浮かぶ真実
今回から次回予告をあとがきに入れようと思います
彼女の姿は二つ名“異類異形のゼノモーフ”に相応しいものだった。兎か鳥かわからず、その上玉兎が身につけている白いブラウスが赤く染まっておりグロテスク極まりない。
「あなたがオリオンラヴィの玉兎ね」
鈴仙の問いかけに異形は笑みを崩さずに答える。
「その通り、私が李餡よ。鋭と呼んでくれてもかまわないけど、他人として割り切った方がスッキリすると思うわ」
李餡は鋭のときと違って、長い黒髪をツインテールに結んでいる。目つきも人間程度なら睨み殺せるのではないかと思わせるほど凶悪だった。しかし奇妙なことに彼女は他の玉兎のように目が赤くなく、黒いのだ。
「あなたはいままで私たちを騙していた、それはなぜ?」
秋翠が不意に問いかけた。
「それについては私もちょっとは申し訳ないと思ってるわ。だってたった数日でこんなにも仲良くしてくれるんだもの。アンタたちもっと人を疑うことを覚えなさい」
秋翠は「こいつ!」とレーザーライフルを構えようとするが鈴仙が手で銃身を下に向けさせて抑える。鈴仙は〈挑発に乗るな〉とアイコンタクトで伝えた。
「あなたの目的は何なの?」
淡々とした声で問いかける鈴仙に李餡も同じ様に「証拠の抹消」とだけ答える。
「その証拠って何?」
李餡は翼を閉じ、獄猫を地面に寝かすと「私の正体と行動」とボソッと呟く。
「だから私達を殺すのね」
「そうなるわね……でもあなた達が私の手伝いをしてくれるのならそれを行う必要は無くなる」
そう言いながら李餡は獄猫のブレザーのポケットからボールペンのようなものを取り出して自分の胸ポケットにしまう。
「手伝い?」
鈴仙が目を細めながら訊くと李餡は背中の翼に手をかけて、それを勢いよくもぎ取った。同時に大量の血が噴き出して大地を濡らした。秋翠はその余りに凄惨な様子に思わず口元をふさいだ。李餡は出血しているのにも関わらず不敵に白い歯を見せている。
「私の真の目的は月の都への復讐よ。あなた達がそれを手伝う気があるのだったら戦わなくて済むけど」
李餡はおもむろに秋翠に近づいて血に汚れた手を小刻みに震える肩に置いた。その瞬間に秋翠は小さく悲鳴をあげる。鉄の様な匂いは鼻を通り、不快感を刺激する。またオリオンラヴィという李餡の肩書に恐怖して秋翠は声が出せずにいた。背中から血を流す玉兎はその様子を見て小さく笑う。
「月を捨てたあなた達ならすんなりと手伝うと思ってたんだけど……」
「復讐なんて……」
やっとの思いで口を開いた秋翠だったが急に李餡に顔を近づけられて怖気づき、言葉が止まる。彼女の持つ気迫や雰囲気といったものは玉兎のものではなかった。
「あなただって首を消された私のために復讐しようとしてたじゃない?」
秋翠は“違う”と声に出して言うことが出来なかった。
「何故月に復讐なんてしようとするの?」
「何故ってわからないの?」
李餡は鈴仙の質問に対して鼻で笑い、反問する。すると彼女は両腕を大きく広げた。
「月じゃ玉兎は自由に生きられてもそれは本当の意味での自由? 何者にも縛られずに自分勝手に生きることが自由だと思わない?」
玉兎たちに不似合いな尖った歯を見せる李餡。
「人の自由は人それぞれだと私は思うわ」
「そう、ならアンタ達は月に残った仲間はあれで自由だというのね」
そう言うと李餡は目を見開いて、真っ直ぐ鈴仙の目を直視した。見つめ合う二人の瞳はどちらも真紅に光っていた。
「私は……」
鈴仙は金縛りに襲われて体が石のように動かなくなった。同時に彼女の瞳には懐かしい景色が映っていた。それは月の使者の仲間たちが月人に酷い仕打ちを受けている様子だった。自分が置いてきた仲間、裏切った仲間。鈴仙は罪悪感に膝をついてうずくまる。
「あなたは罪を意識しないといけない」
李餡の眼は更に赤く星のように輝いた。その瞬間、また鈴仙は嫌な景色を見せられる。吐き気を催すような自己嫌悪に彼女は気絶寸前だった。
「鈴仙に何をしたの?」
ずっと蛇に睨まれた蛙のように硬直していた秋翠が訊く。
「彼女には過去の景色を見せている。あなたにも見せてあげようか?」
李餡の眼が紅く光ると、二人の間を光線が横切り、焼き後で境界線を引いた。その視線の先にはレーザーライフルを構えた緋燕が滞空していた。
