これから、何のために生きていこうか。【2】
午前9時05分。
自動販売機というものは上手く出来ている。
硬貨を数枚入れ、ボタンを押すだけで好きな飲み物が出てくる。
そう、絶対に出てくるのだ。
言わば、最強のUFOキャッチャーだ。
更に、この『つめたぁ〜い』『あたたかぁ〜い』という表記には自動販売機会社の優秀な戦略も伺える。
きっと、この表記を巡っての念密な会議があったに違いない。
それを硬貨数枚で利用出来るなんて、世も末とはこういう事を言うのだろう。
俺は右のポケットの小銭を漁った。
「…ん?」
何かに触れた。
右のポケットの住人である小銭達に伸し掛かっている何者かに触れた。
そして、脳内の海馬から聞き覚えのある声が聞こえた。
「よかったっす」
…キムラ君。
…君か。
このスーパーボール、邪魔だ。
ポケット内の体積を一気に占領する。
とりあえず、地面に落としてキャッチする。
次に、少し強めに落としてみる。
頭を超えて、俺の身長の2倍くらいの高さまで跳ね上がり、万有引力の途中でキャッチする。
如何に格好良くキャッチ出来るか、これが重要だ。
では次に、掌とスーパーボールが接触する際に発生する、ペチッという音をいかに大きく出せるかに挑戦し…
あ…。
楽しんでしまった…。
スーパーボールで楽しんでしまっている…。
キムラ君…楽しんじゃったよ。
流石、スーパーボールだ。
スーパーと付くだけある。
ん?
何か、後ろから視線を感じる。
まさか、
…キムラ君!?
俺は急いで振り返った。
…少年。
小学1年生くらいだろうか。
キムラ君ではなくて安心した。
『気に入ってくれたみたいっすね!!』
キムラ君の残像が消えていく。
少年の目線は恐らく、俺の右手に握られたスーパーボールを捕らえている。
なるほど、
欲しいのか、少年よ。
そりゃあ無理もない。
小学1年生くらいの子供にとって、スーパーボールは魔法の玉だ。
地面に叩きつけると高く高く跳ね上がる。
空を越え、宇宙までへも飛んで行ってしまうのではないか、という感情の高揚。
分かるぞ、少年よ。
俺も昔はそうだった。
その純粋な心、大切にな。
俺はスーパーボールを差し出した。
「坊や、これあげるよ」
「いいです。ジュース買わないんですか?」
「…。」
「…。」
「買うよ」
そうだ、俺は飲み物を買いに来たんだ。
ありがとう、少年、教えてくれて。
俺は小銭を取り出し、アイスコーヒーのボタンを押した。
そして、スーパーボールを静かに左ポケットにしまった。
ガコンッ
うん、よし。
さぁ、
飲もう。
元々の目的はアイスコーヒーを飲む事だ。
これでいいんだ。
目的達成だ。
それに、いい感じに冷えている。
なんてラッキーなんだ。
でわ、いただきます。
美味い。
無味の口内に、ブラックコーヒーの風味が広がっていく。
そして、喉を通る度に、体力が少しずつ回復していく錯覚に陥る。
「苦くない?」
「えっ?」
少年の不意の質問に咳き込みそうになる。
「それ、苦いでしょ」
「まぁ、苦いけど、美味しいよ?」
「苦いのに美味しいの?」
「う、うん、美味しいよ」
「変なの」
そう言って、少年は去って行った。
今日は何だろう。
うん、
今日は何なんだろう。
午前9時30分。
俺は古本屋に向かった。
昔から本を読むことが趣味でもあり、ファッションでもある。
ファッションであるというのは、簡単に言うと、本を読んでいる姿は何か賢く見える。
そういう事での、ファッションである。
文学、ミステリー、推理、そういう系を読むのが一番賢さを引き立てるのだろうけれど、俺は断然、恋愛小説が大好きだ。
他人の恋愛などには興味はないが、人が考えた空想の恋愛は大好きだ。
何故なら、嫉妬をしないからだ。
どんなに幸せそうな恋愛ドラマが繰り広げられようが、それがフィクションである限り問題はない。
むしろ、文章という想像の中で恋愛が成立しているのだから、俺に彼女がいなくたって、想像の中で彼女を作れば大丈夫。
そんな安心をも手に入れる事が出来るのだ。
更に、恋愛テクニックの秘伝書でもある。
そう信じている。
さて、今日は何の本にしようか。
特に、この作家さんが好き、というこだわりは無い。
大体、タイトルを見て決める事が多い。
『愛のガラス玉』
どうだろう。
タイトルの時点で『愛』を入れているのが少し鼻に付く。
『丘の上に消えない足跡』
うーん。
丘ねぇ。
読みながら丘が出てくるのを待ち望んでしまう気がする。
『あなたの刹那』
良いじゃないか。
『刹那』ってのが、なんか良い。
なんか良いで良いのだ。
本を手にしてレジへ向かう。
ここの店員さんが、また可愛い。
20歳くらいだろうか。
清楚な感じで、真面目そうで、高めの声も素敵だ。いつも笑顔を見せてくれる。
この子と付き合えたら、
なんて思うのは間違いだ。
大きな間違いだ。
俺は27歳でアルバイト。
この時点でアウト。
一次予選敗退。
それに、可愛い過ぎて俺とは釣り合わない。
まず、気が引ける。
毎日、会う度に緊張してしまうだろう。
髪型どうしよう、とか
服はどうしよう、とか
口臭は大丈夫か、とか
体臭は大丈夫か、とか。
胃に穴が空く程のプレッシャーに違いない。
逆にお断りだ。
そうだ、
もし告白されたら、こちらから断る。
もっと、あなたに相応しい男にしなさいって。
ちゃんとした人と付き合いなさいって。
説教をしよう。
そうだ、
告白されたら説教だな。
うん。
…うん。
「いらっしゃいませ」
素敵だ。
「あ、お願いします」
「有難うございます。ポイントカードはお持ちですか?」
もちろんだ。ここのポイントカードは財布の一番手前のカードポケットに挿してある。
「あ、はい」
「いつも有難うございます」
「あ…はい」
え?
