第103話 責任の所在。
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城内。
小さな会議室にて。
スフィーダは私室から持ち出してきたクリーム色のクッションを椅子に置き、その上によいしょと腰掛けた。
真っ白な石製のテーブルを前にする。
彼女の左隣にはヨシュアが、向かいにはエヴァが座った。
真新しい軍服姿のエヴァはしかめっ面。
ヨシュアは神妙な面持ちだ。
場に流れる空気は、少なからず重い。
スフィーダ、ここで口を切る。
「のぅ、エヴァよ、いったい、どういう状況だったのじゃ?」
「超高高度からの超広範囲にわたる光の矢の雨。私のバリアですら、ほとんど役に立たなかった。ラニードの奴、ブレーデセンを滅ぼしたときは本気じゃなかったのよ」
忌々しげに顔をゆがめたエヴァである。
「ヨシュアよ、被害状況は?」
「確認中です。全滅と決めつけるのはまだ早い」
「あれをもらって生きてる奴なんて、私以外にいるわけないじゃない」
「被害の中心は市街地です。遮蔽物が多い。運よく難を逃れた者がいるかもしれない」
「遮蔽物なんてなんの役にも立たないわよ」
「それでもダメと判断するのは早計です」
「死者や遺族のことを思うと、やりきれんのぅ……」
「まったくでございます」
「ラニード・ウィルホーク。どんな男じゃった?」
「藍色の髪に藍色の魔法衣。眼鏡をかけていましたね」
「そうではない。力量はどれほどのものじゃったかとわしは訊いて――」
「取り逃がしたことが悔やまれます」
「えっ、なにそれ」
エヴァが驚いたような声を発した。
「落とせたっていうの? まあ、互角に渡り合っていたようには見えたけど」
「あの程度なら、なんとかなりました」
「へぇ。ふぅん。そうなんだぁ」
「移送法陣は使い勝手がよすぎますね。いっそ、ないほうがいい」
それを聞いて、スフィーダは「奴めはときを置かずに引いたのか?」と訊ねた。
するとヨシュアは「そうでございます」と答え、「また会おうと言って、高笑いしながら去りました」と続けた。
首をかしげたスフィーダである。
「そもそもラニードの目的は、なんじゃったのか……」
「アイツの性格から考えると、戦争の匂いを嗅ぎつけて、遊びに来たってところじゃないかしら」
「それはエヴァよ、誰かの指示ではないというのか?」
「アイツはヒトに使われるような男じゃないわ。使われているようなフリをすることはあってもね」
「グスタフに雇われた可能性は?」
「矢の雨は、両軍がぶつかってるところに降ってきたわけ。ウチだけじゃなくて、あっちの兵隊さんにも、それはもう甚大な被害が出たわけ。フツウに考えたら、雇用関係が成立していたとは考えにくいわよ」
「クレイヴァー少佐が言う通り、愉快犯であるものと思われます」
「その堅苦しい呼び方、やめてくれない? エヴァでいいってば」
「お断りします」
「どうして?」
「親しくするつもりはないからです」
「ひどいことを言うわね」
エヴァは舌打ちすると、右手の親指の爪を噛み始めた。
「国民には、どう説明するのじゃ?」
「すべてをつまびらかに公表します」
「ラニードのこともか?」
「はい」
「得体の知れぬ魔法使いの存在は、民を怯えさせることにつながらんじゃろうか……」
「どうあれ、隠し立てすることはできません」
「まあ、そうじゃわな」
スフィーダ、嘆息。
「多くの兵が命を落とした。その旨を発表するわけじゃ。となると、アーノルド、それにおまえの支持率や評判に、ダメージがあるのではないのか?」
「内閣は余裕で持ちこたえます。野党勢力が貧弱ですから。ですが、誰かが責任をとる必要があるのも、また事実です。それは防衛大臣かもしれないし、私かもしれない」
するとエヴァは驚いたような顔をした。
慌てたようにも見えた。