「また一匹増えたようね」
「これ以上はやらせない」
引き金に指をかけていつでも打てるように準備をする。だがビームで頭をまるごと焼かれても生きているような怪物には有効な脅しにはならない。
「アンタは敵にしたくはないんだけど」
しかし意外と脅しが効いているのか李餡の言葉は少し弱腰になっている。またずっと笑っていたのに緋燕と対峙し始めた時から表情は曇り、しまいには真顔になっていた。
「ならばもうやめなさい!」
緋燕も李餡と話しているときは口調が砕けたものではなく、鈴仙よりのしっかりしたものになっている。
「はいわかりました……というわけにもいかない」
互いににらみ合い時間だけが過ぎていく。最初に動こうとしたのは李餡だった。自ら千切った翼の方向へほんの少し後ずさりをする。秋翠が気づいて緋燕に伝えようとしたときには遅く、李餡は地面を蹴って翼へと真っ直ぐ飛ぶ。彼女の視線の先には翼に隠された武器。手を伸ばし、掴もうとするが何者かの突撃によってそれは妨げられた。
「このぉー!」
鈴仙の全力の突進に李餡は吹き飛んで、翼から離れた。その際にボールペンが音を立てて地面に落ちる。
「鈴仙!? 大丈夫なの?」
鈴仙の変わりように驚いた秋翠が駆け寄ってきた。緋燕も銃を下ろして地面に降り、鈴仙の元へ走る。
「平気よ、ずっと演技してたから」
と得意げな顔で言った。
「どうやら話し合いをするつもりが無いようね」
鈴仙のエルボーがねじ込まれた脇腹を抑え、咳き込みながら立ち上がる李餡の眼は怒りに燃えていた。だが口角は上がっており、鋭い歯が見え隠れしていた。
「獄猫の能力を使って私を従わせようとする奴の言うセリフじゃないわ」
「何が起こっているの?」
走り寄ってくる彗青が鈴仙に訊いた。緋燕は「なんで来たの!?」と軽く怒鳴ると「私だって戦えるわ!」と握った拳を見せながら彗青は言い返す。
「多勢に無勢ね……なら計画はすぐに実行しなければッ!」
李餡はポケットに手を突っ込むがあるはずのものがそこにはなく青ざめる。
「なんだこれ?」
彗青が地面に落ちたボールペンをそっと拾い上げて物珍しそうに見る。気づいた李餡が「それを私に渡せ!」と叫んで駈け出そうとする。だが鈴仙がボールペンを彗青の手から奪ってそれを前に突き出した。そうすると李餡の足は止まり、またにらみ合いの状況に戻る。
「これ以上前に進むなら破壊するわよ!」
鈴仙の脅しに完全に屈服した李餡は歯を食いしばったり舌打ちをしたりもせず、ただその場で立ち尽くすだけであった。
「拘束して」
鈴仙が周りにいた秋翠達に指示を出すと彼女らは一斉に李餡へと走る。膝をつかせ、両腕を後ろで縛り身動きが取れないようにする。李餡の腕を縛るフェムトファイバーの組紐はどんな怪力でも引きちぎれはしない。だが万が一に備えて、緋燕と秋翠が銃を向ける。
「全てを話してもらうわよ」
鈴仙が銃殺刑間際の罪人のような李餡の前に立った。体勢を整えるために少し動いた李餡を警戒した緋燕は銃口をうなじに押し当てて脅す。
「石が当たって足が痛いの」
「どうでもいい」
二人のやり取りは必要最低限だった。また緋燕も普段からは想像もできないような冷淡な面構えで彗青を不安にさせた。
「これは何? 月への復讐に関係するの?」
鈴仙がボールペンを眺めながら訊くと李餡は口ごもることもなく素直に話した。
「それはスイッチよ。獄猫に幻想郷中に仕掛けさせた装置のね」
李餡が言葉を濁して曖昧にするので鈴仙は「装置って何?」とまた質問を投げかける。
「ウイルスを撒く、小さなカプセルよ。脆いし偽装してるから間違って踏んづけたら危ないわね」
李餡がヘラヘラと笑いながら言うので鈴仙がその胸ぐらを勢いよく掴んで「どこに仕掛けた」と古い熱血刑事のような気迫で言う。だが李餡は全く動じていない。鈴仙には“ウイルス”に心当たりがあった。昼中に永琳が調査していた遺伝子改造を施された危険なもの。
「私は知らないわ。あの子にでも聞いたら?」
そう言って仰向けの獄猫を見た。鈴仙が起こそうと揺さぶったりするが反応が無い。息はしているので死んでいるわけではないようだ。
「月への復讐ってどういうこと」
相変わらず冷たい声色で接する緋燕が突然訊いた。
