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月兎大亡命  作者: タナカ
12/17

新しい故郷

 五人の玉兎が地上に降りてから一か月が経った。よく人里に赴く鈴仙は秋翠や鋭には時々会うがあとの三人は中々目にしない。恐らく獄猫は帰ったのかもしれないが緋燕と彗青は何処で何をしているのか鈴仙にはわからなかった。


 鈴仙は自室で暗号の紙の複製とにらめっこをしていた。だた紙を睨んでも答えは浮かびはしないので鈴奈庵で古い暗号についての本も借り、参考にしてみたがどれも該当するものはなかった。


「何の知識が必要なんだろう」


 永琳が完全に映してくれたものなのだがよく見ると、句読点で句切られた前半部分の漢字のバランスが所々おかしいことに気づく。さんずいがやたら強調されていたり、部首が小さかったりと通常では有り得ない間違いをしていたのだ。鈴仙が実物を見た時はこんな状態ではなかったことは覚えている。師匠がこんなあからさまなミスをするわけないと一度目を閉じて深呼吸をする。そして次に目を開けた時は整った普通の字が目の前にあると信じてまぶたを開くが何も変わっていない。


 そのうち疲れて畳の上にばたりと横たわり天井を見つめた。そこに何かあるという訳ではないが見つめていれば答えが突然頭に入ってくるような気がしたのだ。


「何してるのさ」


 声がした方向へ顔を向けるとてゐが乱雑に置かれた本をパラパラとめくっていた。


「暗号? あんたそんな趣味あったの?」


 てゐは本を閉じて目を丸くして鈴仙の方へ向いた。まるであんたには似合わないといった顔だった。


「好きでやってるわけじゃないの。月の暗号は難しいのよ」


 そう言って暗号の紙をひらひらと見せるとそれをてゐは手に取って見る。やはり地上の文献ではあてにならないなと思いわざわざ本を借りたことを後悔する鈴仙。


「これまた面白い暗号だね。字のバランスが崩してあるのも親切な作りだよ」


「わかるの!?」


 鈴仙はがばっと起き上がるとてゐが「これなんてあからさまじゃないか」と暗号の前半部分『木』に指をさしたのを鈴仙が覗き込む。


「木に“はね”なんてあるわけないことぐらいわからんのかい」


 よく見ると『木』はあるはずのない“はね”によって『オ』にも見えなくもない。


「じゃあこれはカタカナで、後ろは……?」


「これも古いカタカナだね」


 思いがけない救世主によって鈴仙は暗号の解読に成功するとすぐさま永琳の元へ急ぐ。残されたてゐは何を急いでいるのかわからず呆然としていた。


***


 幻想郷に雪が降っていた。それは上空で昇華して出来上がった氷晶が集まって、重力で落下したものだ。天候の変化がない月の都では当然見られない。人里の門外で偶然会った秋翠、鋭の二人は空からゆっくりと降るものを眺めていた。


「星が落ちている?」


 雪を知らない鋭は白い雪の欠片が空に浮かぶ白い星が落ちてくるように見えたのだろう。それらが秋翠の手の平に落ちて溶けるのを見せると「星じゃない」と教えた。


「地球とは面白いところですね。空が明るかったり色んな生き物がいたり……なんだか元気になります」


 鋭は腕を広げて身体をくるくると回転させる。遠心力でスカートと長い黒髪がふわりと舞い上がり、同時に彼女の少し細い足があらわになる。こんなに太陽のような生き生きとした鋭は道具屋にいた時ぶりだ。



「気になったのですが秋翠さんは退屈だから地上に来たのですよね?」


 くるくると回転しながら問うと秋翠は「まあ三割くらいはそうかな」とそっけなく答える。


「退屈なのは三割だけですか?」


 鋭は回るのを止めて秋翠の方へ体を向けるときょとんとした表情で秋翠を見つめる。


「軍とかそういう堅苦しいのが嫌だったのが大半かな」


 そう言うと「隊を抜けてしまえばよかったじゃないですか」と返される。鋭とて同じ軍人であったため知識はある。だから軍人をやめることが簡単なことを知っていての発言だ。


「月の社会制度は気に入らないし、何よりあそこにいると生きている実感が全く沸いてこない。毎日毎日同じ景色や同じことで時間を繰り返しているんじゃないかって思うくらい」


