第10話 たいへんじゃ、たいへんじゃ。
◆◆◆
今日、しょっぱなに会うニンゲンは、一般人ではなかった。
プサルムの軍人だった。
黒衣に黒いブーツ、帯剣しているが、軽武装である。
若い男だ。
痩躯であるものの、体幹の強さを感じさせる。
所定の位置で片膝をついたその男はスフィーダの「面を上げよ」という言葉に従い、彼女のほうに顔を向けた。
「申し上げます。昨晩、グスタフ共和国の兵が我が国の領土に侵入。現在、フォトン・メルドー少佐の部隊を筆頭として交戦中であります」
フォトンの名を聞くと、やはりドキッとしてしまうスフィーダである。
考えるに、北部の警備にあたっている彼が、伝令を寄越したということだろう。
事は急を要しているのだろうか。
スフィーダ、あっという間に、気が気でなくなる。
「て、敵兵の数は? 把握できておるのか? 陣形は維持できておるのか?」
「現状、問題ございません。しかし、敵方に曙光の兵、すなわち赤備えの姿があります」
「なっ、なんじゃと!?」
曙光とは世界で一番の領土を誇る国家である。
圧倒的な国力を有している。
赤備えというのは、その曙光の軍の俗称だ。
兵の鎧、それに魔法衣の色が赤色であることから、そう呼ばれる。
「どうしてそんなことになっておるのじゃ?!」
「図りかねます。ですが、曙光主力部隊の指揮者はわかっております。リヒャルト・クロニクルでございます」
「な、なんと! それはまことか?!」
「はい」
リヒャルト・クロニクル。
誰もが知る曙光の大将軍。
その真っ白ないでたちから、二つ名は”恐怖の白”。
「わけがわからんぞ……」
スフィーダ、いよいよ頭を抱えてしまう。
プサルムがある大陸から見て曙光がある大陸は北東にあたり、二つのあいだには”百年水道”という海域がある。
百年ものあいだ曙光が海を渡ってこなかったことから、いつしかそう呼ばれるようになった。
その別称が定着してから、もう数十年が経過している。
なのに、どうして、今になって……。
伝令の男が立ち去ったあと、スフィーダは深々と溜息をついた。
「ついにまた、曙光の侵犯をゆるしてしまうのか……」
玉座のかたわらにいるヨシュアが「リヒャルト・クロニクルが出張っているとなると、重要な案件である可能性もございますね」と言った。
「なんとか話し合いで済ませられんのか」
「無理でございましょう」
「じゃろうな……」
スフィーダ、また溜息。
今度は間違いなく嘆息だ。
「それにしても、どうしてわしに知らせようと考えたのじゃ? フォトンめのこととなると、わしは、その……アレじゃろうが」
「お覚悟をなさるのも必要かと存じまして」
「そんな覚悟などしたくはない! すぐに援軍を送れ! 早くしろ!」
「冗談でございますよ」
「じょ、冗談?」
「フォトンが敗れるとお思いですか?」
「そうは思わん。しかし、相手は”恐怖の白”じゃ。ゆえに、万が一ということも……」
「彼に限って、万が一などございません。ご安心を」
ヨシュアはにこりと笑んだ。
彼の微笑は、いつもスフィーダを安心させる、させてくれる。
「一応、お耳に入れておこうと判断しただけでございますよ」
ヨシュアは目を細め、ますます笑みを深めたのだった。
◆◆◆
スフィーダのもとに続報が届いたのは、三日後のことだった。
”恐怖の白”を仕留めるには至らなかったが、追い返すことには成功したらしい。
それを聞いて、彼女がホッとしたことは言うまでもない。
悪い知らせを聞かされていたら、本当に泣いてしまうところだった。
だが、状況は依然、予断をゆるさないだろう。
これでいよいよ、フォトンが危険な任務に従事せざるを得なくなった。
グスタフ共和国との国境線において、警戒の任に当たらざるを得なくなってしまった。
次、会えるのは、いつになるだろう。
そんなふうに考えると、スフィーダの薄い胸を、切なさがつついた。