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月兎大亡命  作者: タナカ
15/17

オリオンの兎

 「手短に話したい」


 獄猫は辺りをキョロキョロと確認していた。まるで狩人に怯える兎の様に。鈴仙が「どうしたの?」と言い気に掛ける。だが彼女の頭は余りにも突然の出来事によって混乱していた。


「勘違いしないでほしいが難しいかもしれない。その時は殺してくれて構わない。だが話はちゃんと最後まで聞いてほしい」


 獄猫の強い意志が垣間見える眼差しに、二人は固唾を飲み込んだ。


「最初に行っておこう、鋭と呼ばれた玉兎を殺したのは私だ……」


 獄猫がまだ話している最中に秋翠がその胸ぐらを強くつかんで「あんたがやったの!?」と怒鳴りつけた。獄猫は抵抗する素振りを全く見せない。


「秋翠、落ち着いて」


 鈴仙が二人の間に入って制止する。彼女もそのことについて怒りは感じていたが、ただならぬ獄猫の雰囲気に危惧の念を募らせていたのだ。初対面で鈴仙をからかう様な陽気さはそこにはない。


「正確に言えば鋭のほうは殺したが、もう一人のほうは殺してない」


 獄猫は襟袖を整えながら一言一句に気をつけながらゆっくりと話す。


「どういうこと?」


鈴仙が訊くと「その前に彼女のことについて話したい」と獄猫が言うとまた髪を揺らしながら辺りを確認した。


「彼女は鋭という名前ではない。本当の名前は“李餡”という」


 鈴仙はその名に聞き覚えがないか記憶の海を探るがどこから関係するものも浮かんでこない。秋翠は仲間にずっと噓をつかれたことにショックを覚えた。あの時見せた笑顔や言葉は全て嘘なのかと、悲しみに大地に手をついた。だが獄猫はそんなことはお構いなしで話を続けた。


「彼女は“失敗作”である私を廃棄前に助けてくれた」


 声のトーンが一段と低くなった。目は死体のように暗く、心は荒み切って空箱になってしまったかのようだった。


「失敗作……廃棄?」


 話を聞く二人は二つの単語に違和感を覚えた。人を失敗作だの廃棄だのとは普通は言わない。


「そう、私は人工的に作られた玉兎……強化戦闘玉兎だ」


 強化戦闘玉兎は月人に比べ、全てにおいて能力の低い玉兎をある程度それに近づけるために作られたものだった。人工的な遺伝子操作によって生まれたこの玉兎達は高い能力が必要とされていた。そのため失敗作と呼ばれる能力の低い者たちは“廃棄”と称して宇宙に捨てられるのだ。


「宇宙に放り棄てられた時、李餡は偶然私を見つけて助けてくれた」


***


 獄猫は身も心も凍る宇宙を漂い、絶望的な孤独と死を味わった。彼女が目にした一帯に輝く星は残酷にも美しかった。それらはまるで彼女の死を華やかにせんと一生懸命に強く光った。その中に一つ不似合いな黒い影があった。それは獄猫の命を刈り取りに来た死神にも見えたが、救いの手を差し伸べられた時にその印象は消え去った。


「あなた、ここで何をしているの?」


 簡易的な宇宙服を身につけた李餡は背中を丸めている獄猫に近寄って話しかけた。


「た……すけて」


 虫の息の獄猫はかすれた声で助けを求める。李餡はすぐに自分の宇宙服を脱ぎ、獄猫に着せた。強烈な宇宙線なども気にせずに彼女を助けたのだ。獄猫の意識はそこで途絶えた。目を覚ますとそこは月の都だった。特徴的な家屋の装飾や雰囲気がそこだと獄猫に証明した。


「大丈夫? 痛いところとかない?」


 李餡は血の付いた手袋を箱に入れながら訊いてきた。そのせいか鼻がまがるような血生ぐさい臭いが漂う。


「いえ、どこも……」


 獄猫はベッドから起き上がって体を動かしてみた。さっきの苦しみや痛みは噓のように消えていた。


「よかった~、手術とか余り経験なかったから心配だったのよ」


 李餡は手を合わせて黒いツインテールを揺らしながらニッコリと笑った。獄猫は玉兎なのに医者なのかっと疑問に思い質問してみた。


「医者なんですか?」


「うーん、まぁ半分くらいかな? 趣味みたいなものよ」


 李餡は首をかしげながら答えた。


「あなた名前は?」


 獄猫は質問に戸惑った。その時、彼女には名前がなかったのだ。他の月人からも番号で呼ばれていたのだ。そのため、無言の空間が数秒続いた。


「名前がないのね」


 李餡は的確に状況を把握した。その時の彼女の顔は同情よりも怒りに染まっているように見えた。


「なら私が名前を付けてあげる、あなたは……」


 李餡はテーブルの脇にある椅子に腰掛けて暫く考えるしぐさをした。


「獄猫よ」


 突然、獄猫へ向いて言う。


「獄……猫?」


「宇宙という地獄の中で猫のように丸くなっていたから。嫌ならほかの名前を考えるけど」


 獄猫は猫を見たことがなかったために半分、名前の意味を理解しかねた。だが命を救ってくれた上に、名前までくれるのは贅沢だと思った彼女は名前が気に入ったことを伝えた。


 その後、二人は同じ屋根の下暮らすこととなった。衣食住全てを提供し、何をしても許してくれる李餡に獄猫は次第に依存していった。李餡も薄々そのことに気づいていたが、獄猫の苦しみを考えれば妥当だろうとそのままにしていた。だがある時、李餡はその依存を断ち切るような話を持ちかけた。