「確かにその気持ちはすごくわかるわ……何の変革もなく、ただただ時間を刻み、生も死もない都じゃ息苦しいものね」


 今までずっと敬語だった鋭の口調は変わり、砕けたものになっていた。語勢もただの玉兎と言うよりも月人に近い。気づけば互いの距離は体がくっつくほど近くなっている。それに気が付いた秋翠は肩に乗った雪を払うようにして自然に距離を置いた。ふと彼女の顔を見るとさっき見せた生気のある表情であったがそれが逆に不気味さを感じさせる。


「鋭……?」


「あっ、すみません。つい熱くなってしまいました」


 戸惑う秋翠に気づいた鋭が我に返ったのか頭を下げて謝罪する。一瞬、秋翠は二重人格だろうか、とも思ったが記憶が残っているようなのでその可能性は低いと見た。そうして香霖堂でのことを秋翠は思い出す。あの時のように感情の波が激しく、情緒不安定な裏側が出てしまったのだろうと考え、鋭の不埒(ふらち)な行いは忘れることにした。


「大丈夫……」


 鋭は言い終わる前にそそくさと走り去ってしまった。独り残された秋翠は慣れているはずの寒さに震える。悪寒か気候か、彼女にはわからなかった。


「こんな所で何してるの?」


 突然頭上から声がして驚いた秋翠はぱっとその方向へ顔を向けた。その時に頭に乗っていた溶け切っていない雪が振り落とされる。


「なんだ鈴仙か……」


 気が張っていた秋翠は波が静まるような気分になり、門の壁にもたれ込む。カチンときたのか鈴仙は「なんだとは何よ」と眉を吊り上げながら言う。その手には本が生まれたての赤ん坊のように抱えられていた。


「なんか変なこと企んでるんじゃない? 最近緋燕達も見ないようだし」


 疑いの視線が秋翠を突き刺す。それが彼女の安心感を煙のように消し、余計なプレッシャーを与える。別にやましいことなど何もないはずなのに、体が勝手に反応してしまうのだ。


「そんなことしたって叩きのめされるだけだってわかってるからしない」


 いつもの淡泊な口調であったが秋翠の顔から何か隠していると鈴仙は睨んだ。それもそのはず、普段のポーカーフェイスが外れてしまい、感情がもろに出てしまっているのだ。それに鈴仙ならば能力で感情の波を読み取れるから隠し事は難しい。


「寒いから帰る……」


 突拍子もなく秋翠は走り出し、鈴仙が止める間もなくその場を去る。


「もう一度調査の必要がありそうね……」


***


 また逃げてしまった。あの時からこの癖は封印しようと心に誓ってきたのに。秋翠は白銀の森の中、息を切らしながら疾走していた。


 次第にどれくらい走ったかわからなくなり、前へ進む気力がなくなっていく。空気を取り込むため立ち止まって空へと顔を向けると吐き出す白い息と空の色が同化する。


「変われるはずっ……ここなら変われると思ったのに!」


秋翠は天に向かって吠える。その後自己嫌悪の渦に飲まれて膝から崩れ落ちる。あたりを見まわすとそこには木、草、雪、紅白の少女……。秋翠はその少女と目が合った。


「うわぁっ!!」


 秋翠は幽霊にでもあったかのように驚き、思い切り尻餅をつく。霊夢は何度も経験した反応に呆れた表情をする。


「何よそんなに私が怖い?」


 霊夢は何度も異変を解決し、その度に妖怪を退治してきた。その実績ゆえに過度に恐れられることがたまにあるのだ。だが秋翠はそんなことで驚いているのではない。


「と、突然現れないで!」


 スカートの雪を払いながら立ち上がる秋翠を目で追いながら霊夢は「現れたのはそっちでしょう」と言い返す。そうなると霊夢は秋翠の叫びを傍観していたわけだ。


「寒いでしょう。お茶でも出してあげるから来なさい」


 珍しく霊夢が人外相手に優しくする。普段ならあり得ないことだが、彼女の機嫌がいい時はあり得るのかもしれない。秋翠は冷えた身体を温めるため巫女の言葉に甘えることにした。


