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3.立野蒼大――ニート


 何気なくカレンダーを見ていると、自分の二十二回目の誕生日が来週に迫っていることに気づいた。それはつまり、俺が引きこもりになってもうすぐ七年になるということだ。


 高校の入学式のことだ。人見知りな俺は、最初の自己紹介で自分の番が回ってきたとき、三分ほど黙り込んでしまった。絵に描いたような挙動不審っぷりで、最初は暖かかったクラスメイトの視線も最後には苛立ちがこもっていた。


 元々滑り止めで受けていただけの学校だ。入りたくて入ったわけではない。そう言い聞かせ、自己紹介で見事に陰気キャラを発揮した俺に話しかけてくるような人間がいない寂しさに耐えようとした。その瞬間、俺に声をかけてきたのが槌屋つちやのクソヤローだ。


「なあ、お前、オタクだろ」


 後ろの席に座る槌屋が、不躾な言葉を投げつけてきた。槌屋はいかにもお調子者という感じの風貌で、俺は一目見た時から苦手だと思っていた。それに、相手の尊厳を完全に軽んじたこの物言い。あまりの痛さに答えずにいると、槌屋に背中を小突かれた。


「なあ、答えろよ。アニメ観て、萌え〜〜とか言うわけ?」


 どうして絡んでくるんだろう。放っておいてくれたらいいのに。


 耐えられなくて席を立った。そのとき、槌屋の手が俺の腰元に伸びていた。このときのニンマリと細められた槌屋の一重の細い目は、今でも忘れられない。


「あ」


 決してわざとじゃないんだけど、どうしてだろう、結果的にそうなっちゃったね。


 という風を装った間の抜けた声と共に、成長することを見込んで買った大きめのサイズのスラックスが下着ごと引き摺り下ろされた。


 ちょうど目の前にいた女子が短い悲鳴を上げ、クラスメイトの視線が不可抗力で露出された俺の下半身に集中する。慌ててスラックスを引き上げたが、その数秒で心はズタズタになった。驚きの悲鳴。嫌悪の視線。潜めた笑い声。槌屋の目。あれは意図的な犯行だった。明確な悪意がこもっていた。


 どうして。どうして。どうして。


 俺は人前で話すことが苦手なだけだ。自己紹介で上手く話せなかった、たかがその程度のことで、どうしてこんな目に遭わなくちゃいけないんだ。

 理不尽な辱めに心が折れ、俺は翌日から学校には行かず、部屋に引きこもるようになった。その日は俺の誕生日だった。


 それから七年後、もうすぐ二十二歳。普通に高校に通い、四年制の大学に進学していたら、卒業と就職に向けて動いていた時期だっただろう。寝ることと食べることを交互に繰り返すだけの生活にはならなかったはずだ。


初めは逃亡のつもりだった。あんなにも恥ずかしい目にあったのに、無理して登校を続けていたら俺は壊れていただろう。逃げていいよ、行かなくていいよ、そう言った両親の言葉に甘えていたけど、こんなに引きこもりが長引くとは両親も思わなかっただろう。


 そう思ったとき、俺はインターネットで槌屋の名前を検索していた。あいつはアホだから、本名丸出しでネットに個人情報を載せているはずだ。思った通り、珍しい名前なのもあって、一発でSNSのアカウントがヒットした。槌屋のことなんて思い出したくもないのに、あいつが今どうなっているのか知りたくえ仕方がない。できるだけ破滅していてほしいが、表示された衝撃的な画像に言葉を失った。二十一歳の槌屋はすでに結婚し、妊娠中の嫁を抱きしめて微笑んでいた。長い茶髪でパッチリした目の可愛らしい女性だ。


 怒り――――は不思議と感じなかった。もちろん、俺をあんな目に合わせたことは許せない、許せない、許せないけれど、それ以上に焦燥が全身を支配した。感じないように努めていた不安が込み上げる。


 俺はこのままでは、結婚はおろか、生身の人間と恋愛すること無く人生を終えるだろう。

 いや、その前に一人で生きることすらままならないのではないか。いつまでも親は生きていないんだぞ。一人ぼっちになったとき、俺は一体どうやって生きていけばいいんだ。

 今まで目をそらし続けていたものが、自分の人生に責任を取れない俺を責めるように迫ってくる。このままじゃダメだ。


「画家になるか」


 思い立ってから三ヶ月後、俺は単身でパリに飛んだ。


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