「ねぇ、獄猫」


 都の人通りの少ない道を静かに二人で歩いているときに李餡は突然喋りだした。獄猫は「何?」と愛想よく答える。


「あなたって仮のオリオンラヴィに所属してたでしょ?」


 李餡は鋭い刃物のような冷淡な目で訊くと獄猫は立ち止まる。最初は〈何のこと?〉という顔で白を切っていたが、李餡の黒い瞳には勝てなかった。


「そうだけど、それがどうしたの?」


 獄猫は終始、口元を震わせていた。李餡に失望されたかもしれない、あの時のように信じていた人に捨てられてしまうかもしれない。そういう恐怖に襲われていた。


「私は最初から全部知っていたの。獄猫が強化戦闘玉兎だってことも」


「別に隠すつもりは……」


 次第に獄猫は熱い涙をこぼしながら、その場に崩れてしまう。李餡は目線を同じ高さにするため、その場に膝まづいた。その時の顔は今までのどんな時よりも暖かく、綺麗だったのを獄猫は覚えている。


「わかってる。だから私も隠すつもりはなかったの」


 李餡はおもむろに獄猫を抱きしめて小さく耳元で囁いた。


「私はオリオンラヴィだ」


 その瞬間、獄猫は何とも言えない複雑な気持ちに、目を見開く。その優しい囁きとは正反対に言葉は弾丸のように心をえぐる。李餡は赤い顔の獄猫から手を放し、立ち上がった。


「オリオンラヴィに戻るつもりはない? 勿論、あんな思いはさせないようにする」


 さっきまでの暖かい笑顔は冷めきって、無表情になっていた。眉一つ動かさないその顔は鉄仮面というに相応しい。


「あなたは私に依存してる。そんなのはいけないのよ、わかるでしょ?」


 獄猫を見下ろす李餡の姿はもう以前の彼女ではなかった。そこに居たのは一人の心優しい玉兎ではなく、心を殺した戦士だった。


「ある任務を完遂すれば、あなたはオリオンラヴィに戻り、自立できるはずよ」


「そしたら李餡は私の前から居なくなるの?」


「あなたの成果次第よ」


***


 獄猫が話し込んでいるうちに空からゆっくりと白い粒が降ってきた。


「その任務って何?」


 鈴仙が訊くが獄猫は答えず、話を続けた。


「だけど任務を続けるうちに私は任務に疑問を覚えた。そこで彼女を問い詰めた」


 急な突風が吹き始めた。それは明らかに自然のものではなかった。秋翠はそれを不思議に思い、あたりを見まわすと、黒い影が竹林を高速移動しているのを見つける。少しの間、それを目で追いかけていると影が次第に大きくなり、白色に変わっているのに気づいていた。


「それで……」


獄猫が話しているのにも関わらず秋翠は「危ない!」と叫んで地面に滑り込んだ。近づいてきた黒い影は白い鳥の羽を携えた何かだった。


「うわっ!」


 鳥のような何かが巻き起こした強烈な風に鈴仙は怯む。全員の安全確認をしようとあたりを見まわすと、獄猫がいないことに気づいた。


「獄猫!?」


 鈴仙が叫ぶとまた、強い風が起こる。それと同時に翼をもった“それ”は獄猫を抱えて地上に降りてきた。


「あなたは……!」


「やぁ、鈴仙。何分ぶりかな?」


 翼を持ったその玉兎は髪を揺らし不気味に微笑んだ。


***


 永遠亭で鈴仙達の帰りを待っている緋燕と彗青。彼女らの間に交わされる言葉は一つもなかった。このような状況で何をして待っていればいいのか二人とも分からなかったからだ。長い沈黙の中、彗青が口を開いた。


「緋燕……ちょっと様子を見にいかない?」


 彗青はその表情から心配でしょうがないとうい心持ちが見えていた。緋燕も顔には出してはいなかったが気持ちは同じだった。


「確かにそうだよね……」


 緋燕は俯きながら考え事していた。このま彗青と行くべきか、一人で行くべきか。勿論、彼女が選ぶのは後者だった。親友を危険な目に遭わせることなどあってはならないという気持ちが強かった。


「私が様子を見て来るから彗青は待ってて、絶対にここから動いたら駄目だからね!」


 緋燕はそう言い残すと、勢いよく立ち上がって永遠亭を飛び出した。彗青には緋燕は何か妙に急いでいるように見えて危なっかしく見えた。


「絶対に何か隠している」


 彗青は竜胆色の髪を後ろで結いながら立ち上がる。

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