いつもって言ったよな?
今、いつもって言ったよな!?
『いつも』という事は、俺を常連客として認識していて、尚且つ、彼女の記憶の中に俺の顔がインプットされている。
あわよくば、彼女の夢の中に俺が登場している可能性も無きにしも非ず。
夢の中に俺が登場した場合、彼女は俺に好意を持っている可能性もある。
という事は、俺の事が好きで仕方ない可能性もある。
大好きで大好きで、付き合いたくて仕方ない可能性があるのか。
…。
…俺は何を考えているんだ。
『いつも』に踊らされ過ぎだ。
たった三文字じゃないか。
三文字で、
たった三文字で、
たった三文字でも…凄く嬉しいけどね!!
「ブックカバーはお付けしますか?」
「あ、お願いします」
「よかったら、私と付き合ってもらえますか?」
「あ、お願いします」
「有難うございます。お会計、490円です」
「はい、じゃあ、500円で」
「お預かりいたします。10円とレシートのお返しです」
「有難うございます」
「有難うございました」
さて、近所の喫茶店にでも行こうか。
俺は大体、読書をする時は喫茶店に行く。
自宅で読むとなると、どうも集中が出来ない。
布団に仰向けになり、読んでいるうちに気付けば眠ってしまう。
俺にとって自宅とは寝るためにあ……
…え?
…なんか……あれ?
俺は記憶を辿る旅に出た。
確か…
店員さんに…
言われたな…
言われたというか…
告白…されたよな?
…俺は、
「お願いします」って、
言ったよな?
恋愛の節理から言って、こういうやり取りは『カップル誕生』という事になる。よな?
出来たんだよな?
あの可愛い店員さんが…
俺の彼女になったんだよな?
いや…
まさかな。
聞き間違えだろう。
そうに違いない。
うん。
『私と付き合ってもらえますか?』
じゃなくて、
『私と積み合ってもらえますか?』
だったのかもしれない。
そうだな。
本を積んで欲しいんだな。
在庫の本とかを一緒に整理してほしいんだな。
人材が足りないから、常連客の俺だったら手伝って貰えるかもしれない、そう思ったんだな。
しかし、常連客なんて沢山いるよな?
その中で俺を推薦したのは何故だ?
やっぱり…
好きだから?
俺の事が好きだから、一緒に積み合いたいのか?
なんて不思議な依頼なんだ。
…うん。
そんなわけないな。
一応、確認をしに行こう。
午前9時50分。
俺は再び古本屋に向かった。
心臓の膨らみと縮みの繰り返しを激しく感じる。
つまり、胸が高鳴っている。
自動ドアが開き、一歩、二歩と前へ進む。
「いらっしゃいませ」
あの子の声だ。
今の俺には
「リョウヤ、会いたかったよ」
と聴こえた。
よし、真実を確認しよう。
うん。
…どうやって確認しようか。
直接聞くべきか?
いや、駄目だ。「さっき、僕に告白しましたよね?」と言って、もし違った場合、
俺は変態でサイコパスな存在になってしまう。
危険な橋は渡りたくない。
安全で確証を得られる方法が必要だ。
俺は店内をゆっくりと徘徊しながら、脳のシナプスとの通信を繰り返した。
日常には様々な葛藤が存在します。
その葛藤をどのように処理していくか、どのように活かしていくか。
人間の感情と心情は助け合いながら歩みを進めていきます。
主人公のミナトは思うでしょう。
まぁ、なんとかなるか
と。