「月の都では玉兎は実に不遇だわ。私は幼い頃からずっと逃げ出したかったけど駄目だった。あなたならわかるでしょ……」
李餡は鈴仙の方へ視線を送る。
***
生まれた時から“戦闘強化玉兎”に自由は無かった。望んでもないのに生まれ、道具として扱われた。自由な時間なんて大きくなるまで一秒たりとも与えられず、周りのみんなは洗脳されて任務以外の話などしてくれなかった。それでも私は正気を保っていられた。唯一の肉親である姉がいたから『私は家族がいるから幸せだ』と思い、今まで耐えてこられた。だが限界は近かった。
月からの逃亡を企てた私は何人かの仲間を連れて結界のすぐそこまで来た。
「もう少しで結界よ」
先頭を走る私は後続の玉兎に伝えると彼女らは嬉々とした声で互いに話し始めた。
「やっと抜け出せるよ」
「地上って楽しいのかな?」
「降りたら何しよう」
心を躍らせる玉兎達の声と共に前へ前へと足を動かすが、あと一歩のところでトラブルが起きた。
「おい、お前ら!」
鋭い男の声が聞こえると皆、一斉に走りを止めてその方向へ身体を向けた。ヒートカッターを腰に携えた月の監視員だ。
「ここで何をやっている! お前らの様なものが来ていい場所ではないぞ」
私達は言い逃れることなど出来なかった。そのため踵を返して逃げるのが最適の選択だったの。しかし月人の前では私達玉兎は無力だった。まるで赤子の手をひねるかのようにたった一人で次々と私達を捕まえた。最後まで抵抗した私は肩と足をカッターで焼かれ、挙句の果てに手首を丸ごと切り落とされた。他の玉兎は諦めて抵抗すらしてなかったわ。
この一件で私の月人への憎しみは更に加速した。怒りに頭を支配され、狂気に染まる。必ず、奴らを討ち玉兎に自由をもたらすために私は協力者を募った。結果、二人だけ現れたが十分だった。
月の賢者であり守護者、八意永琳様を封じるために幻想郷でパンデミックを起こす忙殺計画を立て、月人を一斉攻撃するために特殊エネルギーによるファンネル掃射計画も立てた。後は時期を待つだけ。
そしてその時は訪れた。獄猫に手紙とウイルスカプセルをもたせ、やるべきことを伝えた。私は変装をし、オリオンラヴィの権限で亡命希望者と共に地上に降りた。
***
「悲しい過去があるからって同情なんてしてほしくない。それじゃあ私がみじめみたいじゃない」
李餡は石が痛いのか足をもぞもぞと動かすと緋燕はトンと銃口を当てた。
「寧ろ喜ぶべきことよ、計画が成功すれば私達は月人から完全に開放される」
そう言って笑うと白い息が出て、消える。彼女の言葉に自嘲は混じっておらず堂々としていた。空から小さな白い粒がいくつも降りてくる。
「復讐のためなら幻想郷の人々が苦しんでも構わないと?」
緋燕が訊くと李餡は鼻を鳴らし、やれやれといった表情をする。
「犠牲は常に伴うものなの。それに死にはしないわ」
「苦しみを受けたなら人の苦しみを理解できるはずよ。理解できるからこそ玉兎達を救おうとしているのでしょう?」
諭すような鈴仙の口調に李餡は「他人の苦しみなんてわかるわけないじゃない」とふてくされたような顔で返す。
「いい加減にしなさい!」
鈴仙は李餡の頬を勢いよく叩くと鋭い音が響く。五秒くらい、辺りはしんと静まり返った。
「ふふふっ……あはははははははっ!!! 甘いよねぇ鈴仙は!」
突然、狂ったかのように大きな声で笑う。余りにも面白いのかその目からは涙がこぼれていた。
「何がそんなにおかしいの?」
鈴仙がそう言った次の瞬間、手に握っていたスイッチを目覚めた獄猫に奪われたのだ。
「獄猫、そのスイッチを押せ!」
獄猫は命令に従い、スイッチに親指を乗せる。だが一向に指を押し込もうとしない。鈴仙が走ってスイッチを取り返そうと急ぐ。それを見て、しびれを切らした李餡は袖から隠していたヒートカッターを取り出し、展開したと同時に組紐を切断して腕を自由にする。
「まずい!」
彗青がそう叫ぶ頃には緋燕がレーザーライフルの引き金を引いていたが、すんでのところで躱される。スイッチに指をかけたまま立ち尽くす獄猫の手から鈴仙は強引にそれを奪い取る。だが後から来た李餡が「渡しなさい」と鈴仙の首筋にカッターを突き付けて言う。
鈴仙は言う通りにしてスイッチを渡す、がそれは李餡の手に渡ると共にレーザーに焼かれた。撃ったのは秋翠だ。