「ちょっと待ってよ。閣下の代わりなんているわけないじゃない。だいいち、閣下が降りちゃったら、大将付の私のお役目はどうなっちゃうのよ」
「どうとでもなります」
「なに、その、テキトー発言。っていうか、今の防衛大臣って、実質的には閣下みたいなものでしょ? はたからしたら、そうとしか見えないんだけど? 違う? 違わないわよね?」
「上から白紙の委任状を引き受けていることは確かです」
「だったら、大臣の首をすげ替えれば済む話じゃない」
「私に権限が集中しすぎていることは問題ですよ」
「だ・か・ら、それは今に始まったことじゃないでしょって言ってるの。むしろ、セラー首相が閣下の能力を最大限に活用しようとして考え出したのが、現状のアクロバティック人事じゃないの? あえて大臣を置き物として据えることで、対内的にも対外的にも、防衛に関する事項についてはすべて閣下に一任できるようにした。そういうことなんでしょ? そういうシステムになってるから、事あるごとに取り上げられのは、大臣じゃなくて閣下の発言なんでしょ? そして、国民はそのことになんの不満も抱いていない。だったらそれでいいじゃない」
「よく回る口ですね」
「喧嘩売ってる?」
「やりますか?」
「馬鹿。やるわけないじゃない。あー、閣下って、ラニード並に嫌な奴ぅ」
エヴァが口をとがらせる一方で、腕を組み、天井を仰いだヨシュア。
スフィーダは、彼の左の二の腕に両手を添えた。
得も言われぬ不安感に駆られたからだ。
「野党は弱いと申しました。その状況が覆されない限り、大臣はおろか、私の首が飛ぶこともまずあり得ないのでございますよ」
「それくらいはわしにもわかる。じゃが、おまえは……」
「ええ。やはり誰かが責任をとるのが筋であると考えます。陛下がおっしゃった通り、多くの兵が命を落としたのですから」
「職を辞することが責任をとることになるのか?」
にこりと笑んだヨシュアである。
「鋭いことをおっしゃいますね。ですが、私の役割については、一度、さっぱりさせたほうがよいのかもしれないとも思うのでございます」
「さっぱりさせるというのは、最側近という立場も踏まえてのことか?」
「はい。私は偉くなりすぎて、図に乗っていたのかもしれません」
ヨシュアは天井を見上げたまま、それ以上、なにも言わなかった。
◆◆◆
のちの国会において、早速、野党は防衛大臣の問責決議案を提出した。
しかし、与党の圧倒的多数の反対をもって、すぐさま否決された。
ヨシュアの任が解かれるようなことにもならなかった。
当然のことだと思う。
ラニードの出現は、誰にも予期できなかったことなのだから。
野党が責任を追及するのは、いくらなんでも無理筋だ。
だから、その件はいい。
丸く収まったということでいい。
問題は、ヨシュアが最側近の座を譲る譲らないの話である。
本件に関しても、まもなく動きがあった。
その日の業務後、一度席をはずしたヨシュアが戻ってきた。
玉座の前で片膝をつき「お受け取りいただけますでしょうか」と言い、白い封筒を手渡してきた。
辞表としたためられていた。
最側近の任命権は、最終的に女王にゆだねられる。
だから、直接、提出しようと考えたのだろう。
スフィーダの目からはぽろぽろと涙がこぼれた。
おぼつかない手つきで、封筒を開けた。
すると、中にはなにも書かれていないまっさらな紙が入っていただけだった。
「かつて私は申し上げました。とこしえにお仕えすると。最も大切なその約束事を、思いを、危うく見失ってしまうところでございました」
スフィーダは紙も封筒もくしゃくしゃに丸めて床に叩きつけた。
玉座から腰を上げ、ヨシュアにも立つように言った。
起立した彼に、彼女はぼふっと抱きついた。
「まあ、実際のところ、とこしえにとはいかないのでございますが」
「そんなことはよい。背を抱け。頭を撫でろ」
ヨシュアの手が頭に触れた瞬間、スフィーダは「わーん!」と声を上げて泣いたのだった。