 博麗神社は白い雪にかぶさってしまいそこが社ではないかのように見えた。その室内で秋翠は湯気の昇るお茶を啜って一呼吸つくと口を開く。


「なんであんな所にいたの?」


「私が人里への道にいるのがそんなにおかしい?」


 霊夢は質問に対してぞんざいに答える。彼女曰く、参拝客が雪で来られなくならないか人里から神社までの道を見ていたそうだ。今後まだ降り続けることもあるかもしれないのだが念のためと言う奴だろう。


「意外と気遣いができる人なんだ」


 秋翠はそう言うが霊夢自身は自分のためにやっていることなので褒められるようなことでもないと伝える。


「そう言えばさっきのは何なの?」


 その言葉に秋翠は胸を刺され、思わず跳ね上がりそうになる。いずれ訊かれるだろうと覚悟はしていたがここで急に持ち出されると心臓に悪い。


「さて何のことやら……」


「白を切っても私はこの耳ではっきり聞いたわよ、『変われるはず』とかなんとか」


 秋翠は一度激しい鼓動を鎮めようと喉にお茶を流し込み、息を吐く。どうせ地上人に話しても理解はしてくれないだろうとは思いながらも話すことにした。


「月に居た頃からいままでずっと逃げ癖が治らないんだ」


 彼女はいつも嫌なことから逃げてきた。失敗が怖いから、周囲の辺りが怖いから。大半が逃げて何とかなっていたからそれがもう常套(じょうとう)手段(しゅだん)となっていたのだ。運がいいと言い換えれば聞こえはいいかもしれない。だがそうやって自己正当化の繰り返しが秋翠を生ける人形にしたのだ。


「……逃げ癖ねぇ。逃げるのは悪いことだとは思わないけど」


 霊夢はそう言うが秋翠はそうは思っていないのだ。最初、自分はその程度の存在だと低い自己評価で満足していたが、次第に“生きる意味”を見失い始めた。


月の都ではいくら嫌なことから逃げようが生きられないわけではないため、楽に暮らすことが出来るのだ。それを知ってしまった秋翠はじりじりと楽な方向へ引き込まれ、苦労なく暮らした。その生活が彼女から感情を削り取っていったのだ。


 そこで地上ならば月の都とは大違いなので何か変われるのではないかと思った秋翠はこの亡命を決起したのだ。


「好きなように生きればいいと思うわ、人生一回きりだし」


「でもそんなのは……」


 そんなのは使命を全うしている人に与えられる権利だと言いたかったが言葉が喉でつっかえる。今の自分にはそんなことすらも言う資格がないと心のどこかで思っていたからだろう。


 気づけばお茶は冷めてしまっていた。他の玉兎達はみんな地上に来てから変わっているのだろうか。そう思うと自分は置いてきぼりにされてしまうんじゃないかと怖くなる。


「幻想郷は全てを受け入れる。どんなあなただろうとね」


 霊夢は立ち上がって雨戸を開けると眩い光が差し込んできた。外は日が照り付けており、幻想郷にかぶさる雪をとかそうとしていた。


「気長に待つのもいいんじゃない? そのお茶だって時間が経たないと冷めないわよ」


 秋翠は手元のお茶を一気に喉に流し込んだ。生ぬるさと沈殿した茶葉が相まってそれはほろ苦く感じた。


「今日はありがとう」


「私は何もしてないけど……まあ感謝するくらいなら博麗神社にお参りするよう宣伝しなさいよね」


 秋翠は神社を後にしたその夜、月の羽衣を処分した。幻想郷を新たな故郷とするため。もう月には帰らないと決心したのだ。

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