「……」
李餡は黒ずんだ手首を黙って見ていた。
「何故……押さなかったの?」
李餡は小さく呟くと獄猫は彼女の目を見て「李餡は間違っている……」と同じく小さく答える。
李餡は「残念だよ」と言うとヒートカッターを獄猫の胸に突き刺す。貫通した光刃はそこにある限り獄猫の体を焼き続ける。
「どう……して」
彼女には痛みよりも李餡に刺された衝撃の方が強く、苦悶の表情を浮かべることすらしていなかった。
「言うまでもないでしょ」
そう言い放つとカッターを閉じ、袖にしまうと崩れ落ちる獄猫の身体を鋭い目で眺める。香霖堂で鈴仙に見せた眼差しだ。鈴仙が拳を固めて駆け出そうとすると、獄猫が余力を尽くして這いつくばって李餡の足にすがりつく。
「私は李餡の期待に応えるために……色んな隠ぺい工作をしたんだよ……人を眠らせたり、記憶を見せて騙したり」
「期待に応えたければスイッチを押せばよかったのよ」
李餡は無慈悲に足を振り払う。なおもすがりつこうと地を這う獄猫。彼女にとって李餡は命の恩人であり、育ての親の様なものなのだ。
「そう言えば鈴仙は面白い能力を持っていたわよね?」
獄猫には目もくれず、李餡は鈴仙に質問を投げかける。そう言っている間に彼女の手は一瞬で再生した。
「それが何だって言うの?」
獄猫に駆け寄りながら鈴仙が答えると李餡は「確認よ」と呟く。それと並行して李餡は地面を蹴り、急速に鈴仙との距離を詰める。手刀が自身に向けられたと鈴仙が気づいたころにはもう遅く、避ける間もなく爪から指の第二関節までが肩の肉に突き刺さった。
「くっ……」
今まで体感したことのない鈍い痛みに鈴仙は歯を食いしばる。ブレザーが赤い染みを作る。
「これ以上は好きにさせない!!」
そう叫んだ秋翠がヒートカッターを展開して李餡に切りかかる。
「血は貰ったわ」
李餡が指を引き抜くと、鈴仙はその場で肩を押さえながら膝をつく。対する李餡の指は健在のようだ。接近した秋翠は光刃を振り上げて、鈴仙に当たらないように切っ先で対象を両断しようと試みる。しかし寸前で手首を掴まれて防がれる。
「援護する!」
緋燕がスコープを覗き、精密射撃を行うが何故か当たらない。走る光線のいくつかは鈴仙と秋翠を少し掠めるようなものもあった。
「危ない! 鈴仙達に当たったらどうするの!」
彗青が注意すると「レーザーが屈曲しているんだって!」と緋燕は返す。そのやり取りを聞いていた李餡は高笑いしながら緋燕達に近寄ってきた。
「鈴仙の能力は素晴らしいわ。ルナティックウェーブを自由発信できるんだもの」
「何? 鈴仙の能力は狂気を操る能力じゃ……」
秋翠が鈴仙に肩を貸しながら訊くと、そのことを嘲笑うかのように鼻を鳴らす李餡が答える。
「彼女の能力は波長を操ることよ。その際にルナティックウェーブを使って操作を行っているの」
緋燕が「ルナティックウェーブ?」と初めて聞く単語を繰り返す。李餡曰く、ルナティックウェーブは月の狂気の正体であり、玉兎の体の中にも存在するという。また月のビーム、レーザー兵器などもルナティックウェーブで制御されていたり、玉兎の通信にもこれを介していたりと用途は多岐に渡る。
「ルナティックウェーブを自由に放出するだけでもすごいのだけど発信するだけでは意味がない。だけど私の頭に埋め込んだウェーブコントローラーなら……」
そう言うと秋翠の持っているヒートカッターの光刃がぐにゃぐにゃと様々な方向に曲がる。秋翠は驚いて思わずカッターから手を放した。
「コントローラーを使えば発信したルナティックウェーブを増幅し、周囲のルナティックウェーブを使用した兵器に影響を及ぼすことが出来るの」
李餡が自身のこめかみを人差し指でコツンと叩いた。
「つまり月の武器は使えないってことね……」
痛みに耐えながら秋翠の力を借りて立ち上がる鈴仙が言う。その手には鮮やかな赤色が滲んでいた。李餡は白い歯を輝かせてヒートカッターを手にした。
「この世の全ての遺伝子を扱える私に敵うかしら?」
次回予告
戦いとは常に代償を伴うもの。
狂気の波にのまれた者は白い翼を広げ、悲しみと痛みを振りまきながら空へ羽ばたく。
かけがえのない今を守るため。こんこんと降る雪の中、玉兎は熱く激しく刃をふるう!
次回 月兎大亡命『沈む命』