前進する。
二人の距離が急速に縮まる。
ヨシュアは迎撃しなかった。
戦意や敵意。
そういったプレッシャーが、まるで感じられないからだろう。
いよいよ顔と顔が接さんばかりに近づいた。
フェイスはいたずらっぽい笑みを浮かべ、ヨシュアの耳元に口を寄せる。
なにかささやいた。
聴力には自信があるスフィーダだが、さすがに聞き取ることはできなかった。
フェイスが少々浮上しつつ退く。
太陽を背にしてニコニコ笑い、バイバイとでも言わんばかりに手を振ってみせる。
そして、移送法陣、飴色の筒で自らを包み込み、どこかへ行ってしまった。
なにが目的だったのかはわかるはずもないが、追っ払えたのであれば幸いだ。
スフィーダはヨシュアに近づく。
なにをささやかれたのかと訊いた。
「貴方は私の獲物。そう言われました」
ヨシュアは吐息を漏らし、小さく肩をすくめた。
それから彼は「殺しておけばよかったですかね」と言ったのだった。
◆◆◆
城に戻り、玉座の間、赤絨毯の上。
「こんな傷、唾でもつけておけば治るわよ」
そう言って、エヴァは強がる。
スフィーダは腕を組み、彼女を見上げた。
「いいから医者に診てもらえ。傷口からばい菌でも入ったらたいへんじゃぞ?」
「……負けてないんだから」
「ん?」
「閣下がいなくたって、私はやれた。”魔女に最も近い者”だかなんだか知らないけど、私一人できちんとやれた」
エヴァは睨むような目をヨシュアに向ける。
「とんだ恥をかかされたわ。閣下、謝ってよ」
「本気で言っているんですか?」
「この状況で冗談言うとか、ないでしょ」
「貴女はフェイス・デルフォイに遊ばれただけです。彼女がその気になれば、一瞬で焼かれていた」
「そんなはずない!」
声を荒らげたエヴァ。
「誰に向かって口を利いてるのよ! 私が負けるわけないじゃない!」
「認めなさい。上には上がいるんです」
「そんなはずない!」
「賢明でなければ早死にするだけですよ?」
エヴァは目から涙をあふれさせる。
それからヨシュアの体にすがりついた。
彼女は両手を使い、彼の胸を三度、四度と叩いた。
「私は認めない。フェイスよりも、閣下よりも、一枚も二枚も落ちるだなんて認めない。認めないんだから……っ!」
「もう一度言います。自らの力を正しく評価できない者は、むなしく散るだけです」
顔を上げたエヴァが右手を振りかぶる。
しかし、ビンタはヨシュアの左手によって防がれた。
今度は彼の番。
右手で彼女の左の頬をぶった。
叩かれた頬を押さえながら、エヴァは赤絨毯の上にへたり込む。
そして頭を抱え、わっと泣き出した。
「エヴァ・クレイヴァー少佐。私の命に従わないのであれば、どこへなりとも行ってしまいなさい。言うことを聞かない兵など不要です」
「言いすぎじゃ、ヨシュア」
膝を折り、スフィーダはエヴァの背をさすってやった。
すると彼女はいっそう大きな声を上げて、泣きじゃくった。




